毎年書いている。でも加齢とともに昨年一度も会わない人に出すときは少し躊躇するのです。
病気で入院しているかもしれない、不幸があって新年のご挨拶遠慮いたしますの御便り頂いていたかも知れない、はたまた亡くなられたかもしれい、そんな思いが脳裏をかすめ筆を止めるときがある。
なんだか生存証明の確認のために出しているような気になるのです。「俺は健在だが君はどうかまだ生きているのか?」とまでは行かないがとにかく複雑な社会だ、数年前にリストラで自殺したことも知らず同窓会で初めて知り年賀状を寸前でとめた事もあるからだ。
逆に何年も音信不通の輩から頂く賀状もある、、。
こんなのが年賀状の実体なのかと思いながらしぶしぶ今年も書き始めた今日この頃です。
病気で入院しているかもしれない、不幸があって新年のご挨拶遠慮いたしますの御便り頂いていたかも知れない、はたまた亡くなられたかもしれい、そんな思いが脳裏をかすめ筆を止めるときがある。
なんだか生存証明の確認のために出しているような気になるのです。「俺は健在だが君はどうかまだ生きているのか?」とまでは行かないがとにかく複雑な社会だ、数年前にリストラで自殺したことも知らず同窓会で初めて知り年賀状を寸前でとめた事もあるからだ。
逆に何年も音信不通の輩から頂く賀状もある、、。
こんなのが年賀状の実体なのかと思いながらしぶしぶ今年も書き始めた今日この頃です。