Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

一茶との遭遇 ー 藤沢周平/田辺聖子

2015-01-24 21:34:31 | 音楽・芸術・文学
ひねくれ一茶 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社

 

一茶 (文春文庫 ふ 1-2)
クリエーター情報なし
文藝春秋

藤沢周平さんを読み進めるうちに「一茶」に遭遇した。胸中大きなわだかまりはあれど決してボッチではなかった、どころか常に廻りに親しい心許せる人を恵まれたようだ。生後間もなくから大波小波、漂泊の旅の日々、世に出るのはいつの日か、たかが俳諧されど俳諧わが命、そのあいだ良いことばかりでもなさそうな・・・

なぜ周平さんはこの人を書いたのかを「あとがき』から。カンジンの周平さんの「一茶」は、すこしくダークトーンの気がした。後に出た田辺聖子さんの「ひねくれ一茶」は、一茶の生涯から、彼の秀句、その面白さの秘密がテンコ盛りの素晴らしくたのしい読み物である。こちらの一茶は、飄々と楽しんでいる気配があって好ましい。けっして「ひねくれ」ではないよね、このひとは。

 こちらからは、連句の集いの情景を抜き書きしてみる。FBで江戸趣味の百足師匠が歌仙を巻くとか書いてたが、こんなことだったのか。
さて、一茶が若い頃行脚した四国松山はむかしから俳句の盛んな土地がら。おりしも、この春の選抜には二十一世紀枠で、子規や漱石に縁深い松山東が俳句甲子園ではなくほんまもんの甲子園に出るというじゃないか。
ーーー 坊ちゃんの褒美ぞなもし甲子園  のり坊

 

>>>> (「一茶」 藤沢周平 /文春文庫  著者あとがき より)

 一茶という俳人は、不思議な魅力を持つひとである。一度一茶の句を読むと、そのなかの何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。これはいったいどこからくるのだろうかと考えることがあった。
 われわれは、芭蕉の句や蕪村の句も記憶に残す。それは句がすぐれているからである。一茶にもすぐれた句はあるが、一茶の句ののこりかたは、そういう意味とは少し異なって、親近感のようなもので残る。

 それはなぜかといえば、一茶はわれわれにもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだろうかと思う。芭蕉や蕪村どころか、誤解をまねく言い方かもしれないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句を作っている。形も平明で、中味も平明である。ちょうど啄木の短歌がわかりやすいように、一茶の句はわかりやすい。そしてそれは一茶が、当時流行の平談俗語を意識したというだけでは片づかない、もっと本質的な、生まれるべくして生まれた平明さのように思われる。

 長野の小林計一郎氏にお会いしたとき、氏は一茶の「父の終焉日記」や「おらが春」など、発表のあてもないのに力をこめてつづった文章に触れて、中味は自然主義文学です、という意味のことを言われた。一茶の作品の分かりやすさは、そううところから来ているのだろう。 
 ただ俗耳に入りやすい言葉でつづられているというだけでは、人の心に残る作品とはなり得ない。われわれが一茶の文章や句から、ある感銘をうけるのは、そこにさながら赤裸々な告白文学を読む思いがするからではあるまいか。一茶の作品のわかりやすさは、そういう中味を含んでいる。 

 われわれは一茶の中に、難解さや典雅な気取りとは無縁の、つまりわれわれの本音や私生活にごく近似した生活や感情を作品に示した、一人の俳人の姿を発見するのである。こういう一茶を、まず普通の人と言っていいであろう。俳聖などとも言われたが、それは一茶の衣装として、似つかわしいものではなかったという気がする。

 しかし、そのただのひとのままに、一茶はやはり非凡な人間だったと思わざるを得ない。一茶の句の中には、自分の旧句の焼きなおしがあり、他人の句の剽窃があり、また同じ着想のうんざりするほどの繰り返しがある。句柄は時に平明のあまり無造作に流れる。彼の句も凡人のしわざと言わなくてはならない。

  だがその句が二万句を超えるとなると、やはりただごとではすまないだろう。最晩年にいたっても、年に二百も三百も、ひたすら句を作りつづけた一茶の情熱はどこから来るのだろうか。このひともまた、やはり尋常ならざる風狂の部分を抱えて生きた人間だったと思わざるを得ない。しかも二万という生涯の句の中に、いまもわれわれの心を打ってやまない秀句が少なからずあるとなれば、なおさらである。
 この小説は、文藝春秋の内藤厚氏のご協力、長野市の小林計一郎氏のご教示を得て書き上げることが出来たものである。あらためて感謝申し上げたい。
  昭和五十三年三月         藤沢周平

 

>>>>「ひねくれ一茶 田辺聖子 /講談社文庫」 から引用

<天に雲雀 人間海にあそぶ日ぞ>
 久しぶりの上総の富津、久しぶりの対潮庵だ。
 年も明けて文化六年の春、対潮庵から見る春の海は箒で掃いたようにおだやかで、白光を放っている。一茶を迎えて、今日は歌仙を巻こうと心はずむ俳席が設けられている。いつもの馴染み、――といっても、木更津の雨十は野暮用で不参だったが、女あるじの対潮庵花嬌は無論のこと、その娘婿の子盛、大乗寺の住職・徳阿、医家の文東老人、それに一茶とで、五吟歌仙である。

「今日を楽しみにしておりましたわ、お師匠さま」
といつにかかわらず暖かく迎えてくれる、花嬌の笑顔である。それにしてもまあ何と目のさめるような姿容だろう。紫の山繭入りの縮緬の着物、裾には白いこぼれ梅の刺繍、下着は花やかな桜鼠色のさや形縮緬、帯は鳶茶の小金襴、品があってつややかだ。ひとすじ、ふたすじ、白いものがみえるが、まだゆたかな黒髪をおくれ毛もなく後家島田に結い、漆塗りの櫛一つ。それには金で定紋が描かれている。薄く白粉を刷いているだけで、ほとんど素顔にちかい。
 それでも艶冶な風情と愛嬌が、この女人をまるで、さかりの春の桜のように見せている。

「いや、私もここへうかがって生き返りましたよ。というのは昨年の年末、ひでえ目にあいましてね、家なしになっちまったんですよ」
郷里から「取極一札之事」という証文を捲き上げて、ほっとして江戸に戻ってきたのはいいが、相生町の家には他人が入って灯がついていた。・・・

・・・・ 

「そんなわけで<梅咲くや寝慣れし春も丸五年>の古巣を追われましてね、<正月はくやしく過ぎぬ春の風>というところでしたが、いや、上総に参って一陽来復・・・」

一茶の話に、思わず一座は、ほうっとためいきを洩らす。
「お師匠さまはお話がお上手でいらっしゃるから、思わず身を入れて聞き入ってしまいますわ。まあほんとうにお難儀でしたこと」
 花嬌はお世辞ではない口ぶりだった。いやそんな、と一茶は口ではいうが、行脚俳諧師は舌一枚で露命をつないでいるようなもの、どこの土地でも、江戸の噂にはみな飢えているのだ。たしかに一茶の話術は下手ではないらしく、みなみな、楽しんでくれるのがわかる。これも日頃、一茶が、志道軒の軍談や、落し話を聞くのが好きなせいであろうか。

 花嬌の娘の曽和が現れて挨拶する。いつもはつつましく控えている曽和がどこか花やいだ表情をみせているのは、小さい娘を連れて出たからだった。桃色の牡丹の花が描かれた友禅の着物を来た、目の大きな愛らしい少女である。
はきはきと「お師匠さま、いらっしゃい」と挨拶する。曽和の上の娘だという。
 子供を見ると一茶はとろけそうな顔になってしまう。声もうわずって、
「おお。おお。お利発なお子だの。お名は。おいくつかな」
「八っつ。志宇、と申します。よろしく」
「おお。よいお子だ、お志宇坊かえ」
曽和が娘を連れてきたわけがわかった。お志宇坊はこのあいだ、はじめて俳句をつくったといって、一茶に見せるのを楽しみにしていたというのだ。
「ほほ。親馬鹿、祖母馬鹿、と申しましょうか、お恥ずかしゅうございます」
花嬌はそういって恥じながら、これまた制止する気もないらしく、あの沈着な子盛まで苦笑しつつも、明るい瞳の色だった。

お志宇は持ってきた紙を無邪気に拡げる。筆太に紙面いっぱい、素直な字で、
「はるかぜや ねこのおわんにうめのはな」
ーーー春風や猫のお椀に梅の花。一茶は唸る。
「おお、これは出来された。よう、でけました。お手柄、お手柄、いやあ巧いぞ」

・・・

少女や曽和が起って席があらたまり、膝を正して一茶は連句をはじめる。花嬌の発句で始まった。

ーーーかい曲り寝て見る藤の咲きにけり  花嬌
「品よく、しかも姿よく出来ましたな」
と一茶はうなずく。対潮庵の庭にも藤が枝垂れており、甘い匂いを座敷まで運んでくる。発句はいまの季を詠まねばならぬ。しかも歌仙一巻の代表たる品格を失ってはならぬ。花嬌の発句は美しく、堂々としていた。
ーーー薪を割る音に春の暮れゆく  文東
「脇句、おみごと。余情をつくした『頃』を設定されました。それでは三句を私が」
ーーー細長い山のはづれに雉鳴いて  一茶
発句、脇句の句境を一歩すすめ、あらたな展開を志すのが初表の三句である。藤を座敷で寝て見る人、その縁の外で薪を割る音がして春は暮れゆく。と、みれば細長い山のはずれに雉が鳴く。

ーーー鍋ぶたほどに出づる夕月  花嬌
「月の定座は次でございますが、引き上げて四句目にいたしてもようございましょうか」
花嬌がうかがう。
「もとより、定座の二花三月のうち、二花は動かせませんが、三月は心ごころであとへこぼしても引き上げても苦しくはない、とされています。しかし『鍋ぶたほどに出づる夕月』は、よく付きましたなあ」
 一茶は感嘆する。一茶の句を発矢、と受けとめる即妙の機智。やはり花嬌の才は冴えている。しかも鍋ぶた、という俳諧趣味がうれしい。
「うーむ。では初の五句としてはーーーひとつ転じて、雲の上人のおもむきでいきましょう、秋の月を見たてて」
と、徳阿が、
ーーー烏帽子きて風に吹かるる萩の花  徳阿
「ああ、こりゃ、いい」
と一茶はうなずく。
「蕉翁の教えだが『歌仙は三十六歩なり。一歩もあとに帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へゆく心なればなり』とあって、歌仙三十六句が、とんとん、とんとん、と渋滞なく前へ前へとつながらかけりゃならねえ、とおっしゃっていますよ。徳阿さん、うまく付きました」
「私は、それではつづきましてーーー」
と文東が、
ーーー貢の酒の桶作るらん  文東
「あっさりした折橋無難。表六句、綺麗に軽く品よく出来ましたな。さあ、では裏の折立へ。思いきって一転して暴れて下せえ」

ーーー牛の子を秤にかけて淋しがり  花嬌
どっと座が湧く。
「百姓が育てた牛の子を売って淋しがっている。田舎は田舎でも人間がいきいきと出てきましたな。その調子で。ーーー裏は人間くさく、俗をいとわず、旅も酒も恋も、思いきって楽しんで下せえ。ただし、前の句とベタ付けにならぬように」
ーーー独り経よむまでに成りした  徳阿
可愛がっていたものを手放し、無常を感じて経を口ずさむようになったーーーという気分であろう。

「そろそろ、地名の欲しいところですな」と一茶の示唆で、
ーーー山科は牡丹の花の盛りにて  文東
経をよむ人のかくれ住むあたりは、閑雅の山里である。牡丹が人知れず咲き誇る。
「なるほど、京も陳腐なり、風流閑居に山科を持ってきたのが目玉。この牡丹は恋の呼び出しですな」と一茶が促せば、
「恋の座は大事ですから、これはお師匠さまがお手本を」と花嬌。それでは、と、
ーーー糸を染め染め待つ人もなし  一茶
山科名産の山科茜、茜染の糸を染めながら思う人を待つのである。

「きまりましたね。この恋に続ける必要はなさそうですな、では私が恋ばなれの句で」と徳阿が、
ーーー暁の小川に夢を流すなり  徳阿
「おやおや、もう恋が離れましたか」
一茶ががっかりするので、みなみな笑い、花嬌は、それどころではございません、色恋無縁のおかたい人を出しましょう、それも一興でございましょうと、
ーーー幣ふる役は仏五右衛門  花嬌
芭蕉の『奥の細道』には日光の宿のあるじ、仏五左衛門という、物固い正直者が登場する。仏五左衛門では字余りになり、連句では字余り字足らずを嫌うので、仏を響かせて五右衛門にしたのであろう。その頓知に明るい笑いが座敷を包む。

 「さて裏七句目は月の定座だが、この句に月は付けにくいから、後へ一句こぼして、次の句。月が付けやすいように」
一茶の捌きに文東が五右衛門に付けて、
ーーーをりをりの雨降るたびに餅のこと  文東
物固い正直者を縁者の伯父貴が何ぞに見立て、帰郷すれば伯父貴が搗いてくれた草餅。ーーーつれづれの雨に思い出す。雨ーーーやさしい人情に句趣を引きもどす。
ーーーおととし見たるみ吉野の月  徳阿

「できましたな。さて、ここれでまた転じましょう。子盛さん、どうです」
一茶が水を向けると、
「いやもう、皆さまのをうかがっているだけで面白くって。しかしよい機会でございますからこれも記念に」と子盛が筆を把り、
ーーー瘦骨のふしぶししみる風吹きて  子盛
「ふむ。秋の月によく付きましたな。まことに結構。ところで裏十一句は花の定座。そこで次の十句目には花が付けやすい句を私が」
ーーー彼岸の鐘のどひやうしに鳴る  一茶
「ありがとうございます。『花』を持たせて頂けましたのでございますね」と花嬌が、
ーーーとうふ殻花の木かげにけぶりけり  花嬌
豆腐のおからがまだ湯気を立てて花かげに捨てられている。ど拍子(調子っぱずれ)に鳴り出す山寺の鐘の会せ、おからは人里らしい感じが面白い、と一茶は思う。

春の句を少し続けて、と一茶に促され、子盛は「ど拍子に」から、芭蕉の『猿蓑』にある、連句『夏の月の巻』の去来の句「ただどひややうしに長き脇差し」を連想したのであろう、
ーーー大長刀にかかる春雨  子盛
長刀の殺風景を案じて、名残りの表は春に続かせ、大長刀の刃先のうららかな春の空から視線を転じ、ふたたび花嬌が、
ーーー鶯の鳴きゆく方へ舟引いて  花嬌

時の移るのを忘れ、おのおの楽しみつつも持てる力のあらん限りをふり絞って句作に熱中する。歌仙の式目(きまりごと)のむつかしさに手を焼きながらも、その煩雑な約束ごとを、一方では重んじ、たのしむ。やがて風雅な詩情は転々変化しつつ四季をめぐり、人の世の喜怒哀楽をつづり合せ、名残りの裏へ到り、とりわけ重んじられる匂いの花の定座は一茶が引きうけた。

ーーーかばかりの垣ほも花となりにけり  一茶
挙句は文東であった。花嬌の発句とよく照応し、きまり通りの春の風趣で、
ーーー陶の穴も霞たなびく  文東
と、めでたく満尾した。三十六句を巻き終えたのである。

ほっと緊張が脱け、みなで力を合せて大事業をなしとげたあとのように、たぐいもない充足感で微笑を交し合う。
「ありがとうございました。お師匠さまのおかげでーーー」
「いやこれはよい記念、近頃にない風雅の席でした」
ーーー連句の醍醐味はここにある。連衆の丁々発矢の応酬の中に、互いの人生がうかがえ、処世観が浮び出る。風流ごころの深浅もやさしみの厚薄も。それをともに尊びつつ、より親しみを共有する、このうれしさ。一茶は宗匠として座を捌くのであるけど、その面白さとたのしみのために、俳諧をやめられないのである。指導料なにがしを得るためではないのだ。業俳ではあるが、金もうけのためばかりやっているのではない。・・・・

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