【岡潔の思想】128「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界
「放てば手に満てり」
(男性)先生これは解釈間違っておりますでしょうか。「はなてばてにみてり、一多のきはならんや」ということを先生はよくおっしゃいますね。 (岡)ええ。「はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし」、ええ。 (男性)それは結局、自我をはなすと、無心になると、お前の中にいっぱいあるじゃないかと・・・ (岡)ええ。そう、そう、そう。 (男性)無差別智がいっぱい働くじゃないかと、こういうことを云われてる訳ですか。 (岡)ええ、そうです。心の働きが手に満つるのです。 |
※典比古
「放てば手に満てり・・・」これは道元禅師『正法眼蔵』第1巻「弁道話」にでてくる言葉。男性がそう言ったら、岡さんは「はなてばてにみてり、一多のきはならんや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし」と、すらすら述べております。
もうすでに岡さんは道元の正法眼蔵の核心を体得しているからこその発言でしょう。
個人的にはこの道元の言葉を若き頃読み、「ココロ」を打たれた箇所です。実に詩的であり、この言葉から連想するのが「心身脱落 脱落心身」。
この言葉を口に繰り返すと、ワタクシは自己が光になったかのごとく感じるのです。「本来の面目を思い出すだけでいいのだ」と、道元さんに言われているような気がするのです。
次回は【岡潔の思想】129「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界ー「知るということ」を記事にいたします。
🔶中村修さんの展示後の「コメント」
ゆめから醒めません。なるほど。ぼくたちはイメージをつくってはその中であそび、またゆめをつくっていく夢中人。
とはいえ、『まくら』は終わりました。まぶしいゆめでした。
最後には子宮のなかにいるここちでした。来てくださった方々、気にかけてくださった方々、大磯つきやまさまの皆様、ラマの皆様、展示をつくるために、協力してくださった、ひとり、ひとり。ひとつ、ひとつ。そして、
野上、佳野ちゃん、こころからありがとうございました。
ありがとうで、胸のなかいっぱいです。これからも各々のゆめ、イメージをつくる旅を続けていきましょう。
LOVE YOU!!!!!
撮影 佐藤基 @sato_motoi