根っこと葉っぱ。

一日一肥やし。

吐き出した

2008年02月17日 | 日記
自分が実習中感じたことの全てを日誌に吐き出す作業を今日はずっとしてた。ダラダラと。

ので、こっちでは実習前のことを吐き出そうかと。
見苦しいので、不快に思った人はすんません。


しかしてしかし、1月末日に訃報が届いてからは光速のような2月前半だった。


知らせを聞いてから、何からやっていいのか分からず、
実習の課題も終わってないし
テストはやばいしでも落とすと授業料免除はなくなるし
ああでも次の日保育園のバイトやからその代わりも見つけやなアカンし
それより何より一刻も早く帰らなきゃならんし

とりあえず寝不足だったので現実逃避に仮眠。(うぉい)

焦りすぎて周りが見えず1人イライラ。。
でもやっぱり人の優しさに救われる。

先生に何とか実習先と都合をつけてもらって2日遅れて実習に参加することにし、
テストはちゃんと受けるためにテスト勉強もして、
何とか友達に無理を言ってバイトを代わってもらえた。

ほんとありがたかった。。


そして実家へ。

初めて死んだ人を見た。しかも身内。
よくテレビとかだと「眠っているようね」とか言ってるけど
全然そんなんじゃない。
寝てるとか言うレベルじゃねぇよ。

まさに止まった時間がそこにはあった。
もう絶対に動かない、ピタッと止まったもの。
人間じゃなくて人形のようだった。

冷たくて、ほっぺたとかは少しだけ柔らかさが残っていたけど
足とかはカッチンコッチン。

亡くなったのはばあちゃんで、中学か高校のどっちかくらいまでは一緒に暮らしてた。
毎朝味噌汁とご飯を作ってくれてて
(じーちゃんが漁師で朝が早かったから)
小柄で小太りだけどかわいい顔をしてて、若い頃は絶対もっとかわいかった。

口うるさくて(まぁ子どもから見れば年寄りはみんなそう思える)
正直あんまり好きじゃなかった。子どもでしたので。。
だからあんまり心を通わせたこともなく…。

でも亡くなった姿を見ると、なんでか涙が止まらなかった。
実家に着いてすぐにばあちゃんの所に行き、枕元に座ってしばらく動けなかった。

私の描いた絵を褒めたくれたこともあったし、
足を開いて座っていたら「女の子やのに」とうるさく言われたこともあった。
もっと元気なうちに水戸に連れてきてあげればよかった。

そしてばあちゃんは宗教ひと筋な人やった。
そしてこれが厄介。ほんとにほんとに厄介。
冗談じゃなくて。

宗教は悪だ。
私の中ではそれ以外の何者でもない。
他の人はどうか知らんけど、私は宗教なんてクソ食らえ。
そう思ってしまうほどうちの家族は被害をこうむった。

人は神様には救われない。
人は人に救われるものだと思いたい。
死ぬ時にそばにいてくれるのは神様か?
死んだことを悲しんでくれるのは神様なんか?

それでも宗教に救われる人がいることも知ってる。
身近で見てるので。
でもそうやって救われたあと、その信心で家族に余波がくるような事があっていいのか?
でも、宗教はそうさせてしまうことがある。

まず宗教、そして次に家族。
そんな風に優先順位がなってしまうから。
そんなのおかしいだろ。

せっかく救われたのに、そのせいで周りをおかしくしていくなんてそんな変な話はない。
葬儀の期間中ずっと悔しかった、怒りがこみ上げた。
ばあちゃんが大事にしてきたものを目の当たりにして。
私には意味のあるものに思えなかったから。
そして今も縛り続けているから。じーちゃんを。

でもそれが一番だと信じきっている人を無理矢理引き離すことはできない。
家族は悲しい思いしかできないのかなぁ。。

みんなで楽しく暮らせることが幸せだと感じられる人であってほしい。
って言うのはエゴなんやろうか。


人の生き方って難しい。
自分が生きる意味って何だ?


でも確実に思ったのは、死んだ時に泣いてくれる人がいるような生き方をしたい。
人のためになるようなことをして生きて、死にたい。
いつか絶対死ぬんやから。


ばあちゃんは最後に灰と少しの骨の欠片だけになった。
私は拾ってちゃちいツボの中に入れた。
もはやどこにもばあちゃんはいなかった。

もうこれからはばあちゃんの姿を見ることはできない。

これが人の終わり。



にょきにょき





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