祖父は、お酒を飲まない時は、ほとんど話さない人でした。
子供には恐い存在でした。
楽しみはお酒を飲む事でした。
日本酒でしたが、飲み始めると、ずーと飲んでいました。
一升ビン横に置き、コップ酒です。
酔っ払うと、人が変わります。
人の悪口、自分の息子(父のこと)への不平、不満をずーと言い続けます。
お酒のツマミ代わりに飲みながら、ぶつぶつと言い続けます。
そうして、体がお酒を受け付けなくなるまで、飲み続けます。
吐いた後、2週間ほどは飲まないで普通の生活をします。
そんな時は、畑に出かけて行きます。
農作業用の服を着て、足にはゲートルを巻き地下足袋を履いていました。
家にいる時は、着物を着て、下駄履きでした。
お酒がなくなると、農協に買いに行きました。
働いて貯めたお金はかなりあったようです。
私たちにも、お年玉として、その頃ですが、一万円もくれました。
まだ、聖徳太子を印刷していた頃です。
今でも、一万円と言えば、子供のお年玉としては大金です。
でも、いくら沢山あっても、何年も飲み続けていれば、だんだんお金も無くなってきます。
亡くなる頃には、ほとんど貯金も飲みつくしたようです。
父が亡くなった後は祖母が攻撃相手になりました。
好きでもないのに結婚したなど、昔のことを言います。
祖母も負けていません。
「イヤなら、結婚しなければよかったのに」と言い返していました。
私は、こんな祖父母の喧嘩を毎日見ていて、情けなく、辛い日々でした。
どうして、何十年も連れ添って、死ぬ前になって、こんな言い争いをしなくてはならないのかと思いました。
祖父の若い頃の写真を子供の頃一度見たことがありました。
老いた祖父とは、まったくの別人の男前の写真でした。
次のページには、若い女の人の写真が貼ってありました。
祖母にこの写真は誰か訊ねました。
「じいちゃんとじいちゃんの好きだった人だ」
と教えてくれました。
その後、その写真をまた見ようと捜しましたが、祖母が隠してしまったのか、見ることはありませんでした。
子供心に、年をとると人間、こんなにも変わってしまうものなのかと驚き、老いの残酷さ、はかなさを感じました。
祖父の人生はいったいなんだったのか?と思います。
祖父は、アルコール中毒になり、人格崩壊し私が高校生の時亡くなりました。
悲しさはなく、ようやく辛い毎日から開放されてホッとしました。
肉親が亡くなってもその死を悲しめなかったその頃の私でした。
今でも、祖父のことを思い出しても懐かしさはわきません。
子供には恐い存在でした。
楽しみはお酒を飲む事でした。
日本酒でしたが、飲み始めると、ずーと飲んでいました。
一升ビン横に置き、コップ酒です。
酔っ払うと、人が変わります。
人の悪口、自分の息子(父のこと)への不平、不満をずーと言い続けます。
お酒のツマミ代わりに飲みながら、ぶつぶつと言い続けます。
そうして、体がお酒を受け付けなくなるまで、飲み続けます。
吐いた後、2週間ほどは飲まないで普通の生活をします。
そんな時は、畑に出かけて行きます。
農作業用の服を着て、足にはゲートルを巻き地下足袋を履いていました。
家にいる時は、着物を着て、下駄履きでした。
お酒がなくなると、農協に買いに行きました。
働いて貯めたお金はかなりあったようです。
私たちにも、お年玉として、その頃ですが、一万円もくれました。
まだ、聖徳太子を印刷していた頃です。
今でも、一万円と言えば、子供のお年玉としては大金です。
でも、いくら沢山あっても、何年も飲み続けていれば、だんだんお金も無くなってきます。
亡くなる頃には、ほとんど貯金も飲みつくしたようです。
父が亡くなった後は祖母が攻撃相手になりました。
好きでもないのに結婚したなど、昔のことを言います。
祖母も負けていません。
「イヤなら、結婚しなければよかったのに」と言い返していました。
私は、こんな祖父母の喧嘩を毎日見ていて、情けなく、辛い日々でした。
どうして、何十年も連れ添って、死ぬ前になって、こんな言い争いをしなくてはならないのかと思いました。
祖父の若い頃の写真を子供の頃一度見たことがありました。
老いた祖父とは、まったくの別人の男前の写真でした。
次のページには、若い女の人の写真が貼ってありました。
祖母にこの写真は誰か訊ねました。
「じいちゃんとじいちゃんの好きだった人だ」
と教えてくれました。
その後、その写真をまた見ようと捜しましたが、祖母が隠してしまったのか、見ることはありませんでした。
子供心に、年をとると人間、こんなにも変わってしまうものなのかと驚き、老いの残酷さ、はかなさを感じました。
祖父の人生はいったいなんだったのか?と思います。
祖父は、アルコール中毒になり、人格崩壊し私が高校生の時亡くなりました。
悲しさはなく、ようやく辛い毎日から開放されてホッとしました。
肉親が亡くなってもその死を悲しめなかったその頃の私でした。
今でも、祖父のことを思い出しても懐かしさはわきません。
長身の家系なんですね。
以前写真で拝見した時はそれほど大きく見えませんでしたが、みかんちゃんも身長が高いのでしょうか?
父は飲めませんでした、
でも おじさんたちが何か有ると最後は言い合って喧嘩をしていたのを
子供の頃に見ていて ああは成りたくないと思っていました、
今の私は 飲んだお酒が発散できず、肝臓を壊しのめません、
飲まないと人は来ませんし、ひまでする事が無く、
おじゃまして すみませんでした。
交わした会話も何回か・・・。
お酒は一滴も飲みませんでした。
祖母はとっても強い人で多分辛抱していたのは祖父の方かと・・・。
どちらにしても添い遂げました。
当時は好きでもないのに結婚した(させられた)人が多かったのだと読ませて頂いてそう思いました。
今はいろんな意味で自由になってきましたね。
そのためか、私たち兄弟は、そんなに背が高くなりませんでした。
私は、母よりも低くて160センチありません。
兄は170センチ代です。
弟は、祖父や父を見て育ったためか、お酒を飲みません。結婚もしたくないと未だに独身を通しています。
弟が一番幼かったので、幻滅したのだと思います。
でも、できれば、仲良く一生を添い遂げたいものですね。
小学校2年のときに亡くなったのであまり思いではありませんが、初孫だったので可愛がってもらっていたと思います。
だって、当時は女は終い風呂だったのに、おじいちゃんといっしょに一番風呂に入っていましたから(笑)
とても大柄で、そのせいでうちの家系は長身ぞろいです(^^;)私は164cmです。小学生の頃は服が無くて困りました。
村はとても貧しくて、そのくせ大昔に都があったせいか派手好きで、組を作って回りもちで飲み食いする行事が多いです。
酒癖の悪い人も多く、小さい頃からそういう姿を見ていたので、深酒してグダグダ言う人も暴れる人も嫌いです。
うちの父も例外なく酒に飲まれるタイプでした。晩年はそれが原因で亡くなったようなものです。
酒好きは親戚にも何人もいて、若くして亡くなった人もいるし、仕事をやめてしまった人も(^^;)
同じような理由で、タバコの害も嫌なのでうちの息子はどちらもやりません(笑)
身近な人にそういう人がいるといい勉強になります。と、思っておこう(笑)
酒を飲んで人格が変わる人は気の弱い人が多いようです。
母方の祖父もお酒はほどほどで、寡黙な人でとても厳しい人でした。箸の持ち方が悪くて延々と叱られたことは忘れられません。おかげで小豆の粒もつまめるようになったけれど…
幼少の頃の体験ってすごいですね。今、書きながら、自分がナゼ、べらべらお喋りな男が嫌いなのかが判明しました!すごい(^^;)
敬遠しながらも、祖父たちのことは真の男だと思っていたようです。
父もそういえば、飲まないときは寡黙だったかな。
長くなってすみません。いろいろ懐かしく思い出しました(^^)
お酒を飲むのはいいけど、お酒に飲まれる人はいやですねー。私も子供の頃は、結婚する人は、酒もタバコをきらいな人がいいと思っていました。でも成人して、お酒の良さを再発見して、飲んでもいいから飲まれないようにしようと思いました。ほどほどに飲んで、楽しむのはいいなーと。
私は、無口な人は苦手です。あまりおしゃべりな人もやっぱり駄目です。
お互いの意思疎通が出来る人がいいです。
高倉健のような人ならいいです。(^^♪