テレオロジカルな行為。

結果に関わらず、それ自体から充足感が得られる行為。
by ポール・マッケンナ

交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。

2019-05-25 06:24:47 | アドラー

そして変えられるものについては、変えていく「勇気」を持つこと。

それが自己受容です。

 

 

「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと

 

変えることのできる物事を変える勇気と、

 

その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」

------ニーバーの祈り--------

 

このニーバーの祈りは、

古くからキリスト教社会で口承されてきた言葉です。

アドラー心理学は、ギリシャ哲学や近代心理学の流れをくむ、

科学的なものですが、

このニーバーの祈りは、そんな科学的な見地などまだ確立されて

いなかった古い時代の人々も「実感」として、

アドラー心理学と同じような生きる知恵を表現していたというところに

おどろきがあります。

 

なぜ、私が2014年の年間ベストセラーである、「嫌われる勇気」の

中からこの一節を多く引用しているかというと、

この一節にアドラーのエッセンスが多く詰まっているからです。

また、アドラーなど読まない人でもだいたいこの一節を引用すれば

多くの問題は説明がつくような感じがして・・(´∀`*)

 

アドラーのテーマにしてから、ブログの閲覧も増えました。

私を始め、みんな生きている限り、悩みは尽きません・・

 

「課題の分離」

 

「私」にできることは、自分が正しいと思うことを信じて、

勇気を持って実行することだけです。

正しいか正しくないかは、勝ち負けとは関係ありません。

 

いつの間にか、気に食わない相手を屈服させてやりたい。

というように目的がずれてませんか。

 

どれが相手の課題で、どれが自分の課題かを見分けるには、

最終的にその結果を誰が引き受けるのかと考えた時に

それが相手なら相手の課題であるし、

自分なら自分の課題であるといえるだろう。

 

他者の課題には介入せず、

自分の課題には一切介入させない。

という態度が大切です。

 

 

あなたは、他者の期待を満たすために生きているのではない。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。