そして変えられるものについては、変えていく「勇気」を持つこと。
それが自己受容です。
「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと
変えることのできる物事を変える勇気と、
その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」
------ニーバーの祈り--------
このニーバーの祈りは、
古くからキリスト教社会で口承されてきた言葉です。
アドラー心理学は、ギリシャ哲学や近代心理学の流れをくむ、
科学的なものですが、
このニーバーの祈りは、そんな科学的な見地などまだ確立されて
いなかった古い時代の人々も「実感」として、
アドラー心理学と同じような生きる知恵を表現していたというところに
おどろきがあります。
なぜ、私が2014年の年間ベストセラーである、「嫌われる勇気」の
中からこの一節を多く引用しているかというと、
この一節にアドラーのエッセンスが多く詰まっているからです。
また、アドラーなど読まない人でもだいたいこの一節を引用すれば
多くの問題は説明がつくような感じがして・・(´∀`*)
アドラーのテーマにしてから、ブログの閲覧も増えました。
私を始め、みんな生きている限り、悩みは尽きません・・
「課題の分離」
「私」にできることは、自分が正しいと思うことを信じて、
勇気を持って実行することだけです。
正しいか正しくないかは、勝ち負けとは関係ありません。
いつの間にか、気に食わない相手を屈服させてやりたい。
というように目的がずれてませんか。
どれが相手の課題で、どれが自分の課題かを見分けるには、
最終的にその結果を誰が引き受けるのかと考えた時に
それが相手なら相手の課題であるし、
自分なら自分の課題であるといえるだろう。
他者の課題には介入せず、
自分の課題には一切介入させない。
という態度が大切です。
あなたは、他者の期待を満たすために生きているのではない。