後だしじゃんけん日記

古い革袋に新しい酒?

 昭和記念公園 花便り 9月29日

2016年09月30日 | メールが来ました

  

  

    鬱陶しくて蒸し暑い毎日が続いております。

    9月の日照時間は記録的に少なかったそうです。

    それでも秋は近付いて、昭和記念公園は金木犀の香りに包まれています。

 

    フジバカマは秋の七草の一つで、万葉の昔から親しまれていました。

    しかし、近年は絶滅危機種に指定されるほど減ってしまいました。

    昭和記念公園では自生のものは日本庭園にわずかに残っていますが、

    花も少なく元気がありません。

    写真は日本庭園の盆栽園の盆栽の花です。

    これはフジバカマ単独の盆栽ですが、他に寄せ植えされたものが幾つかありました。

    地味ですが繊細で優しい感じが他の植物とよく調和していました。

 

    欅の盆栽があり、あの大木が高さ20cmぼどで小さい葉をつけていました。

    最初に出た葉は摘み取り、全体を見ながら葉を残していくそうです。

    作務衣姿の専門家が常駐していて、色々なことを教えて下さいました。

 

    シロシキブも日本庭園で撮りました。

    ムラサキシキブの色違いですが、私は初めて見ました。

    池には生後1カ月くらいのカイツブリの子供がいました。

 

    涼しくなったら「こもれびの丘」へ山野草を尋ねて歩く予定です。

 

             9月29日    アキコ


      注

    アキコさんはここのblogerミックではありません。

    私と同じくグランドホーム・サンビナス立川在住のPCトモです。

    毎日のようにカメラ片手に昭和記念公園を散歩されて撮影された

    写真に文を添えて送って下さいます。


    以前からここを訪れて下さる方にはアキコさんフアンが多いんです。


      アキコさん共々感謝もうしあげます。


 83歳の誕生日 6

2016年09月28日 | 日記

  

    アトランダムに思い出すことを書いてみましたが、この作業はとても自分の為に

    なりました。   忘れていた幼児の頃の事や実家の歴史(明治~昭和)を

    思い出してみると当時とはまるで違った視点で眺められました。

        83歳なりの経験と知恵がレンズになっていました。

 

    10代の私は母に”「くだらない」 という返事しか出てこないの

    言われましたが、未熟な自分のままで颯爽としていましたネ。

    独身時代も結婚してからも不平不満・支離滅裂・認識錯誤も多々あったのに

    自分の個性と勘違いし、相手の矛盾ばかりを不満に思っていました。

 

    幸いにも主人の両親と同居しても一度もぶつかった事はありません。

    私は料理好き、姑は洗濯・掃除好き。  足りないところを補え合いました。

    上手に私をコントロールして下さったのでしょう。

       (これも今だから言える言葉です)

 

    さて

    昭和の人の私にとって 明治は 明治維新

                  明治は遠くなりにけり

               大正は大正ロマン

                  つかの間の華やぎ

            昭和20年以前 軍国主義・アジアの盟主

            昭和20年以後 戦後の復興・日本の産業革命

            平成  IT革命

 

   私の生きた83年の日本の変化は地球規模の変化でもありましょう。

   観て体験出来たことは、運に恵まれた事と感謝を深めました。

 

   最後に自身を振り返って、想定出来なかった人生のあれこれ・・・・

   ◎ 病弱で早世かと思っていたのに大病もせず83歳に至った

   ◎ 離婚しそうでしなかった(経済力がなかったのが身を救けたかな?)

   ◎ 50歳にして自動車の運転が出来た。 入り口は原付バイク

   ◎ 仏教に帰依した (ご縁に只々 感謝)

   ◎ 太極拳の教師になった(それ以外出来るスポーツがなかった)

   ◎ グランドホームに入居出来た (老後の生活革命)

   ◎ パソコンを始めた。 ここに入居したから。

   ◎ まさかの blog/facebook/インスタグラム

 

  自分に都合の悪いことも、他人に厭な想いをさせることもスルーしました。

     それは忘れてしまったのでしょう。

     自慢じゃありませんが、忘却力がどんどん付いています。


 83歳の誕生日 5

2016年09月27日 | 日記

  

    42歳の誕生日の時、ここが折り返し点と考えました。

    なんとか83歳になってみれば、いよいよ最終地点間近ですよね?

    私の予想通りここ1年ばかり前から心身の老化を厳しく確認する毎日になりました。

 

    終活 捗りませんね~。 葬儀社とも契約したし、その時使う写真も用意したし、

    気に入った品も差し上げたい人に手渡し、行きたい処にも出来る限り

    出かけました。・・・・しかし・・・・何だか焦る心地が湧いてきます。

        「さっぱり片付かな~い」

        「西行さんはいいなぁ」

 

      雑な未完成人間が進化をピタリと止めて、気が付けばずるずると後退。

    「いつ死んでもいいわ」とか「余り長生きしたくない」とか言うのも他人には

    聞きづらい言葉でしょう・・・・否定して差し上げないとと気を重くさせるでしょう。

 

    折り返し点と考えた42歳の私は、達成感が全くなく、どう努力してみても

    結果を得られません  どうして判ってくれないの

    本も読み人の話も聞いたのに・・・・結果はBAD・・・・

       人はこちらの想うようには変わってくれない

       自分が変わらないと・・・・・・

 

    そうだ   今までと違った事を初めてみようか    それで・・・

    身体のために太極拳 (身体能力劣等のため競技不可・これは競わない)

    心のために仏教に帰依 (何となく宗教ヤバイ?自分を変えるにはいいかも?

                ついていけない時は即 降ります)

    趣味 骨董 (祖父のDNAだが、日常使いの雑器が対象・・・めちゃ楽しかった)

 

       この時の選択は好かったですネ

       

                    他人の欠点には敏感で自分の誤りが見えていない私。

       気が付いても、自分を変えたくない私が居りました。


 83歳の誕生日 4

2016年09月26日 | 日記

  

     昭和20年8月15日 大東亜戦争終了 よく晴れた夏の日でした。

    国民学校6年生の私には、戦争が終わったと聞いても「負けた!」と言われても

    ピンと来ませんでした。  負けるはずがなかったんじゃないの

    戦争が終わって緊張がほどけた実感はありましたが、来年に迫った受験勉強は

    それなりに続いて先生も生徒も一生懸命でした。

       教科書は塗りつぶしたり焼いたりしましたが、算数だけは変わらず

       私は人生のピークと思うほど問題を解くのに夢中でした。

 

    民主主義・テレビジョン・一家に一台の自動車がある・・・・それがアメリカ

       鬼畜アメリカだったのにネ

 

    3学期から級長・副級長が選挙になり、学芸会はクラス全員が出演。

    それまでは学力優秀な子か親がそれなりに裕福か有力者の子でした。

    たぶん先生方も大変だったでしょうが、冷静を保っておられましたネ。

 

    自分の意見をはっきり言うように・・・・戦争になったのは皆が

    軍国主義者の言いなりになったから・・・・そうだったの~

 

    価値観の180度反転を心身まるごと受け入れた私達でした。

    翌21年春 女学校に進学。それから直ぐに6・3・3制に替ったのでした。

 

    当時の自分を思うと余りに幼稚で何の疑問もなく、生活は苦しくても

    あっけらかんと過ごしておりました。

 

     小学生の時泣いた記憶が有りません。

     (或る部分 感情のフリーズがあったのかも)

   

 

    


  83歳の誕生日 3

2016年09月25日 | 日記

  

   第2次世界大戦開始から終了まで(1941年12月8日~1945年8月15日)

   3年9ヶ月  戦争がどれだけのものを奪うのか 

   平和な時代しか知らない人には想像に余りあるので、写真やお話ももどかしいです。

   現代でもちょっとした情報でガソリンが手に入らなくなったり、トイレットペーパーが

   店から消えたりしますが、そんな状態がじわりじわりと生活全般に及びます。

   そして日に日に不自由になり、或るものは配給制度になりました。

   現在の「賞味期限」に拘るほど腹立たしいことはありません。

   当時は食べられる物は何でも食べた・・・・・

   私は今でも賞味期限シカトです。 自分の味覚と嗅覚で判断します。

   家も焼かれず家族も健在だった我が家は幸運でした。

   夏休みに小学校に駐屯していた軍隊を間近に見て苦しい場面を沢山目撃しました。

   北上川で船での訓練中、川に蹴落とされた一兵卒はそのまま沈んでしまい、

   夜遅くまで捜査が続きました。戦争を否定する知能はありませんでしたが、

   「これって御国の為じゃないよ」と感じながら眺めました。

       戦地の父を思わないではおられませんでした

 

   石巻にも空襲が始まり、母は子供達を連れて疎開いたしました。

   現在の東松島空港(空軍基地)の近くの田舎です。

   のんびりした田園風景の田舎家で、今晩から洋服脱いで寝てもいいよと言われ、

   蛍の飛ぶ光を確かめて寝た一夜。

       朝早くに低空飛行の艦載機からの射撃があって飛び起きました。

   バラバラバラという射撃の銃弾の音がすぐそばではじけました。

 

       この間抜けな疎開 何だったんでしょうね 


 83歳の誕生日 2

2016年09月23日 | 日記

  

     9月22日という自分の誕生日は気に入っております。

   秋の彼岸の中日の事が多く、たまには仲秋の名月の日だったりして・・・・

   母が「あなたを生んで食べたぶどうの美味しかったこと」という他には

   苦労話しか聞いておりません。23歳と20歳で結婚した父と母。

   家長は祖父で小姑(父の姉)も煩く、「あなたが赤ん坊の時は監獄に入った方がまし」

   と思った程、ああせいこうせいの日々だったようです。

 

   後年に知った事ですが、私が生まれる前年に父の末弟が幼稚園で事故で

   亡くなったそうで、いきおい私は過干渉の子育ての対象になりました。

   もともとひ弱な子供でしたから、赤とんぼの黒焼きとか孫太郎虫とか飲まされ

   なんでもアブナイアレダメコレダメだったようです。

   私自身は、そういうものだと思っていましたが、身体能力は惨めなものでした。

      もちろん幼稚園には入れられませんでした

      或る意味 ひきこもり幼児

   いいえ伯母が私をペットにして何処へでも連れ歩きました。

   これがまことに非常識な女人で・・・・・(言っちゃった)

   ある年齢になると子供心に辟易しておりました。


      (行き当たりばったりですが、こんな調子で)


 83歳の誕生日 1

2016年09月22日 | 日記

  

   今日は私の83歳の誕生日です。

   今年に入って、いよいよ自分の末期高齢者感が濃くなって来ました。

   昭和8年 1933年 生まれ  長く生きております。

   天皇陛下と同年生まれですから、先日の生前退位のお気持ちは

   痛いほど理解出来ました。  平民といたしましても・・・・・

 

   日露・日清戦争と勝利を得て、日本は過剰な自信に溢れ

   軍国主義のムードは子供たちをも包んでおりました。

   どの家庭にも明治・大正・昭和の天皇・皇后の大礼服をお召の写真が長押に

   飾られておりました。  神国日本。 信じて疑いませんでした。

   国民学校に入ってまもなく大東亜戦争(第二次世界大戦)勃発

   昭和16年12月8日。    まもなく父と叔父が召集。

   あっと言う間に身の回りから 物品 が姿を消した 

   小学校時代はほぼ戦時中・・・・日に日に生活が厳しくなった 

   東北の中都市 石巻市 の子供の私はまだまだ恵まれておりました。

   クラスには疎開の子供たちが入ってきました。

      垢抜けした言葉や動作に瞠目するばかり・・・・

   うちのクラスの担任はとても厳しく、特に「いじめ」「不平等」を禁じて

   おりましたから、私は田舎の子のコンプレックスだけで

   都会育ちの子らを羨ましく見上げておりました。

      あまり思惟というものを持っておりませんでしたネ 

 

   行き当たりばったりですが、書いて見ますかなぁ・・・・・

 


高齢者とスマホ

2016年09月18日 | グランドホーム便り

先日御配慮を頂き入居者のパソコンやスマホの相談に乗って頂き本当に助かりました。
それにしても家族や友人から情報を得る事が難しい高齢者。
そろそろガラケイからスマホに切り替えたい! のにどうしたら良いの?

解りやすい解説書と言っても、実際はかなり使って見て初めて納得。

     ブッキャケ質問の仕方にも悩みます。

友達感覚で解説してくれる超初級解説書が欲しいねー

日に日に新しい端末が登場しています。その中から自分に
合った物を選びアプリを使って見て楽しむことを体験する。

私が5年程前に初めてタブレットを購入した時、「何をしたいのですか?」
と訊かれて言葉に詰まりました。
何となしにガラケイ➕インタネット機能としか認識がなく
多分インターネットはパソコンを使うので、さてどうしたものか?!

果たして宝の持ち腐れ期間は長かったと思います。

確かにそれぞれ興味の対象も違い、スキルも千差万別。
私程度が訊かれてもお手上げであります。
しかし……仕事に使うので無ければ高齢者にも十分楽しめると思います。

問題は機種毎に使い勝手が異なる事。(流石先日のスタッフはオールマイティ)

自分が作って見ようかなぁ〜   「超初心者のアプリ物語」

   せめて相談のポイント位は見付けられ様に