兎も角も

ともかくもいちにちぐらしとぞんずべくそうろう ・・・ 芭蕉

思い出

2012年11月09日 | 身近なこと
昨日は、はらから三人、実家の庭について語り合いました。弟が小さなころのことをとてもよく覚えていて話してくれたので、私は懐かしい気持ちになりました。


その庭は、私が生まれる前に亡くなった祖父が作りました。祖父は育てた花を近くの子どもたちが摘みに来ると、「また蝶々さんたちが来たね」と、喜んで見ていたと父から聞きました。 玉簾(ゼフィランサス)の花で縁取りされた花壇はしばらくはそのまま残っていましたので、私も覚えています。

弟は「じいさんの気持ちがよく表れている庭だったよ」と言いました。 風流という趣はなく、実のなる木が多かったのです。 ウメ、ヤマモモ、ナツメ、イチジク、グミ、ブドウ、ザクロ、キンカン、なかでも柿の木は13本ありました。 弟が「今よりずっと食糧や甘味が貴重な時代だったからね。あそこの土地だって実によく考えられた場所だよ」 「それにね、あそこにはたくさんの虫たちがいたんだよ」 そうそう、弟はチャンバラ遊びが好きでしたが、虫愛ずるおのこでもありました。

「みんなの樹があったの、知ってる?」と、弟。 もちろん、私も知っていました。父の樹はイチョウ、私は赤い八重の椿、弟は幹が大人でも手が回らないほど大きく育ったヤマモモ、9歳違いの妹にはずーっと遅くなって成人式の頃に菊桃が植えられました。 弟は祖母に背負われて「『このヤマモモはあなたの樹だからね』と、いつも言われていたよ」と言いました。祖母の樹が松であったとは、私は知りませんでした。 とすると、祖父の樹は松の近くのマキかイトヒバかギンモクセイか?  追記→違いました。祖父の樹はきっとヒノキです。マツもヒノキも良い姿でしたがほっそりとしていました。

「俺の樹だと言われていたのに、突然ばっさり引き抜かれていたのだ」弟は薄く笑いました。「庭はすっかり変わってしまった。全く違ってしまったのだから何の愛着もないよ」と。 


そうか…誰もあそこに帰る事はないのだな。 ヤマモモは切詰められて他家にもらわれ、柿の木はすべて切り倒され、松と菊桃は枯れ、花壇は芝生に代わった。 そうだね…心にあるんだから、それでいいのだね。弟は覚えていることを絵に描くと言っていました。 私も、てらてらと波打つガラスを通して見ていた笹薮の向こうの夕焼け空を忘れません。


  

    ふるさとは更地になりて月こうこう
 
     
          (何年か前に夫の実家を見ての句。
            義父の枯池も、竹藪のなかのお稲荷さんも…)