画家・絵本作家・随筆家と、多方面にわたって活躍されていた≪安野光雅≫さんが、昨年の暮れに亡くなられた。
でも私がその死を知ったのは、今年になって大分経ってからだった。
安野さんは、1926年3月、島根県鹿足郡津和野町の生まれ。
津和野と言えば、私のふるさと・益田市の隣の町だ。
「山陰の小京都」とも呼ばれる津和野
津和野には白壁の家並みが多く、街中には鯉が泳いでいる。
安野さんの功績を讃え、津和野の街に溶けこむように建てられた「安野光雅美術館」
同郷とまでは言えないが、益田育ちの人間にとっては、津和野生まれの安野さんは、それだけでとても親しみの持てる
方だ。
加えて、彼の優しく大らかで機知に富んだ絵(それは、安野さんの性格そのものだとも思う)が、私たちに安野さんを、より
一層身近で親しみのもてる存在にしている。
先々週の「日曜美術館」は、安野さんの死を悼む意味で、2012年9月に放送された「日曜美術館」の再放送をしていた。
2012年だから、安野さんが86歳のときの放送ということになる。
(安野さんは多方面で活躍されたが、ここでは、この再放送の日曜美術館の内容に従って、彼の絵の世界を見ていくこと
にします。)
彼は昔から旅が好きで、若い頃から外国を旅され、その旅は、後年まで続けられた。
外国の街角で(ベネチアかな?)スケッチされる安野さん
その旅をもとにして、次々と『旅の絵本』を創られる。
最初に描かれた「中部ヨーロッパ編」
「中部ヨーロッパ編」の1ページ
この画面に入り切れない程の『旅の絵本』
そしてこの回の日曜美術館では、安野さんが、ふるさと・津和野から始まる、「旅の絵本・日本編」を創られる過程を追って
いた。
(その中から僅かですが何ページかを、下に紹介します。)
『旅の絵本・日本編』の始まりは、津和野の駅前風景
駅前風景の一部を拡大したもの
上の絵の、校庭の部分を拡大したもの
こうして見ると、安野さんの絵は、どれもとても優しく、しかも的確に、風景や建物や人物が描かれている。
対象に対する安野さんの愛情があふれている。
だから、安野さんの絵を見ていると、こちらも優しくなれるのだと思う。
そんな安野さんがとても親しくし又尊敬もされていたのが、「街道をゆく」の挿絵を頼まれて、一緒に旅された司馬遼太郎
さんだったそうだ。
その司馬さんが突然亡くなられたのは、安野さんにとって、大きな痛手であり悲しみであったそうだ。
最後に、その司馬さんとのツウショットと、故郷の青野山に向かってスケッチされてる安野さんの写真を載せます。
この写真、私はとっても好き!
この日曜美術館の時点で、安野さんは既に86歳、それまでに心臓の発作にも襲われ、肺がんにもなられている。
その病についても、番組の中で、彼は淡々と語られていた。(その姿にも、私は心打たれた。)
その後、9年の歳月が流れ、安野さんは96歳の天寿を全うされたということになる。
全くの想像だが、私は、安野さんが悠然と自然体で旅立たれたような気がしてならない。
素敵な先達を失ったことは悲しいけれど、安野さんは今でも優しい微笑みを浮かべて、私たちの傍に立ってくださっている
ような気がしてならない。