かつてテレビで見た画家の絵は、当時の私の心に、深い共感とともに、強烈な衝撃を与えるものだった。
「飛べなくなった人」
「囚人」
画家の名は、石田徹也。
武蔵野美術大学卒業後、アルバイトをしながら絵を描き続け、2005年、31歳の若さで、踏切事故で亡くなった。
今秋から来年初めにかけて、「足利美術館」を皮切りに、幾つかの美術館で、彼の展覧会が開かれる。
それを受けて、9月29日の「日曜美術館」で、石田徹也の絵が再び取り上げられた。
(番組で紹介された、彼の絵の何枚か)
「トイレへ逃げ込む人」
「社長の傘の下」
「荷」 「兵士」
「燃料補給のような食事」
石田徹也が亡くなって、8年。
その間に開かれた彼の展覧会を観た人たちは、一様に彼の絵に強い共感を覚え、その気持ちを『展覧会ノート』に綴られている。
(その『展覧会ノート』に書かれた、何人かの方の言葉)
「今を生きる人の心の叫びが響いてくる」
「見ている間ずっと鳥肌立ちっぱなし」
「絵の中に魂が詰まっている」
「60ババアがほろほろと泣きました」
「生きるって苦しいよね」
「こんなにもわかってくれる人がいたんだというホッとした気持ち」
「私は生きていくのがとても切なく自殺を考えることがある。“切ないのは君だけじゃないんだよ。他にも切ない人がいるんだよ”と言っている
ような気がします」
組織にがんじがらめにされ、自由を奪われて、モノのように扱われる、若者やサラリーマンたち。
生きにくい今の世の中で苦しんでいる人たちの気持ちを、彼の絵が代弁してくれていることがよく分かる。
私が彼の絵から受けた衝撃も、上の展覧会ノートの言葉と同じようなものだった。
ただ今回の番組で初めて見た、2枚の彼の絵(下の写真)は、私に新たな課題を突き付けるものだった。
「彼方」
「捜索」
上の二つの絵は、私がこれから向き合わなければならない≪死≫をテーマにしたものだ(と思う)。
特に上の絵は、病と死の苦しみを、情け容赦なく描いているように思われる。
私は、この絵を見ながら、果たして私は、病の苦しみと死の恐怖を乗り越え、生を全うすることができるだろうか?と、自問する。
今のところ、答えは出ない。
でもとにかく、私はこの絵から目をそむけることなく、これからの自分の人生をシッカリ歩んでいかなければ、と思う。
それにしても、こんなに才能にあふれた彼が31歳の若さで夭折されたことは、本当に残念だ。
踏切事故による死ということで、自殺の疑いもあると言われているそうだ。
彼の生活振り、物事の突き詰め方を見ていると、その可能性が無くもないような気もしてくる。(これは、全くの私見だが)
彼の最後の作品になった「自画像」を見ていると、その思いが強くなってくるような気もするのだが‥。
でも、それはさて置き、彼の絵が、多くの人々と人生の辛さを共有することで、人々を癒し励まし続けていることは、間違いない。
彼の絵は、あらゆる意味で、人々の心に深く沁み入るものだ。
私も、彼から与えられた課題を心の中でじっくりあたためながら、残りの人生を歩んでいきたいと思っている。