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私の知らない父になる。

2022-08-29 20:48:34 | 商品掌編

『私のお父さんは、とてもやさしい人です』
 いつかの作文に、私はそう書いた。嘘ではない。父は声を荒らげたことなどないし、母との仲も悪くなかったと思う。しかし、具体的にどうやさしい人だったのかと問われると、何ものエピソードも浮かばない。
 残り三枚の原稿用紙をどうやって埋めたのか、数十年経った今となっては、もう思い出せない。父親のいない誠くんが「僕は書かなくていいですか」と、気まずそうに挙手をした光景ばかりが思い起こされる。
 父について、私はよく知らない。実家をでるまでの十八年間、ひとつ屋根の下で過ごしたはずなのに、これといった思い出が出てこなかった。
 昔の話をして、どの程度記憶がハッキリしているのか確かめようと考えたのだけれど、私と父の間には共通の思い出が少なすぎる。
 実家で過ごすのは、母の葬儀以来なので、五年ぶりだった。
 離婚した私に「だったら戻ってくるか」なんて言葉をかけてくれたことに、ひどく驚いた。それが五年ぶりの親子の会話だった。
 忌々しい思い出のこびりついたマンションを引き払って、実家に帰った初日、父の部屋の本棚に、気になるものを見つけた。
 以前から本はよく読む人だったので、大量の本が並んでいるのは予想していた。その割にはきちんと整理されていて、埃もたまっていない。
 意外ときれい好きだったのか、それとも、母がいなくなってから掃除する習慣が身についたのだろうか。
 問題のものは、いくつかある本棚の一角に並んでいた。『傾いた惑星』という文庫本だ。老舗の出版社のもので、著者名は、桜望梅となっている。
 映像化した作品しか知らない私にはピンとこなかったが、カバーに書かれた説明を見るに、それなりの人気作らしい。
 その『傾いた惑星』が、きれいに五冊並んでいた。
「なんで?」
 間違って買ったにしては、多すぎる。私だって、うっかり同じマンガを買ってしまった経験くらいある。二冊持っていた『よつばと』の七巻は、引っ越しの際に処分した。
 しかし、五冊はやはりおかしいだろう。
「惚けた……?」
 嫌な考えが、脳裏をよぎる。
『ご飯はまだかい』『嫌だなあ、さっき食べたでしょ』なんてベタなやりとりを、自分の親とすると考えると、冷たいものが背筋を走った。まったく笑えない。
 母を看病するため、定年より少し早めに退職したので、仕事はしていない。母が亡くなってから、家でひとり、何をしていたのかを伺い知る手段はない。ときおり電話で話す限りでは異変を感じなかったが、今までそういう視点で父を見たことがないので、兆候を見過ごしていないとは言い切れなかった。仕事を辞めると、急にがっくりくるとは聞いたことがある。趣味でも見つけていればいいのだけれど、元々ひとりを好む人だ。自分でカルチャースクールに通うような社交性は望めない。
 母が大病を患った際に、どこで聞きつけたのか、様々なものを勧める人間が周囲をうろつき始めた。
 信心が足りないからだと入信を迫る人。
 未承認の高額医療を斡旋するとすり寄る人。
 しいたけで治る、など根拠のない話を押しつけてくる人。
 そんな胡乱な人間たちを、父は「標準医療以外はいらない」と突っぱねた。
 母には誰ひとり近づけず、話はすべて父が聞いた。聞いたうえで淡々と質問を重ね、相手が答えにつまると「お帰りください」と頭を下げた。
『これがあれば、助かったかもしれないのに』
 呪詛のような言葉にも、耳を貸さない強さがあった。
 あれほどしっかりしていた父が、惚けてしまったなんて信じられない。
 不安になる出来事が、もうひとつあった。
 せっかくなので近所の店で一緒に食事でもしよう、と父を誘った。私は用事があったので直接店で待ち合わせをしたのだけれど、父はたっぷり一時間も遅刻をした。遅れて店に入ってきた父の額には汗が浮かんでいた。年をとると汗をかきにくくなるそうなので、本当に焦っていたのだろう。
「どうしたの?」
「すまん、前の予定が長引いた」
 なんとなく、嘘っぽいと感じた。
 失礼な言い方だが、父に何か用事があったとは思えない。何をしていたのかと聞いても、言葉を濁すばかりで、まともに答えてはくれなかった。
 忘れていたのでは、という疑問が拭えない。それでも、手早く注文を済ませて、笑顔で食事を口に運ぶ父が、まだ健在だと信じたかった。
 惚け始めても、常に惚けているわけではない。意識がはっきりしているときと、曖昧なときをいったり来たりすると聞いている。だからこそ、自分が信じられなくなって、
 いっそパチンとボタンと押すように、一気に惚けてしまえば楽なのに、と親の介護をしていた友人の言葉が頭に残っている。
 決定的な事態が起きたのは、父と過ごすようになって一週間が経ったころだ。
 父が風呂に入っている間に、部屋の本棚を見に行った。
 友人に父のことを相談したら「布教用じゃない?」と言われたのだ。熱狂的なファンになると、自分が読むものとは別に、保存用と布教用で複数冊購入することもあるらしい。
 それを聞いて、ほっとしたものの、友人の少ない父が、誰かに本をプレゼントしている光景がイメージできなかった。並んだ文庫本の背表紙は『もうお前が知っている父ではない』という可能性を突きつけてくる。
 仮に布教活動をするほどの熱狂的なファンだとすれば、同じ作者の本を他にも持っているはずだ。
 最初に文庫本を見つけたときには見落としていた。単行本が収まっている棚にも、同じタイトルが八冊並んでいる。
「嘘でしょ……」
「何やってるんだ」
 気づけば、背後に父がいた。
 声に驚いて振り返ると、こわばった表情でこちらを見つめている父が、逆光のなかに立っていた。
「あ、いや、何か本でも借りようかと」
 すぐにばれる嘘をつく。私が本を読まないことは、父もよく知っている。
「わ、私も最近は本とか読むようになったんだよ」
 家を出てからの数十年で私だって変わったのだと、自分に言い聞かせながら、言い訳を口にした。
 子供のつく嘘なんて、親からすればバレバレなのだろう。それは四十を超えた今でも変わらない。父の表情は固いままだった。
「見たのか?」
「見たって、何を?」
 やはり父は自覚しているのだ。自分が惚け始めていることを。そう思うと、沈んだ気持ちになると同時に、覚悟が決まった。
「お父さん?」
 知られたくないだろうが、認めないことには先へは進めない。父に必要なのは、医療と家族のサポートだ。私にできることを、するしかない。これはその最初の一歩だ。
「私、もう気づいてる」
「そうか」と短く答えると、父は諦めたように笑った。
「惚けてるんだよね」
「は?」
 私の言葉に、父が本当に驚いた顔をした。
「誰が?」
「いや、お父さん」
「え?」
「だって、同じ本を何冊も買っちゃったり、待ち合わせの時間を忘れたり……」
「違う!」
 違う違うと焦りながら繰り返す父に、何がどう違うんだ、と説明を求める。
「俺が、桜望梅なんだ」
 照れくさそうに、頭をかく。
 お父さんって、自分のこと、俺って呼ぶんだ、なんて関係のないことばかり気になってしまう。
「桜望梅? 何?」
「その本の作者。それ、俺が書いたんだ」
 私の手元にある『傾いた惑星』の文庫本を父が指差す。
「仕事辞めてから暇でな」
 母が死んで少し経ったころ、小説を書いて新人賞に投稿したら、見事に受賞したのだという。
「本を出すと、著者も十冊くらいもらえるんだ。いくつかは知り合いにあげたんだが、配りきれなくてな」
「お父さんが、小説家?」
 待ち合わせに遅れてきたのは、編集者との打ち合わせが長引いたからだという。本当に用事があったのだ。
 痴呆は誤解だったけれど、やはり父は、私の知っている父ではなくなっていた。
 四十を超えて、作文なんて書くことはない。
 だけど今なら、父についてもう少し何か書ける気がした。いつかくるその日の前に、私は父について、もっと知ろうと思う。


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