傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

産経新聞会見拒否:「ペンの暴力?」 傲慢と傲慢の痴話喧嘩

2012-02-25 07:36:42 | 社会

前原誠司・政調会長が、「言うだけ番長」表現した産経新聞を「ペンの暴力」だと取材拒否した事柄は、「ペンの暴力だ」と「やれ、報道の自由の侵害」の様相で賑わしているが、傲慢と傲慢の痴話喧嘩にすぎないですね。
前原誠司・政調会長、産経新聞が「ペンの暴力」を「ペンは剣より強し」の意味で批難しあっているのであれば、本来の「ペンは剣より強し」を誤用していますね。

「ペンは剣より強し」について、本ブログ「朝日新聞社説:『小沢氏公判―政治家失格は明らかだ』・・・偏向も過剰」で、本来の「ペンは剣より強し」は、「権力のもとでは、ペンは剣より強し」の意味であり、

ブログ「練馬区大泉学園・「もんじゃ焼きお好み焼き わらべ」のつぶやき 今日も元気だ!もんじゃがうまい!」様のエントリー『権力のもとでは、ペンは剣よりも強し』で、

”「(ペンは剣より強し)その言葉の意味は、
”【思想や言論が人に与える影響は、武力よりも強い力を持っている。】”
というように一般的に理解され、文筆家、新聞記者が憎い相手に筆誅を与えるときに便利に使われ、今では、剣というのは、権力の意味に使われていて、政権の中枢にいる人間を攻撃するときに、便利に使われてます。
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実は、リシュリューが言ったのは、「権力のもとでは、ペンは剣よりも強い」ということだったそうでそれが間違って伝えられてきたそうです。
つまりリシュリューは、
”【国家に反旗を翻し、反乱を企てる輩に対して、いつでも逮捕状や死刑執行命令にペンでサインが出来るんだぞ】”
と脅したのです。
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「ペンは剣よりも強し」という意味が間違って伝えられ、新聞記者たちがこの間違いの方を便利に使ってきたことが、僕には、日本にとって大きな不幸であり、日本に健全なジャーナリズムを育てることの大きな障害になったと感じます。

今の日本の新聞記者、ジャーナリスト、テレビなどの放送も含めたマスコミは、なんかどこかで、俺らのペンの力でいくらでも権力なんて倒せるんだぞみたいな傲慢さを感じるんですよ。

本来なら、僕は、マスコミは、もっと謙虚に、所詮権力には対抗できないかもしれないけど、でも少しでも権力の横暴は阻止しないといけないから頑張るよっていう姿勢であった方が、僕は国民も馬鹿じゃないし、健全なマスコミが育つのだと感じるけどいかがですか?

今、マスゴミなどと揶揄されてるのは、国民がマスコミに横暴さ、傲慢さを感じてるからだと思うのです。
僕は、マスコミのこの横暴さを生んだ、助長したのが、この「ペンは剣よりも強し」の言葉の意味を誤って伝えてきたことにあるのでは?って思うのでよ。・・・・・・・・・・」”

と書いており、同感の思います
。」”

と書き、朝日新聞の社説を、国家権力の御用報道機関として、その気になれば「権力(と協働の)もとでは、ペンは剣より強し」の語句を用いて批判しました。

要は、国家権力の一翼をになう前原・政調会長は、国家にイチャモンをつける人間に、その気になれば、出入り禁止・取引禁止命令書にサインできる立場であり、国家権力の横暴にペンの力で戦う産経新聞の立場であるが、所詮、権力側と協働し商売する側であり、会見取材拒否は、両者の互恵関係の傲慢と傲慢の痴話喧嘩に過ぎないのであり、放置しとけば寄りを戻すだけの話です。

本ブログで、ブログ「永田町異聞」様の『フルオープン小沢会見にみる政策記者の不在』を紹介しましたが、新聞記者の劣化、記者クラブの弊害があることは事実ですが、前原・政調会長にも、飼い犬に「言うだけ番長」とかまれる未熟な傲慢さがあることも否めませんね。



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