ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

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野口武彦『安政江戸地震 災害と政治権力』(ちくま学芸文庫)その2  ;追記NHKスペシャル「大江戸」

2018-04-24 15:26:27 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
前回の続きです。

野口武彦『安政江戸地震 災害と政治権力』について

「南北両町奉行は無事でだった。」(156ページ)
(このことは重要なようです。)
当夜のうちに(安政2年10月2日(旧暦)現在の時刻で午後10時頃に地震)
町奉行所の実動メンバーが合議,緊急方針を取りまとめる。
1.焚き出し。握り飯の配布。
2.宿無しになった者のために御救小屋を建てること。
3.怪我人のすみやかな手当。
4.諸問屋総代を呼び出し,日用品並びに必需品を買い集めること。
5.職人組合総代を呼び出し,国々から諸職人を呼び集めること。
6.売り惜しみ,買い占めの奸商を警戒。
7.物価・手間賃引き上げの取締り。
8.与力・同心が町中を廻って救助そのほか取締り。
9.町名主に掛りを申し付けること(非常掛名主を臨時設置)。(158ページ)

(定式窮民御救・・・老齢,孤児,病弱者,障害者などの窮民に対して   
         いわゆる今日の生活保護)

「御救米」支給のために特別に人別帳を作成。(173ページ)
→「其日稼ぎの者」(すなわち都市プロレタリアート)
 これをいろいろな史料(『武江地動の記』など)から推定すると,
 38万1200人余りとなる。
 一部は御救小屋,一部は在方。
 
 
町会所の臨時御救を整理してみると,
 10月3日から19日まで御救小屋収容以外の窮民の
 延べ人数20万2400人に握り飯を配る。
 11月15日から11月24日まで
 38万1200人余りに白米支給。
(この年は豊作だったため,込めの備蓄が46万石あった。)

上のような公的な救済活動以外にも,
町方施行(まちかたせぎょう)
善行の数々は町奉行から顕彰され,
全記録が『撰要永久録』に残っている。



「御救」に関するものを少し書きあげました。
はっきり言って,ビックリです。
江戸時代もこのころになると,「御救」がこんなにあったんですね。
「こんなに」と書きましたが,
それがどのくらいのものなのかよくわかりませんが,
戦争がない江戸時代に
統治というものに関する考え方が
徐々に変化していったのだと思います。

野口氏のこの本は,
北原糸子『安政大地震と民衆』によるところが多いようです。
(野口氏が自分で言っています。)


しばらく,北原糸子氏や都司嘉宣氏の本などを読もうと思います。


PS.NHKスペシャル「大江戸」がおもしろいです。
なぜここに書いたかというと,・・・
第2集「驚異の成長!!あきんどが花開かせた”商都”」

天明の飢饉後,
打ちこわしされないために,商人たちが町会所を作り,
米を集め,蓄え,
施し・お救いをする。
という内容の話がありました。
上に「御救い」について書きましたが,
こんな理由があったのだ!
と,またまた勉強になりました。
(6月28日追記)





コメント (2)
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