盛徳寺から送っていただいていたパンフレットを見て,
「ここもいいかも?」と思っていた聖安寺(姫路市大津区天満)にも行きました。
盛徳寺で私の頭の中は「福井荘」でいっぱいになり,
それなら,福井荘の東の端,もちろん,魚吹八幡神社の祭りにも屋台を出している天満地区の浄土真宗本願寺派の寺にも行こう・・・と。
家から盛徳寺は自転車で5分ほど,
盛徳寺から聖安寺は・・・ちょっと遠いかなとも思ったのですが
車を止めるところがなかったら困るしと思い
そのまま自転車で・・・ちょっと道を間違えたこともあって15分か20分はかかりました。
でも,よーく考えると,祭りの時は,天満から盛徳寺のすぐ近くの魚吹八幡神社まで,
あの屋台をひいたり,かついだりするわけですよね。
天満の皆様,お疲れ様です。
福井荘は広いです。
魚吹八幡神社の祭りの範囲も広いです。
そんなことを考えながら,広い駐車場があった聖安寺に着きました。
門のところには,
「如来を信じられなくても 如来は決して見捨てない」
と書かれていました。
修行をする禅宗と
阿弥陀仏にすがる浄土真宗の違いをここだけでも感じ取ることができました。
本堂に入るとちょうど,古典尺八の演奏中。
本堂の中は,檀家の皆さんでしょうか?人がいっぱい。
本堂を見渡すと,姫路出身の丸投三代吉氏の襖絵に囲まれているといった感じで,なんともほんわかとした気持ちになれました。
でも,上を見ると,いかにも本願寺って感じの照明(?)(すみません,名前がわかりません。)
以前見た亀山本徳寺を少し狭くしたような,でも広々とした本堂でした。
(ちなみに,亀山本徳寺は「軍師官兵衛」では石山本願寺になっていました。そのくらいすごい寺院です。)
(亀山本徳寺は本堂は,幕末の西本願寺北集会所で,1792年建てられ仮御堂として使用されました。
1873年3月に播州本徳寺に移築され完工を見たという建物です。)
話が逸れました。ここは,亀山本徳寺の話ではありません。
でも,宗派による寺院のつくりの違いがわかるような気がしました。
話を戻して,
聖安寺です。
尺八の後,「中の見学がまだの方はどうぞ。」と呼ばれたので,
ほかの方もいっしょに中へ
丸投三代吉氏の祭りの絵はすごかったです,「生きる」という感じがしました。
元東大寺の清水公照氏の書もありました。
私でも名前を知っている人ですが,何でここに?と思ったら,姫路市(現在)出身の方なのですね。
杵屋の和菓子と抹茶もいただき,
再び本堂へ
今度は副住職のお話を聞きました。
聖安寺は500年前につくられ,この本堂は200年前に建てられたそうです。
500年前とは,ちょうど,蓮如の弟子が播磨に布教に来て広まったころです。
本堂は200年ほど前に,地域の人が少しずつ造ったそうです。
当時は新田開発も行われていて,大変だったとか・・・。
古文書もたくさん残っているそうですが,
調査・研究のために,大学等に依頼したりしないそうです。
というのが,
「以前,調査を頼むと,学者は仏様を解体しようとした。
でも,私たちにとっては,信仰の対象です。」
とのことで,調査・研究というのは,いやになったようです。
「え・・・,古文書たくさんあるのなら,見てみたい・・・。」と思ったのですが,
黙ってうなづくことにしました。
最近,カギを壊して侵入して,仏像等を壊した人がいるそうです。
副住職は嘆いておられました。(被害額は2000万円以上とか…)
一方で,修理をしてくれた京都のプロの方に感謝しておられました。
後で思ったのですが・・・
親鸞は「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
と言っているんですよね。(解釈が間違っていたらすみません。)
長々と書きましたが,もしもすべて読んでくださった人がおられたら,
ありがとうございました。
聖安寺は,現代進行形の信仰の寺であり,庶民の寺であり,
生きている寺であり,たくさんの檀家の方のための寺であり,
それでいて,人間味のある寺・・・と思いました。
初めて行った寺でしたが,そんな感じがしないのは,
実家の父の家も,母の家も大谷派とは言え,浄土真宗であるからかもしれません。
3軒の寺の中で私にとっては一番落ち着く寺でした。
後日,最後に行った臨済宗妙心寺派「龍門寺」のことを書きます。
「ここもいいかも?」と思っていた聖安寺(姫路市大津区天満)にも行きました。
盛徳寺で私の頭の中は「福井荘」でいっぱいになり,
それなら,福井荘の東の端,もちろん,魚吹八幡神社の祭りにも屋台を出している天満地区の浄土真宗本願寺派の寺にも行こう・・・と。
家から盛徳寺は自転車で5分ほど,
盛徳寺から聖安寺は・・・ちょっと遠いかなとも思ったのですが
車を止めるところがなかったら困るしと思い
そのまま自転車で・・・ちょっと道を間違えたこともあって15分か20分はかかりました。
でも,よーく考えると,祭りの時は,天満から盛徳寺のすぐ近くの魚吹八幡神社まで,
あの屋台をひいたり,かついだりするわけですよね。
天満の皆様,お疲れ様です。
福井荘は広いです。
魚吹八幡神社の祭りの範囲も広いです。
そんなことを考えながら,広い駐車場があった聖安寺に着きました。
門のところには,
「如来を信じられなくても 如来は決して見捨てない」
と書かれていました。
修行をする禅宗と
阿弥陀仏にすがる浄土真宗の違いをここだけでも感じ取ることができました。
本堂に入るとちょうど,古典尺八の演奏中。
本堂の中は,檀家の皆さんでしょうか?人がいっぱい。
本堂を見渡すと,姫路出身の丸投三代吉氏の襖絵に囲まれているといった感じで,なんともほんわかとした気持ちになれました。
でも,上を見ると,いかにも本願寺って感じの照明(?)(すみません,名前がわかりません。)
以前見た亀山本徳寺を少し狭くしたような,でも広々とした本堂でした。
(ちなみに,亀山本徳寺は「軍師官兵衛」では石山本願寺になっていました。そのくらいすごい寺院です。)
(亀山本徳寺は本堂は,幕末の西本願寺北集会所で,1792年建てられ仮御堂として使用されました。
1873年3月に播州本徳寺に移築され完工を見たという建物です。)
話が逸れました。ここは,亀山本徳寺の話ではありません。
でも,宗派による寺院のつくりの違いがわかるような気がしました。
話を戻して,
聖安寺です。
尺八の後,「中の見学がまだの方はどうぞ。」と呼ばれたので,
ほかの方もいっしょに中へ
丸投三代吉氏の祭りの絵はすごかったです,「生きる」という感じがしました。
元東大寺の清水公照氏の書もありました。
私でも名前を知っている人ですが,何でここに?と思ったら,姫路市(現在)出身の方なのですね。
杵屋の和菓子と抹茶もいただき,
再び本堂へ
今度は副住職のお話を聞きました。
聖安寺は500年前につくられ,この本堂は200年前に建てられたそうです。
500年前とは,ちょうど,蓮如の弟子が播磨に布教に来て広まったころです。
本堂は200年ほど前に,地域の人が少しずつ造ったそうです。
当時は新田開発も行われていて,大変だったとか・・・。
古文書もたくさん残っているそうですが,
調査・研究のために,大学等に依頼したりしないそうです。
というのが,
「以前,調査を頼むと,学者は仏様を解体しようとした。
でも,私たちにとっては,信仰の対象です。」
とのことで,調査・研究というのは,いやになったようです。
「え・・・,古文書たくさんあるのなら,見てみたい・・・。」と思ったのですが,
黙ってうなづくことにしました。
最近,カギを壊して侵入して,仏像等を壊した人がいるそうです。
副住職は嘆いておられました。(被害額は2000万円以上とか…)
一方で,修理をしてくれた京都のプロの方に感謝しておられました。
後で思ったのですが・・・
親鸞は「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
と言っているんですよね。(解釈が間違っていたらすみません。)
長々と書きましたが,もしもすべて読んでくださった人がおられたら,
ありがとうございました。
聖安寺は,現代進行形の信仰の寺であり,庶民の寺であり,
生きている寺であり,たくさんの檀家の方のための寺であり,
それでいて,人間味のある寺・・・と思いました。
初めて行った寺でしたが,そんな感じがしないのは,
実家の父の家も,母の家も大谷派とは言え,浄土真宗であるからかもしれません。
3軒の寺の中で私にとっては一番落ち着く寺でした。
後日,最後に行った臨済宗妙心寺派「龍門寺」のことを書きます。