のほほん癌ばらない日記

卵巣癌根治手術から10年が経ちました。治療中のカルテ公開やその後の日常を日記に。最近、放置が多いです。σ^_^;

癌の告知(2)

2006年02月20日 12時44分22秒 | 病気
闘病記としてはちょっと後戻りですが「告知」の話を。

抗癌剤治療も終わり以前の生活に近づこうと努力しているところですが
余命数ヶ月と言われていた私がこんなに元気になれたのはどうしてかなと考えた時
「告知の仕方」も大きかったのではないかと思います。

入院当初や治療効果が判らない時には知らなかったことで
もう大丈夫と判って無理矢理聞き出した「余命数ヶ月」情報です。

もし癌の告知と同時に「貴方は後数ヶ月の命です。人工肛門をつけて
食べられるようにしますから好きなものを食べてください。」と言われていたら
今の私は存在しなかったかもしれません。

いくら家族や友人達が大丈夫と励ましてくれても、抗癌剤の効果を謳われても
気持ちが「死」に向かっていてはどうしようもないのではないかと思います。

まだ告知を受けていない頃、実際は死も覚悟していたのですが
どこかしら「私は死なない」という気持ちが有ったと思うのです。
私が死んでも親も、家族も大丈夫、何の心配もない、
だから死も受け入れられると自分を納得させていたつもりでも
「死ぬ気がしない」というのが有ったと思います。

その頃は悟りでも開いたかのような気分になっていたように思うけど
実は心の奥底で「生」への執着心を捨てきれずにいたのでしょう。

だからこそこうして生きているのだと思います。

それがもし医師の手で「生」への希望を奪われたとしたら・・・

癌の告知は必要だと思います。
そうでないと最善の治療は出来ないと思いますから。
でも告知が死刑宣告になってはいけません。
医師と患者で共にどんな苦労をしても癌と闘おうという戦闘宣言で有って欲しいと思います。

夫の会社の社長は癌で奥様を亡くされました。
奥様は医師から「貴方は癌で後3ヶ月位の命でしょう」という告知を一人で聞かされたそうです。
社長はその事に激怒しご自分なりに奥様を支え奥様はそれから1年以上生き
息子さんの結婚式の晴れ姿もご覧になったそうです。
そんな辛い経験から私が癌と判った時社長は夫と共に医師の話を聞いてくれ
病院が適切かどうか医師は信頼できるかまで調べてくださったそうです。

社長のような体験者の支えがあって夫もこの体験を乗り切ってきたのでしょう。

私は医師にも恵まれこのような体験者の支えで「告知」を受けることが出来ました。
でも世の中には無神経な医師も存在するでしょう。
医師という仕事は並大抵の苦労ではないと思いますが
医師という職業を選んだ方達には「医は仁術」を肝に銘じて欲しいものです。

To be continue



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
希望 (きゃんべる)
2006-02-20 15:53:34
告知するときに突き放されると辛いですよね。「希望=治療方法」を一緒に言ってもらわんと。共闘体制だよね。
返信する
共闘だ! (のほほん)
2006-02-20 23:34:04
そうですよ!共闘!

ブログで知り合えた皆さんとも共闘!

そう思えるとどんどん力が湧いてくる!
返信する
うんうん (カラカラ)
2006-02-21 20:07:10
旦那様はもちろんのこと、社長様も素晴しいお心の持ち主ですね。

私も社長様のように、誰かの支えになる番がきっと来るだろうと思います。

だから、自分が感じた心の苦しみだけは忘れまいと思っています。
返信する
支え (のほほん)
2006-02-21 22:45:16
カラカラさんならきっと思いやりのあるやさしい支えになれると思います。

今でも、私の大事な支えですよ
返信する

コメントを投稿