のほほん癌ばらない日記

卵巣癌根治手術から10年が経ちました。治療中のカルテ公開やその後の日常を日記に。最近、放置が多いです。σ^_^;

初回手術後(2)

2006年02月14日 16時23分05秒 | 病気
この前書いた病気の話をチェックしてたら再びupしてしまいました。
これは続きということで・・・初心者なもんでぇ

'05年1月31日
外科病棟から最初にお世話になった婦人科病棟に移りました。
詰め所では「お帰りなさい」と声をかけてもらいました。
その時は「ああまだ此処でお世話にならなきゃいけないのか」位の気持ちでしたが
今、考えると病棟から送り出された時は戻ってこられないと
思われていたんだろうと思います。

それから婦人科主治医KDrと部長?のADrに説明を受けました。
「卵巣癌原発の転移性大腸癌。手術で取れるところは取り除いたが
まだ、癌は点々と残っている状態。このタイプの卵巣癌には良く効く抗癌剤があり
それで癌を小さくしてから手術で切除する。
ただし、抗癌剤はかなりの副作用があり嘔吐や脱毛は覚悟して欲しい」
ということでした。

その抗癌剤がタキソール+カルボプラチン
一番気になったのは脱毛。思わず「絶対抜けますか?」と
馬鹿な質問をしてしまいました。

血液検査の結果肝機能の数値が悪くて抗癌剤は先送り。
この頃は歩くのもままならない頃。
やってもやらなくてもこちらはまな板の鯉。
お任せするしかない状態です。

ぼちぼちベッドから離れたのもこの頃
息子に支えられトイレに行きました。
人工肛門に尿管にトイレに行く必要は無いはずですが
自前の肛門からもまだなにやら出てきてました。
入院した1月12日からずっと絶食だったのに
不思議でしかたありませんでした。まだ、残ってたのかしら?

翌2月1日には一人でトイレに行ってますので
私も結構頑張ったんだと今は
自分で自分を誉めてあげたい!(おぉ昔こんな言葉が流行った)

To be continue ・・・


初回手術後(1)

2006年02月14日 15時09分53秒 | 病気
ごめんなさい!m(_"_)m
2月9日にupしたのをミスしてまた出してしまいました。
お暇ならお読みください。スイマセン

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ICUには2泊したと思います。
全身麻酔は良く効いたみたいでなんだかずーっとぼんやりしていたようです。

術後に意識の確認をするのでしょうか
呼ばれて目を開けるとぼんやりした中にベッドを取り囲む家族の顔があり
「えぇー死ぬのかなぁ」と思ったんじゃないかなぁ
父に「お酒飲んだらあかんよ」と言ったのを覚えてます。
しかし、これが遺言では情けないですねぇ

次に目が覚めた時はあぁ生きてるわぁと思いました。
何人か一緒で中にお爺さんが一人(どうも認知症じゃないかと思うんですが)
夜中中騒いでいて眠ることが出来ずしっかり昼夜逆転してしまいました。
でも、することもなくただベッドでじっとしているので
お爺さんの訳の分からない会話を聞くのは面白くもありましたね。

卵巣癌と判っても人工肛門があるので初めは外科病棟でした。
身体中に管がある感じで身動きも取れずひたすら堪え忍んでたなぁ。
移動も車椅子に移るのすらしんどくて苦しかったです。
婦人科の説明があるから移動しようとしたら吐いてしまったことも。
でも看護師さんが頭を洗ってくれると言ってくれた時には
必死で耐えて洗ってもらったことも。
目的によってはいくらでも耐えられるもんですね。

外科には1週間程いて人工肛門を看護師さんが交換するのを見て
自分が出来るようにならないといけないんだと
プレッシャーみたいなものも感じていました。

その頃はトイレにも行けないので人工肛門は管を繋いで大きい袋に溜めてました。
その管の継ぎ目から良く漏れて寝間着やシーツを汚してたなぁ。
点滴スタンドには小用と大用の袋をさげ身体のあちこちから管が出てるし
あんなに太っていたのが痩せさらばえた姿はきっと哀れだったでしょう。

それなのに家族も友人達もみんな明るい笑顔でお見舞いに来てくれて
今思えば本当に助かりましたねぇ。感謝です。