ノグリの穴

映画をのぞいたら、プイプイっときた。

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母なる自然

2006-05-06 00:42:23 | Weblog
「大工さあ~ん。」
「おうっ。」
「この木ィ、ちょうだぁい。」
「おお、いいよ。もってけ。どうせ、すてっから。全部いいよ。こっちのくずは?」
「こっちで、いいの。くるくる巻ぐがら。」
「なぁに、まぐの?」
「たんぽぽ。」
「へぇ~、なぁに、うめぇもの、つぐってんだ。」
「ホテルで出すやつ、つぐってんの。」
「お、がんばれ、がんばれ。」

「ご苦労さまですぅ。たばご(一服)にして下さい。」
「やあ、どうも、もう、やってから、大丈夫ですぅ。」
「のぐちゃん、あんだも、たばご(おやつ)しないぃ?」
「・・・・・。」
「のぐちゃん、ケーキとジュースあるよ。」
「後ででぇいい。」
「ずいぶん、ままごと、すぎだっちゃねぇ。」
「ふふっ。」
「ここに来てがら、朝から晩まで、ずっと、やってるもんね。石で葉っぱこ、きざんだりして、一人でやってるもんね。」
「この辺、同じくらいの、歳の子いないもんでねぇ~。」
「でも。よぐ、あぎないでやってる。ふふっ、えらい料理つぐってんだっけ。(笑)」
「鳴子温泉ごっこって、ホテルの女将になってるみたいなんですぅ。(笑)」
「(笑)なにっすや。だったら、いそがしぃべぇね。(笑)ねぇちゃん、ケーキくわねのぉがぁ~」
「あら、ねぇちゃんじゃないんですぅ。」
「?」
「あんちゃん、なんです。」
「・・・・・。」
「のぐりー(男の名前)、それは、ケーキ食べでがら、やらいいん。」
「!」
「うん、わがったー。」
「!」
「おおー、あがい、服どが、着てっから、てっきり、あねこちゃんだど、おもってだぁ~。」
「いとこの女の子の、おさがり、山ほどあるから、着せでんですぅ。(笑)」
「お母さん、ヤクルトは?」
「へぇ~、ほんでまだ、おめぇ、ほんとに、おどごが?」
「?」
「チンチンついでんのが?」
「!」
「どれ、みせでみろ!」」
「(笑)」
「(キッと、にらむ。)」

↑事実をもとにした、フィクションです。(笑)
保育所に通う前の話、浴室を中心にリフォームしていた時のことです。
近所の年上の男の子から、譲り受けた、ヒーローものや、ダンプカーなどの、おもちゃには、一切見向きもせず、
ひたすら、ままごと、ままごと。
頭が下がるほどの、ままごと好きだったらしいです。
ノグリのちゃっけどき(小さい時)。
それにしても、お国言葉を字で読むと、微妙にニュアンスが出なくて、難しいもんです。

少し前になりますが、アンテナ22の『真夜中の新宿2丁目 自由奔放な魅惑の街』の放送をみました。
ヨウも、一緒にみてたんですが、放送内容に二人でイライラしてました。
その中で「ままごと」って、言葉が使われていたんです。
同棲カップルを表していました。
「俺らも、しょせん、ままごとよねぇ~」
「そうそう、ままごと。」
と、ふざけて、自嘲気味に言い合ってました。

ひどい、内容だった。

「おめら、作ってる番組なんて、ままごと以下だろ!!!」
「ままごと、ばかにすんじゃね~」

なんて、ことを、終わった後に、おもったりもしましたが、
ま、ああいう番組を作る側も、いろいろ事情があるんでしょうなあ、と、
今はおもう。視聴率とかね。

自分たちが、みたかった内容とは、違ってた、だけ。
でも、何をみたかったんだろ?

村上春樹の最新短編小説集『東京奇譚集』にある、「偶然の旅人」の主人公は、41歳の男性同性愛者でした。
大好きな村上春樹の主人公が短編とはいえ、それを題材に扱っているのは、
何年か前だったら、すごく、うれしがってた、はず。

でも、今は、うれしく、おもって、いない。
よく、書いたな、と、おもう、すごい、内容なんだけど。

「あんまり、好きじゃない。こういう主人公。」
ヨウがいいました。
そう、うん、なんか、自分も、入れない。入れなかった。

少し違うんです。
何が違うんだろ?

もう、「ままごとをする男の子」みたいな、わかりやすい切り口では、
脈々と生きてる血は、流れ出ないのでしょう。

自分たちの、気持ちをすくいとってくれる、メディア(作品)は、あらわれないのかしら?

この頃、ノグリは再び、そういうのばっか、探している気がする。


【母なる自然】2006.5.5
監督:マッシモ・アンドレイ 原題:Massimo Andrei

監督は「ナポリのアルモドバル」って、評されてるらしいです。
内容は・・・、忘れちゃった。←ブログに書くの遅いからだよ!
いろいろ、登場人物が出できて(もち、クィアな人々も)、わけわかんなくなっちゃった。
内容、薄っぺら、かったかしらね?

ナポリを舞台にしている点と、
男に生まれながら、女性として生きる主人公デジデリオを演じたのは、ほんとは女優さんだった点に、感心したわ。
舞台挨拶もあった。女優さん、けっこう女だ~。
てっきり、本物の性転換手術した人か、女性ぽい男性が演じてるとおもってた~

そうそう、主人公が「わたしは、女の気持ちも、男の気持ちも、わからない。」
みたいなことを、セリフで言ってたのが、すっとしたわ。
「どちっちも、わかるのよ~」とか、いってる、傲慢なヤツに、常々、言ってやりたかったからね。←自分かしら?
「おめえに、わかるかよ!!!」とかってね。
ま、傲慢に振舞う人も、いろいろ事情があるんでしょうけど。

何にせよ、すくわれる、作品ではなかった。

また今度。
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葉っぱの下に

2006-05-06 00:42:03 | Weblog
ゴールデンウィークはイタリア映画祭2006に行ってきました。
(って、今頃報告かよ!!!)
(もう、6月だっつーの!!!)

うふふふ、気にしない、気にしない、ノグリペース。

ゴールデンウィークって、わた菓子みたいな、気がしません?
ふわふわしていて、かさばって、甘くて、うれしいんだけど、
あれれ?という間に、割りばし一本、手に持って、終わっている。
(そんな気、しないっつーの!!!)

友達に誘われて、いったんですけど、今年で映画祭は6回目で恒例イベントになっていたんですね。知らなンダ~
ゴールデンウィークって、いっても、部活、アルバイト、仕事なんかが毎年入ってて、したくないことを仕方なくして、まともに休むという感じが、ないもんだったから、そんなイベントも目に入ってなかったみたいです。
今年は、休みもとれ、しかも予定もなかったの。

そもそも、『ゴールデンウィーク』は多くの人に映画を観てもらおうと、映画会社が作った造語らしいから。バレンタインデーにチョコを買うみたいに、ゴールデンウィークには映画を観るのが、鴨葱消費者の正しい行動だったはず!
なのに、多くの娯楽があふれ、映画は緩やかに、坂を下りだしているような、気がしません?
(しない。)

1895年、リュミエール兄弟がシネマトグラフ、つまり、わたしたちの知っている映画を発明した時、
映画は、色彩もなければ、音声もありませんでした。
商業的価値にも無関心だったし、興行的にも成功するとは考えてもいませんでした。
それより、ちょっと前の1889年。
エディソンがキネトスコープによって、世界で最初に写真の映像に、視覚の残像効果を利用して運動を与える実験に成功。
その時は、一人ずつ箱の形をした装置のなかを覗き込んで見るというものでした。
(つうか、何を言いたいの???)
だから。
友達とかが、パソコンでダウンロードして、「ネットで映画、みた」(違法)とか、きくんだけど、なんか、それって、「映画をみた」とは、
違うような気がするような…しないような…心にチクッて。
とか、言ってるノグリも「映画をみた」と言う主流は、レンタルビデオだったわけで、たぶん、昔の人(?)は、そんなの、「映画をみた」とは…
って、思っていたのかなって。
リュミエールのシネマトグラフじゃなくて、エディソンのキネトスコープになってない?
(例えが、わかりにくいよ!)

映画の制作と上映の形態は、もちろん、変わっていくでしょう。
でも、わたしたちのみたいものって、結局、何なんでしょう?
(知るかよ!)
それは、変わって、いってるのかしら?
(欲望は変わんないっしょ!)

あら、この、手に持っている、割りばし、何かしら?
(割りばしって、言ってんじゃ…)
ドスッ!!!
(ギャー!!!)

指揮棒?
おもうように、音楽を、とりまとめるものだっけ?

ふわふわしていて、かさばって、甘くて、夢のようなものに、包み込まれている。

あっ、この割りばしは、自分、か!

一本の、片方だけの、割りばし。

夢をみるのも、映画をみるのも、本を読むのも、恋愛をするのも、

そこに「自分」をみているのかしら?

雲をつかむような人生に、
わた菓子みたいなものにつつまれても、
自分は動かされていることを、知るだけ。

でも、心の風景が同じだったら、

寂しくない。

「自分」をみれば、

自由になる。


【葉っぱの下に】2006.5.5
ステファノ・キオディーニ監督 (2005) 12分の短編作品

この後の【母なる自然】の前に上映してたものです。
内容は、車椅子用の駐車場が葉っぱの下に隠れていたというオチの、
男女のやりとりが中心で、セリフが一つもなかった。
なが~い、公共広告機構CMみたいよ。
実際、外国のCM特集とかみると、オチまでセリフ無しの長いヤツとか、あって、
何を広告してるのか、後から、じんわり来るのがある。
【葉っぱの下に】はオチ以外に、じんわりと持たせている部分があるが、それが何なのか、よくわからなかった。
(…てめえ。)

映画と広告は、雲とわた菓子のように違う。
どっちがどっち?
(考えたくもねぇ。)
何をみた?
(うぜえ。)
同じじゃないと、寂しいね。
(きもい。)

また今度。

参考文献:『映画はついに百歳になった』四方田犬彦
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ウンベルトD

2006-05-04 23:56:34 | Weblog
夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る。
「あれに見えるは茶摘ぢやないか。あかねだすきに菅の笠。」
                        『茶摘』 文部省唱歌


駅の階段から降りてくる、中高年の男女。
年の割りに、おしゃれだ。ていうか、身なりがいいなと感じた。
(不倫じゃないね。)
(いきいきしてるし。)
(この辺に住んでる小金持ちの旅行帰りかしら?)
そんなことを思う間もなく、十九、二十歳の若造が現れる。
中高年の男女は、おおとか、ああとかいう、道端にアクセントをつけて、
右肩、左腕に別れて、ふれながら、
男「少しやせたんじゃ…?」
女「寒くない、薄着して~」
と、父親、母親になっていた。
息子はボソボソと何か言っている。
僕は平板に、ジムへ行く為、そこを通り抜ける。
そして、情報を得た後の、レスのないカキコ(想像)をする。
線路沿いを、歩きながら。

(GWの休みに一人暮らしの息子の所に会いに来たんだな。)
(両親の住んでるとこは首都圏ではないだろう。)
(飛行機とか、新幹線を使ってきた感じがする。)
(もっと離れている。海外かな?)
(んなわけないか。ついでに観光に来た、御上りさんにも見えるし。)
(でも、「俺が住んでた頃とは変わったなあ」とか、言いそうなオヤジでもない。)
(かーちゃんのパンツスーツのシックさや、とーちゃんのカジュアルな着こなしは、「都市」を意識させ、中に取り込んでる気がする。)
(大阪?)
(わからん。おかんも、おとんも、おしゃれってのが社交性が高そうだ。)
(けど、息子は可もなく不可もなく、普通の格好だったし。)
(頭、きれなそう!)
(両親に比べて、ハイソな雰囲気もない。)
(かわいいけどね。)
(いいとこの子で・・・ない、だろ。)
(でも、駅にちゃんと迎えに来る所をみると、いい子ではありそう。)
(この変の大学生だろうな。)
(一人暮らし!)
(そういえば、見るからに、一人暮らし、はじめました、百円ショップで生活道具をそろえてきましたって感じの、白くて、でかいビニール袋を両脇に抱えた若造君が、4月の初め頃、ここらへん通ってたな。)
(定期券買うのも、行列作ってて。)
(大変そう。)
(いや、ばっかみたい。)
(と、定期券とか、買ったことないから、思ってたな。)
(なんか、クリスマスにケン○ッキーごときを並ばなきゃならない、みたいな。)
(そこまでして、今買う、みたいな。)
(ケンタごときに)
(電車ごときに)
(並んじゃって。)
(あれから、一ヶ月。)
(もう、5月だ。)
(あの子は1年生かな?)
(4月に入学してたら、一ヶ月やそこらで、息子の体重のこと言わないよな。)
(もうちょうっと、経ってるみたい。)
(2年生あたりかな?)
(こっちの予備校に通ってたとかで~)
(1年生か~)

僕は歌を口ずさむ、妄想しながら。

「夏も」 (男の) 
「近づく」( 学生の) 
「八十八夜」 (一人暮らしの部屋) 
「チャンチャン♪」 (ムンムン♪) 
「野にも」 (のか~♡) 
「山にも」 (やまか~♡)
「若葉が茂る」 (若葉が茂る♡ ) 
「ルンルン♪」 (ティッシュの山かしら?)
「あれに見えるは・・・」 (あぁ~いいな・・・)

(ストーカー?)「自分が?(汗)」

ロマンスカーが満席で通る。

(みんな、休みでどっか行くんだな。)

(自分)

(ひとりだよ。)

電車の通る音に、かき消される程度に、僕は叫ぶ。
「茶摘がしたい!ちゃ~つみてよぉ~!」



季節がら・・・

男「おい、なんか聞こえるぞ。」
女「この辺いる、盛りがついた猫ちゃう。」

「あれ」に見えるはな・・・

【ウンベルトD】2006.4.
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ  イタリア(1951)

新茶が出回る頃ですな。
ノグリは、数ある緑茶飲料の中で、断然、伊○園の『お~いお茶』が好き。
なんですけど、『お~いお茶』にも、この時期「新茶」が出ます。
「新茶」ってのに、惹かれますけど、毎年、いまいちなんだよね。
今年もやっぱり、買って、飲んでしまって、
(だめだな~定番の方がいい。)と、思ったの。
恒例になりつつあるわ。
おいしく作ったら、まずいのかしら?

えーと、映画の感想ね。
NHKの深夜BSでやってた。タイトルがね、惹かれたの。
何なのかしら?【ウンベルトD】って、
のぞくまで、またまた、頭の中でレスのないカキコをしてたんです。
けど、どうってことないの。
人の名前。
主人公が「ウンベルト・D・フェラーリ」だから、ウンベルトD。
監督はヴィットリオ・デ・シーカ
おいしくない設定の、観ると「まずい」って、感じる映画を作る人です。
【ウンベルトD】は、ネオ・リアリズムですな。
つまらなくないですよ。面白いです。
今までのぞいた、【自転車泥棒】も【ひまわり】も
でも、まずくて、イライラする。
新茶なのに、映画なのに、まずいって、どういうこと!?

最後の場面。
ウンベルトが、飼い犬のフライクと公園で「取ってごらん」とかいって、松ぼっくりで遊んで・・・FINE
キラキラした、おいしいシーンですよ。
おーいお茶って感じ。
でも、その前の場面は、犬と一緒に電車に轢かれようとしてたんだから!!!
死んじゃいや!
新茶いや!って感じよ。←まずいしゃれ。

戦後、イタリアも都市部は住宅事情が悪かったんでしょうか?
インフレとか?

プライドはあるが、身寄りも、住む所もない、年金生活者ウンベルト(&犬)。
この後どうなるのか?

観る側にゆだねられています。

あぁ、レスのないカキコが・・・
()
()
()
また今度。
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