「雉も鳴かずば撃たれまいに」

2017-04-13 20:30:00 | 政治

民進党が常にゴタゴタする サマ を傍見するにつけ、何とかならぬものなのかと首を傾げている。

この度は 長島 昭久議員が 「共産党との連携は怪しからん」との不服を述べて離党された。
政策の連携じゃないでしょう。強行採決防止のため 野党票を増やそうの 手段連携 の筈じゃないの
彼の 本音” の実態はまぁすぐに具現する事でしょう。 政権与党の椅子狙いじゃないのかな

今日は 野田幹事長に、細野 豪志議員が党の代表代行辞任の申し出があったとのニュースがあった。
憲法改正について、執行部との基本姿勢の相違が辞任申し出の理由であったとの事だった。
リーダーたちがバラバラで、党の結束が望めるわけがない。

「纏まらない」のが民進党の問題点。10人10色の人間社会、俺が俺がの言い合いは論破合戦にすぎない。
考えを出し合い、最善または次善の策を練りだすのが人間の知恵、これが話し合いと言うものでしょう。
三人寄れば文殊の知恵じゃないですか・・・協力し合って下さいとお願いしたい。

私は富士山に抱かれた山麓で育った。雄大な富士山は雲の上から顔を出した美しい山だった。
學校からの帰り道、何故あのように富士山は高いのだろうと、漫然ながらよく考えたものだった。
80年の昔、1年生の夏休みに富士登山をした。富士吉田登山口、浅間神社から歩いた。
富士山は遠かった。歩いても歩いてもオチビさんの私には広い広い原野のみで、周囲はすそ野の一部分
だけであった。
私を疲れさせたあの広大な山麓 即ち 豊かな埋蔵物があってこその冨士山であった。
文字通リの浅学菲才、4年生になってやっとのこと山麓が貧弱であったなら高い富士山はあり得ないと
言う結論を得た。

社会人になって、周囲に多くの尊敬の的になる方々に接する機会が増えた。
と言うより、宮本武蔵の「我以外、皆我が師」ではないが、その精神を以て人に接する心構えで生きた。
見上げ、敬う方々は立派な人間力を兼ね備えた…言うなれば知識、教養、経験等々豊かなものを内包され
ていた方々だった。 人間も、山も豊かな基礎と言うか,力を備えるべきは共通だと確信したのだった。
だからこそ人に敬われ、仰ぎ見られておられるのだという肯定的な姿勢で周囲から貪欲に学んできた心算だ。

今日のブログのイントロは政治家だった。 耳は二つで口は一つ。二つ聞いて一つ言えは自己の充実に繋がる。
ペラぺラと喋りまくる。自
我を貫くに汲々の人物は世界観を狭め、痩せ衰えて行くのみで進歩は観られない。

山も同じです。風や、鳥が運ぶ種子で樹木、野草、野花を身につけ、苔も身につけ。
でないと、山は風雨に削られ徐々に小さくなる運命となる事でしょう。

よく見るじゃありませんか。傲慢なお方が人の口を封じ、喋るは喋るは自分の話に酔ってしまうケースだ
自分の話に溺れ、快感が昂じ興奮してくるとると感情が高まり
啖呵 を切るに至る。これは危険領域だ。
冷静時には考えられぬ大言壮語も飛び出し身を滅ぼす因ともなる。
「雉も鳴かずば撃たれまいに」と言う事なのでしょうね。

 






 

 



 












 

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