きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

人だって平気でだますし 笑顔だって涙だってあふれるさ

2008-09-21 20:32:47 | わるくない
いろいろ考えたことがぐるぐるしてるので、とりあえず書き留めておきます。

最近思うのは、自分が思ってることが、自分の思ってる相手の考えてることなんだよー、ってこと。

私、小学生のとき、よく台所で料理をしてるお母さんのところに絡んでいって、いまこういうこと考えてるでしょ、これのことこう思ってるでしょ、あれのことはこう思ってるんでしょ?って言っては、母の考えていることを当てようとするゲームみたいなことをよくしていたんです。
いつも母はそれに対してしらばっくれたり、「ご飯のこと考えてた」だとか「明日何するか考えてた」って答えていたのですけど、ある日私が何かに怒って、意地悪く、「ほんとはお母さんて私のことこうおもってるんでしょ?」って、自虐的になっていったら、「そういうのは全部ほんとはあんたの考えてることなんだよ」って言われたことがありました。
私としては、私の想像した「お母さんの思っていること」を言っているつもりだったから、「ちがう、これはおかあさんのかんがえてることだよ!」って言い張ってたんですが、いま思えば、自分で自分の考えてることのフィルターを通してでしか相手のことを想像し得ないわけだから、もしかしたらそう思っていた可能性はあるけれど、それ以前に自分が知っていることだった、っていうフィルタがあることにかわりはないわけで。

きっと、一回も嘘をついたことのない人は、相手が嘘をつくだなんて思えないと思うんです。そういう人がいる、っていう事実を受け止めたとしても、なぜやるかまでの理解が及ぶのは、自分もすこしでも体験したことがあるかないか、ということにかかわってくると思う。

だからきっと、自分が嘘をつけば、相手にも嘘をつかれる心配が大きくなるんだと思います。もっといえば、何かをする動機、嘘をつく理由までもが、自分の想像する相手の像にかかってきて、自分を苛むものなのだと思う。 

嘘をつかなかったり、誠実でいるのは、相手のためじゃなく、自分のためなんだ、ってすごく思う。自分が嘘をつくから、つかれる心配をするし、自分がずるい理由で嘘をつくから、ずるく嘘をつかれることを容易に想像できてしまう。苦しいし、しんどいこともあるけど、できるならば、それにあてつけのように返すのでなく、ただ胸をいためて、でもそのたびに元気に戻れるような人でありたい、と思いました。

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