アテネオリンピックもあったのに、「なぜいまさらシドニー?」(笑)と思わず自分でつっこみたくなってしまった。
知人の本棚にあった一冊。
以前一緒に仕事をさせてもらった増島さんの作品だが、まだ読んでなかったので借りて読んでみた。
長距離は好きだったので小学生のころちょっとだけ「マラソン選手もいいな」とおもったことがある。
たまたま妹も長距離が早かったので「2人で選手になるのもいいかな」なんておもったことも。
当時は宮崎・旭化成の宗選手兄弟が走っていたせいもあるかも?
マラソンは左右の足の長さの違いで足に負担がかかり、結果にも影響してくるという。
私は左右の足の長さがかなり違う。
友達のカイロプラクターに「すごいですね」と驚かれたぐらい。
マラソン選手には向いてないな。
さて本を読んで印象に残った言葉。
有森裕子の「毎日の練習がつらいから、当日の42.195kmはつらくない」
それよりも何よりも私が興味をもったのは、マラソン選手の寿命とオリンピック後の人生。
シドニーの代表選手として選ばれたのは高橋尚子、市橋有里、山口衛里の3人。
シドニーの金メダリストの高橋尚子は、アテネでは代表とはならなかったが今でも走ってる。
先に代表に選ばれるというメリットがありながらも、シドニーでも健闘できなかった市橋有里。
調べてみたら、所属のランナーズクラブもやめて、今現在どうしているかは不明。
山口衛里は五輪後も走ったものの、怪我に悩まされ引退したらしい。
市橋はよく覚えている。選考でもめたとき「なんでこの選手が、このタイムで先に内定がでたのか? やはり強化選手だからか?」と疑問におもったものだ。
世間の多くもそうおもったらしい。
五輪で人生が狂ったのか?、とおもわずにはいられない。
オリンピックという大舞台で注目をあびながらも、その後の人生が180度かわってしまった選手たちを見ると、「いまだに走り続けている人たちのすごさ」に敬意を表せずにはいられない。
「選手生活をやめざるをえないのは怪我のためか、肉体の限界か、それとも精神的な壁か」
オリンピックは残酷なイベントなのかも。
知人の本棚にあった一冊。
以前一緒に仕事をさせてもらった増島さんの作品だが、まだ読んでなかったので借りて読んでみた。
長距離は好きだったので小学生のころちょっとだけ「マラソン選手もいいな」とおもったことがある。
たまたま妹も長距離が早かったので「2人で選手になるのもいいかな」なんておもったことも。
当時は宮崎・旭化成の宗選手兄弟が走っていたせいもあるかも?
マラソンは左右の足の長さの違いで足に負担がかかり、結果にも影響してくるという。
私は左右の足の長さがかなり違う。
友達のカイロプラクターに「すごいですね」と驚かれたぐらい。
マラソン選手には向いてないな。
さて本を読んで印象に残った言葉。
有森裕子の「毎日の練習がつらいから、当日の42.195kmはつらくない」
それよりも何よりも私が興味をもったのは、マラソン選手の寿命とオリンピック後の人生。
シドニーの代表選手として選ばれたのは高橋尚子、市橋有里、山口衛里の3人。
シドニーの金メダリストの高橋尚子は、アテネでは代表とはならなかったが今でも走ってる。
先に代表に選ばれるというメリットがありながらも、シドニーでも健闘できなかった市橋有里。
調べてみたら、所属のランナーズクラブもやめて、今現在どうしているかは不明。
山口衛里は五輪後も走ったものの、怪我に悩まされ引退したらしい。
市橋はよく覚えている。選考でもめたとき「なんでこの選手が、このタイムで先に内定がでたのか? やはり強化選手だからか?」と疑問におもったものだ。
世間の多くもそうおもったらしい。
五輪で人生が狂ったのか?、とおもわずにはいられない。
オリンピックという大舞台で注目をあびながらも、その後の人生が180度かわってしまった選手たちを見ると、「いまだに走り続けている人たちのすごさ」に敬意を表せずにはいられない。
「選手生活をやめざるをえないのは怪我のためか、肉体の限界か、それとも精神的な壁か」
オリンピックは残酷なイベントなのかも。