中国不滞在記 in 神戸

行って見て聞いて考えた中国のこと

厳俊さんのこと

2013年09月21日 | 中国の人々
今日は金華は久方ぶりの雨。
中秋節も終わり、ここで暑さも一区切りだといいのだけれど。
そういえば、昨日の月は朧月夜で、これまたなかなか風情があった。


外教公寓の寝室 巨大なベッドは3人位寝られそうだ。

いささか旧聞に属するけれど・・・
大阪で小学校4年生の子供を、台風で増水した淀川から助け上げた中国人留学生の厳俊くん。

久々にいいニュースだった。いくら水泳が得意だとはいえ、濁流に飛び込めば、自分の命が危ういことは
誰にでもわかる。飛びこまなくても誰も責めることはできない。だが、この青年は迷わず飛び込んだ。

とてもうれしい話だった。別にこの青年が日本人であっても何人であってもすばらしいことなのだが、
中国人を見下げるような報道ばかりして、偏見を煽って何の反省もない日本のメディアに対して、
見事にしっぺ返しを食らわせてくれたからだ。

帰国すると、よくあることだが、中国がいかにひどい国かということを、ことさらに説明してくださる方がおられる。その例によく上げられるのが、中国のどこかの都市で女の子が車にはねられ、道路に横たわっているのに誰も助けようとせず、挙句の果てに別の車に何度も轢かれて死亡したという事件。

なぜそんなことになったのか。これはその前に起きた事件のためだ。
おばあさんが交通事故に遭い、倒れたおばあさんを助けようとした男性に、そのおばあさんは何と、お前がやったんだと喚いて賠償金を請求したのだ。このニュースは中国人なら大概知っている。メディアは全国ネットでこのおばあさんの身勝手な行動を非難したのだが、人々は、人助けをするとひどい目に遭いかねないと受け止め、自粛するようになったということだ。

まあ、そんな国で生活しているんだから気をつけなさい、と悪気なく忠告してくださっているのだが、
中国に暮らして、中国人に親切にしてもらうことも多い。
そんなわが身からすれば、聞いていて複雑な気分になる。
そうじゃない人もいっぱいいる。
そして厳俊くんはなぜ迷わず飛び込んだのだろうか。

3年の作文の授業で、このニュースとそしてそれに対する日本人のコメントをプロジェクターに映して、解説してから感想文を書いてもらった。
コメントの内容はもちろん厳さんの行いを称賛しているのだが、その褒め方がいやらしい。

「中国人にもこんないい人がいるんですね」
「中国に帰ったら、その公徳心を広めてほしいものだ」
とかそういった上から目線のコメントが大部分だ。

実に情けない思いがする。
こいつらは自分を何様だと思っているのだろうか。

以下は3年生がその場で書いた感想文(ママ)

「日本人は中国にたくさん偏見をもっているようです。もし日本人が中国人を助けたなら、私はこの事件に感動されて、この日本人を褒めるだけです。日本人の中にはこんな人もいるとか、日本人は全部こんな人になればよかったとか、たぶん言いません。こんな発言はちょっと客観的ではなくて、人を不快にさせる話だと思います。日本のマイナス面の新聞をたくさん見ましたけど、私は日本人は全部悪い人だと思わなくて、ただ、人によって違うと考えます。駐日のあいだに、相互理解はまだ足りません。中国人は『見義勇為』という精神を持っている人は多いです。不義の事件はありますが、いい事件はもっと多いです。」

そして、多くの学生が次のように書いた。

「今回のこの中国人留学生の青年の坑道は当然称賛されるべきもの。この中国人留学生は中国の伝統精神を 明らかに示しています。小さいころから、両親は私たちに喜んで人助けをすることを教えました。」
「困難な人を助けるのは中国古来の伝統的な美徳です。」

半数位の学生が、中国では人を助けることが美徳だと、家庭でも学校でも教えられたと書いている。
日本ではどうか。自分も教師だったからわかるが、口を酸っぱくして生徒に言って聞かせる言葉は
「人に迷惑をかけるな」だ。

実は積極的に人を助けましょう、ということを学校で教えたことがない。
少なくとも自分の経験では。
もちろん、特別支援教育のプログラムは組まれているが、
それは差別してはならない、バリアフリーの方にウエイトがかかっている。
日本人は善良な人が多いと思うが、電車の中で席を譲る人が少ないのは、人を助けるボランティア精神が
まだ社会的に根付いていないせいだろう。中には「私は老人じゃない」と腹を立てる老人もいるだろうが、
当たり前になればみんなありがたいと思いこそすれ、腹は立たない。

一方、中国ではそれが当たり前だ。
若者たちは、日本では老人の範疇に入らない(と勝手に思っている)私にさえ、何気に席を譲る。
しかし中国の政治社会システムは、巨大な矛盾を抱え、人々はストレスフルな社会に生きている。
だから人々の善意がストレートに反映されず、むしろ人々をして利己主義に向かわせるのだと思う。

この国の人々は、お上を信じていない。
したがった方が身のためであるから、そうしているだけだ。
反日で凝り固まっているようにみえるが、その反面、どこか醒めていて、
日本に好感を持っている人が実に多い。
旅に出て、国籍を聞かれたら、いつも日本人だと答えているが、それでいやな目にあったことはない。
逆に親切にされたり、笑顔で応対される方が圧倒的に多い。

中国人の先生方も学生たちは、ぼくが一人で旅行に行くと言うと、心配してくれて、
もし何処の国から来たかと聞かれたら、韓国人だと答えてください、といつもアドバイスをしてくれるが、日本人のプライドにかけてそんなことはしたくない。
ま、こんなじい様に手は出さないだろうし。

中国の学生たちは、上のいうことには素直に服従する。
しかし信じているわけではない。
そうしなければ仕方がないからだと、ぼくは解釈している。
当然の如く、学校当局からありえないような指令が突如おりてくることがままある。

「どうしてそんな無茶な指示に従うんだ?」
「でも、先生、仕方がないんです。いつものことですから。」

学生たちからはこの国のシステムに対するさまざまな批判を聞かされた。
だが、この上から下まで貫徹された政治システムにあらがうことは個人では不可能だ。
党を批判しながらみんな党員になろうとする。社会に出たときに不利になるかもしれないからだ。
学生たちの海外志向が強くなるのは当然だ。

厳さんが、命を顧みず濁流に身を投げ出したのは、体力と泳力に自信があっただけではなく、
中国の民衆の、素朴な人助けが美徳という教育がベースにあったのではないか、と思う。




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