中国不滞在記 in 神戸

行って見て聞いて考えた中国のこと

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正座は超辛い

2016年11月12日 | 日記
私事ですが(私事じゃないことはなにもないけどね)、9月よりお茶の稽古に行っております。


お茶のお師匠。典雅な方であります。

わたくしの生まれ育った家は超モダンというか、巨大な仏壇は開けたことなし、神棚なし、食事は西洋流で箸など使わなかった。
和室も当然なく、父が極端な無神論者で仏教(というより坊主)が大嫌いなので、法事もなく、生まれてこの方正座というものをしたことがない。

それが茶道を習うことになったきっかけは、中国で教えていたある大学の日本語科が文化交流の一環として茶道演示をしており、昨年度招いた先生があまり評判がよくなかったということを聞いたことから。

知り合いに茶道に熱心な方がいるので、おせっかいにも彼女のお師匠さんに話をしてみましょうか、と言ったら、ぜひお願いしますと言われてしまったのであった。

帰国してその話をすると、お二人とも大乗り気でぜひやってみたいとのこと。
わたくしは自弁でついていくつもりだったのだが、大学の日本語科主任は何もできないわたくしの分まで旅費や滞在費をひねりだしてくれたので、それならお茶を習って、多少なりとも役に立ちたいと思ったのであります。

お茶の稽古に通い始めてみると、細かな作法や所作がいちいち理にかなっていることに感心した。そして日本の文化、他者に気を遣う文化が如何に形としてあらわされているかということを理解できた。

それはいいのだが、問題点は、あまりに細かな作法が多くて全然覚えられないこと。
youtubeで見ても早すぎてついていけないし、月に2回程度なので習ったことはすぐ忘れ、またはじめからやり直しの連続であります。
お師匠さんも覚えの悪い、不作法な老人相手にまことに困っておられることであろう。

それに正座の辛いこと。拷問みたい。茶道が始まったころ、日本人は正座することが作法であったのだろうか。
こんなことを作法として強制する民族はマジ、マゾヒストであろうか。

60(もっと上だが)の手習いとはこのこと。
お茶はまったく身につかないのですが、まあ習い始めてから日常の所作に気をつけるようになったことは素晴らしいことと納得して(させて)続けておるのであります。

先日、先方の大学から詳細なスケジュール表が送られてきたが、交流のことだけでなく、一日の行程のすべてにきちんと行き届いていることに感心させられた。毎回の責任者の教師や担当の学生の名前も書いてある。
毎昼夜、教師同伴で食事会、交流行事の合間に学生の案内で名所旧跡観光も入れてくれているのでした。
中国人は普段おおざっぱだが、キチンとするときは日本人以上だなと思った次第。
それでなければ有人宇宙船なんか打ち上げられないだろう。

大学の日本語科と外国語学部だけでなく、付属中学でも交流することになっている。
中国の中学生のガキどもがどんな反応を示すのか、動的な中国茶道に比べて、静的な茶道を受け止めることができるのか、ちょっと心配であります。

茶道の演示でお前は何をするかって、写真を撮るか、和服を着て雰囲気を盛り上げるだけ、後は酒を食らうだけ。ええんかいな。。
今から古着の着物、買いに行ってきま〜す。

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2 コメント

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Unknown (きのさん)
2016-11-16 14:11:32
もののはずみみとはいえ、思わぬ展開になりましたねぇ(^^)/ そこが人生の面白いところではないでしょうか?
Unknown (ふらふらかもめ)
2016-11-19 01:12:03
今日、中国でのお勤めが終わりました。
何もわからないまま茫然と茶道交流に参加し、毎日ごちそうを喰らってました。罰当たりでんな〜。

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