今日は作業を早めに切り上げてVAIVEMのプロジェクトへ招待してくれたKikaの個展のオープニングのためにサンパウロから車で2時間の街CampinasのMuseum da imageme do sam de camoinas(MIS)まで行ってきた。
展覧会はとても良かった。
Kikaが収集した2~30年代と70年代の8ミリフィルムを編集した3部屋に分かれた作品群なのだが、とても印象深いものがあった。
旧い8ミリのフィルムは化学変化を起こしてドロドロに痛んでいたりするのをそのままパラパラ動画にして見せていた写真の美しいかったこと。時々人らしき姿が映るのだが、記憶が分解されて修復不可能で意味不明にもかかわらず何かを言おうとしているエネルギーだけが残存していて、そのままそれが剥き出しに映し出されているようであった。
また、本を見開いたようなV字型のスクリーンに映し出された多くの家族から集められた70年代の映像はパーティーや子供の遊びや誕生日、大人がプールで戯れる様子やフェスティバルなど、似たようなシーンがランダムに並べられている。
そこで受ける印象は多くの家族による異なる映像であるにもかかわらず、まるであるひとつの家族のものであるかのように非常に似通っていて、人間が持っている共通した何かを感じさせた。私はふと、特別な人間なんていないし、同時にそれぞれの人たちが特別な人生をしっかり生きているのだと思った。
そしてKikaの作品を見ながら震災一月後に陸前高田で見た瓦礫を思い出した。遠目で見た街の様子は凄まじいものであったが、瓦礫の中に入り、そこで見たディテール、ドロドロに汚れた数え切れない「もの」たちにはついこの間までそこで生活していた人たちの生々しい記憶が確実に存在しているように思えたものだ。その中にいくつかのアルバムもあった。画像や映像というのはそこに光が紙やフィルムに焼き付けられただけなのに、それを通して確実にそこに生きている人たちを観ることのできる不思議さを改めて感じた。昨今の個人的な事情もあいまって、大いに感じるところがありました。