何かしてます。

 無職だって退屈してません。「何か」してます。「何か」ってなんだ?

今年も咲きます、実をつけます

2008年03月20日 20時43分43秒 | 近況
 〈昨年3月18日の杏の花~満開でした。)         

          


 〈本年3月18日の杏の花~まだ蕾)
 
           

 駐車場の杏の花が今年もきれいに咲いています。昨年より少し遅れていますが、あと3ヶ月くらい(6月20日前後)でおいしい果実が食べられるでしょう。楽しみです。

34年ぶりの床屋さん

2008年03月19日 12時14分41秒 | 近況
 昨日(3月18日)、34年ぶりに床屋さんに行ってきた。
 結婚式を数日後に控えて床屋さんに行ったのが最後だった。それ以来昨日までパーマ屋さんをしていたお母さんが髪を切ってくれた。

 お母さんは、パーマ屋さんをやめてからも私の髪だけは切ってくれていた。しかし、最近は老眼がすすんだせいかあまり乗り気でなかった。

 昨日セキチュウに行ったとき、たまたま隣に床屋さんがあるのに気づいた。そして、料金大人1,575円と書いてあるのが気に入り飛び込んだ。

 仕上がりはまあまあ。
 お母さんは、『これからは、私の髪を切らなくてもよい』と思ったせいか〈ほっ〉とした顔をしていた。

 一瞬私の脳裏に、『認知症になった私の髪を切っているお母さんの姿』が浮かんだ。ブルブルと身震いしてあらぬ妄想を吹き飛ばした。
 

ご馳走様でした。(3月15日その3)

2008年03月17日 15時47分45秒 | お散歩
〈 本年3月8日、やっと伊勢崎IC~太田桐生IC間が開通した。早速3月15日(土)散歩がてら視察ドライブに出かけた。・・・〉

 帰途、桐生市境野町7丁目経由で国道50号線で友人『草さん』の家に向かった。アポなしだから留守でも仕方ないと思っていたが、幸いご夫婦そろって在宅していた。

 お二人は相変わらず仲良しで一緒にお風呂に行くところだったが、私のために取りやめ歓待してくれた。

 奥さんは家庭菜園から自分が作った無農薬野菜(大根とかき菜)をとってきて、持たせてくれました。
     
        

 『草さん』は、「無職の人に金など出させない」と割り勘を断固拒絶してお寿司をおごってくれました。

思い出アーカイブス(北関東自動車教習所入口付近 3月15日その2)

2008年03月17日 15時12分19秒 | 事件事故
 〈 本年3月8日、やっと伊勢崎IC~太田桐生IC間が開通した。早速3月15日(土)散歩がてら視察ドライブに出かけた。〉
 
 終点太田桐生ICから、自宅までの帰り道は国道50号にのり、途中赤堀に住む友人『草さん』の家に寄る予定だった。
 しかし、その前に急きょ『桐生市境野町7丁目付近』に立ち寄っていこうと思い立った。

       

 この写真の場所は、桐生市境野町7丁目地内、県道67号線上です。
 桐生市から栃木県足利市に向かい、北関東自動車教習所入り口信号交差点から左にカーブした地点です。
 100メートルも進むと桐生川の境橋を越えて足利市小俣町に入ります。

 何を隠そうこの場所は、今から37年前(1971年・昭和46年の初冬ころ、当時26歳・独身)ある事件をめぐって、同僚の『工藤』さんと2人で『背水の陣をしき、人生をかけて戦った戦場』なのです。

 詳細は省略しますがこの戦いは私にとって、自分自身の人生をかけ、友人を守り、組織を守る必死な戦いでした。
 結果的にはすべてが丸く納まり、戦いは勝利しました。

 一緒に戦った工藤さんについても、「元気でいるかな」などと懐かしく思い出しながらその場を後にしました。このときは、工藤さんがすでに亡くなっているとは夢にも思いませんでした。

 予定どおり赤堀の『草さん』の家により旧交を温めながら、四方山話をしているとき工藤さんの病死を知ったのです。
 一緒に戦った現場を見て、懐かしく思い出した今日このときに工藤さんの死を知るなんて・・・・・・。まさに感慨無量です。

北関東自動車道の視察(3月15日その1)

2008年03月17日 11時06分41秒 | お散歩
 私は相当前から北関東自動車道(通称、北関東道)の完成を心待ちにしている。なぜなら、茨城の別荘に行きやすくなるからです。
 早ければ退職時(3年前)に完成していればベストだと思っていたが残念ながら未だ完成していない。

 本年3月8日、やっと伊勢崎IC~太田桐生IC間が開通した。早速3月15日(土)散歩がてら視察ドライブに出かけた。

 伊勢崎・足利線とほぼ並行して走っている。
 新しくできた波志江PAから見る赤城山の眺望がすばらしかった。
 
 高崎から太田市只上(ただかり)の国道50号線までを高速自動車道だけで(関越自動車道高崎ICから北関東道太田桐生IC)走り抜けることができるようになったわけです。

 このところ茨城に行っていません。はやくこの道路を走って茨城に行きたいものです。

私が登った群馬の山37(30 初めての至仏山)

2008年03月15日 10時58分00秒 | 群馬の山
至仏山には今までに数回登っています。
最初に登ったのは1989年(平成元年)9月15日、44歳当時のことでした。
 お母さんと二人で尾瀬ヶ原でもゆっくりのんびり歩いてこようかと思っていたのですが、隆くんが一緒に行ってくれることになったので急きょ至仏山に登ることにしました。アクシデントが発生しても隆くんが一緒なら安心だと考えたのです。
 コースは、鳩待峠~小至仏山~山頂(往復)でした。

 小至仏山
          

 至仏山頂
          

 尾瀬ヶ原にかかる虹~至仏山頂から望む

          

定期診察

2008年03月14日 12時24分30秒 | 腎不全闘病日記
 3月13日、日高クリニックの定期診察を受けた。
 病状は、前回同様横ばい、概ね良好との結果であった。

 ≪参考資料≫
  2007/11/21   クレアチニン4.40     カリウム6.4

  2007/12/13   クレアチニン5.11     カリウム6.4

  2007/12/26   クレアチニン4.69     カリウム5.8

  2008/ 1/16   クレアチニン4.54     カリウム5.6

  2008/ 2/14   クレアチニン4.73     カリウム5.7
 
  2008/ 3/13 クレアチニン4.96 カリウム5.8


☆追加記入
  2008/ 4/    クレアチニン5.?     カリウム5.7
   (日を忘れた。クレアチニンが高かったのでがっかりして忘れた。)
 
  2008/ 5/8   クレアチニン5.62 カリウム5.2
   (数値は高くなったが、自覚症状はない。「数値には個人差がある。6.0で透析になる人もいるし、10.0近くになっても透析にならない人もいる」と医師が説明した。)

  

禁煙日記(危なかった)

2008年03月14日 12時04分31秒 | 禁煙日記
 3月8日(土)、長男が吸いかけのタバコ1箱を忘れて帰った。
 我慢ができず、1本手にして火をつけた。3服して一貫掘川に捨てた。

 翌9日(日)、やはり我慢ができず火をつけた。3服して反省し一貫掘川捨てた。

 翌10日(月)、1本手にしたが、火を点けず一貫堀川に捨てた。我慢ができず、もう1本手にして二階ベランダで3服してあわてて反省してもみ消した。

 また、4・5本のタバコが残っている。どうする?どうする?
 
翌11日(火)、残っているタバコすべてを一貫堀川に投げ捨てた。  

元気で長生きパート⑩(69年前の話)

2008年03月13日 22時48分40秒 | 元気で長生き
 おばあさんは、2月22日から3月7日までショートステイに、翌8日から今日(3月13日)までキクエさんの家に行っていました。
 
 帰って来ると、いつものとおり礼儀正しく「また来やんした。お世話になります。」と挨拶してくれました。
 その後すぐ、「茨城では大変なことが起きて大騒ぎだよ。」
       「3ヶ月くらい前に水郡線の電車が久慈川に架かる鉄橋から落ちる大事故が起きたんだよ。」
       「大勢の人が出て、3時間くらいかかって落ちた電車を引き上げた。」
と話すのです。

 ネット検索したところ
  昭和14年(1939)8月10日に「茨城県久慈川列車墜落事故」が発生していることがわかりました。
 このときおばあさんは26歳、結婚して高崎に来る1年前ことです。

 なんとおばあさんは69年前の出来事を覚えていて、「3ヶ月前の出来事」として私に話してくれたのです。なんとも不思議なことです。

 さてさて、何はともあれおばあさんは『今日も元気で長生き』してます。

    

昔取った杵柄(きねづか)

2008年03月11日 17時56分36秒 | 近況
 2週間ほど前から長男の自転車を我が家で保管していた。
 孫とサイクリングしたとき、私が長男の家から乗ってきたままになっていたからです。

 邪魔なので今日返しに行きました。
 写真の要領で自転車2台で行き、1台を返してきました。

 この自転車搬送方法は遠い遠い子供のころ、親父に教えてもらいました。
 子供のとき以来この方法で自転車を搬送した記憶ありません。

 片道約30分、果たして2台搬送がうまくできるか?ちょっと心配でした。
 しかし、『案ずるよりも産むが易し』と言おうか、「昔取った杵柄」と言うのかなんら支障なくスムーズに搬送することができました。

 ちょっと自慢したい気分だったが長男宅は留守で誰もいなかった。
 タイミングよく、そこへ嫁さんのお母さんが来た。さっそく写真を撮って貰いました。