3.11-はもう14年前だ。当時は定年後の再雇用で、給与は**‘も減額され、65歳で辞めるか、再度アルバイトとして残るか、今後は~なんて考えていた頃だ。その1週間前にもにも大きく振れた。建物が倒れるのかと思いましたね、事実棚などが倒れ、エレベタ-も止まった。帰宅してよいと社命が出た。でも私は籠城を決めた、超遠距離通勤者なのだ。若者も数人同じで早速階段で降りてコンビニで食料を買ってきてくれた(即、殻になった)。帰宅するにしても電車は動いてない。道路には歩いてる方がゾロゾロ。飲み屋などは満杯になったらしい。会社のテレビで津波&火災がされていた、そうだ姪が嫁に行った町だ(看護婦だったから大変だったと聞いた)。携帯はつながらず、都心で働いてる長男は、自宅は~などなどで一睡もせず翌朝早く、駅に向かう。駅前の定食屋で朝飯食べて(満員)。~考えるのはみな同じで。駅も電車も満員だ、JR&私鉄を乗り継ぎ~やっと自宅に戻ったのは午後2時過ぎていたかな。自宅は雨受けがずれていた、家も少し傾いたようだ。屋根が壊れた家もある。その程度であったが、故郷は激震県に指定された。2か月後に行ったがお墓は倒れ、お堂も潰れ、塀も倒れ、倒壊し家もあった、実家も納屋が崩れた。もっと困ったのが放射能被害で農産物が大変だった。知人に聞くと東京都心の会社で同僚の外国人は帰国した、なんでと聞くと、なんと米軍は放射能の流れを把握して、連絡していたのだ。14年経つも避難生活されてる方が今も終われるらしい。天災は幾度なく繰り返されてきたから、自然に戻ると思う。でも原発は回復は出来ないと思う。伝説ではアトランタ大陸があって一晩で沈み、その面影が島となって残ってるらしいとも、真意はわかりません。原発も途方もない未来で、立ち入り禁止の史跡として残ってるだろう。でも、全て団塊世代はいないのだから、心配すべきは今。
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