諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫」説を考察する。その1

2016年03月30日 23時02分22秒 | 瀬織津姫

今回のお題ですが、もう数年前から考えに考え、練りに練っておりました。練り過ぎて何が何だか判らなくもなりました。どうしたもんだべなぁーと思い悩んでおったのです。

実は安達ヶ原の鬼婆が住んでいた黒塚がある福島県二本松市の真弓山観世寺へも行って参りました。黒塚の写真も撮ってまいりました(知能指数が低いのでブログに貼り方が判らず)。住職さんとも話をしました。今回のお題である「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫」説についてを。

同説はある大学の偉い神道の名誉教授の本で知りました。でも具体的にどうして安達ヶ原の鬼婆が瀬織津姫なのか、名誉教授の本には書かれておりません。しょうがないから私が低い知能指数を駆使して考えを練っていたのです。

そこで行き付いたのは神道と仏教は別物である事。仏教の普及の為に神道と習合したが、日本の神様はインドから来た神では基本違う事。悪い言い方をすれば、日本の神をコピーして仏教の神??に生まれ変わさせ、コピー元の本来の日本の神を妖怪や魑魅魍魎、そして鬼等に落としたと言う事です。

神仏習合での考えで天照大神と大日如来は同じとされていますが、同じ太陽がキーワードだから仏教側から習合したと私は考えます。仏教を民に浸透させる為に。そして倫理観を植えつけ、民衆を統制する為にです。

イエズズ会も大日如来をゼウスであるとしていますが、それも同じ理由です。先ずは信仰を集めるのが先。天照大神が大日如来であったりゼウスだったりする訳がありません・・・・・っと私は思うのです。

そして仏教や密教としては神道の上に立ちたい。優位性を示したい。故に神道の神々を神の座から落とす。神道信仰を自分達の宗教へ鞍替えさせる為に。

まっ、そう言う考えなものですから、今回のお題はどうしても仏教を多少なりとも否定する部分が有ります。もしかしたら真弓山観世寺の住職さんにもご迷惑を掛けてしまうのではないかと躊躇しています。

安達ヶ原の鬼婆の実在についても否定する部分があるやも知れません。仏教のみならず神道の考えにも異を唱える事になりかねない。困ったなぁーと思っていたのです。

まぁーそのぉー、そう言う事でですね。これは一つの仮説として考えていただきたいのです。痴れ者の私の言う事ですから、尖がらないで読んでいただければ幸いです。

 

それでは語りたいと思います。

「陸奥の 安達の原の 黒塚に 鬼こもれりと いふはまことか」。

これは平安時代の歌人・平兼盛の歌です。福島県の「安達ヶ原の鬼婆伝説」を歌っています。平兼盛は何時生まれたかは不明ですが991年に亡くなったそうですので、もう1000年以上前から歌われている様です。

 実はこの話、本当かどうか判りません。ストーリーと時代が合わない点があります。江戸時代に入って平兼盛の歌に誰かが加えた可能性も十分考えられます。よくある事ですが、同じストーリーの伝説は関東にもあります。訳が判らなくなります。

今回はそんな話はどうでも良いです。難しくなりますし、どっちにしろ判らないでしょうし。それに安達ヶ原の鬼婆が実在していた可能性に付いても判らんです。こればっかりは誰にも証明出来ませんでしょうし。

問題はこの安達ヶ原の鬼婆のモデルは瀬織津姫だと言う事なのです。

この説を唱えた前出の名誉教授は、既に30年以上昔に亡くなっています。以前「瀬織津姫の正体は人間!?」と題して書きましたが、瀬織津姫は「水の女」、「禊の女」と呼ばれ、川で禊の手伝いをしていた人間の女性達がモデルであると唱えた方です。

でもそう言われるとそうだなと私も思います。私の故郷・福島県いわき市好間町を流れる好間川や同じいわき市に流れる鮫川に織姫伝説がありますが、その川に「水の女」、「祓いの女」が居て、禊払いの手伝いをしていた事からその様な伝説が残ったと思えます。そしてその禊祓いが、神道の根本であった可能性は十分有ります。

極論、大陸から渡って来た仏教・密教にとって神道は敵です。信仰を広める上で妨げとなります。ライバルであります。

仏教・密教は信仰を広める理由から神道と習合したのも事実ですが、神道の神々を貶めている部分もある。瀬織津姫がモデルと言われる「水の女」、「禊の女」も敵視されれ妖怪に落とされた。奪衣婆・正塚婆・姥神とされた。そして仏教の神として閻魔大王やお地蔵様に習合した。敵視され落とされながらも仏教の重要な仏として迎えられた。同じ神なのに仏にしたり魔物にしたりです。もう、こんがらがります。

そして今回の安達ヶ原の鬼婆伝説も瀬織津姫がモデルであるなら、瀬織津姫の源流の手掛かりが隠されている。そして神道の真髄がこの伝説に隠されている。この伝説はそれを風化させない為に残されたものとも考えられます。

そう言う事で先ず初めに安達ヶ原の鬼婆のストーリーを簡単に語りたいと思います。

 

続く。

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2 コメント

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楽しみにしています。 (りひと)
2016-03-31 17:31:51
あちらを立てればこちらがたたずで世の中は大変です。ですが伝説として残っているのにも何かの意思があるはずです。両方知る機会があることが大事ですね。時代が時代では出来ないはずですから。芸術と一緒で見る方に委ねるってなんか日本らしくなくて素敵です。読者も考えて広い心で見てもらえるといいですね。

そうニュースでアイヌの伝説を文字でなく音で繋いできたものを録音し、聞ける機会を作ってくれたようですよ。語り部が少なくなればそこからの情報は少なくなってしまいます。津波の件もそうですが古の方が後世に残してくれたことはきっと一番生活に役に立つはずです。

聞く耳を持つ事と語り部や残っている伝説等に感謝を感じていきたいですね。

綱永井さんのお役目は、改めて思いますが大切ですね。ご苦労様です。目先の利益だけを重視していたら出来ない事ですよ、たたかれかねないし。本物の愛情として感じますね。応援しております。1282
神道と仏教の瀬織津姫。 (綱永井寵生)
2016-04-01 22:23:27
りひとさんへ

以前、役の行者の従者である後鬼は瀬織津姫ではないかと書きました。従者はお手長様。そして五衰殿。全てこの伝説は網羅しています。

この伝説の作者の本意は神仏習合の概念を残す事だと思えます。

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