「マグダラのマリア 瀬織津姫」で私のブログに辿り付いている方が相変わらず多い様です。私は「瀬織津姫はマグダラのマリアだ」なんて一言も言っていないのに。
まっ、それで検索して、ついでに私のブログをチョット見ただけなのでしょうけど。
今回はそんな人達に向けて書こうと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの違いを。そして瀬織津姫はマグダラのマリアじゃないと言う理由を。説明するのは大変骨折りですが。
さて、以前、「瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのではないだろうか」とかのタイトルで記事を書きましたが、私、本当に「瀬織津姫=イエス・キリスト」だなんて思っておりません。
詳しくは過去の記事を読んで頂きたいのですが、瀬織津姫とされる熊野権現・五衰殿の物語が余りにもイエス・キリストの話しに似ている。だからそのタイトルで書いたのです。
仏教にキリスト教のエッセンスが加わって日本に伝来した可能性は大変高いと思いますが、だからと言って瀬織津姫がイエス・キリストの訳が無い。
神道は自然信仰。そしてキリスト教は神や人間よりも自然を下と見ている。これで大抵の方は理解して頂けると思います。
断言しちゃいますけど瀬織津姫は蛇です。蛇神です。瀬織津姫の上には間違いなく蛇がいます。そしてキリスト教では蛇は悪魔。根本が違います。
っと言いながらも、歴史的・学術的にイエス・キリストのモデルと言うか、源流を遡ると蛇に辿り着いたりもするのですが、キリスト教を宗教として考えれば蛇は悪魔。悪魔である蛇の瀬織津姫がイエスの訳が無いです。これで分かって欲しいです。
こんな事、神道とキリスト教の知識が多少でも有るなら誰だって分ると思います。
もう少しキリスト教や神道を勉強してみてください。ヒーラーや教祖に全部任せず、自分で辿り着いて自分で判断してみてください。今までの矛盾が見えてきますから。
更に私のブログも矛盾だらけで、私がシドロモドロになって書いているのもお分かりになりますから。ヘロヘロなんですから。
簡単に人の話を真に受けてその人を神の如くに敬ちゃう人が大勢いますが、人間なんてのは皆、大したことありません。全部は信じちゃダメ。それでは麻原彰晃のオウム信者と何ら変わりは無いですよ。
「偉そうに。じゃ何でお前は『瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのでは』なんて記事を書いたのだ」と言われそうですが、私、以前は雑誌の編集者や業界紙の整理記者をしていたのです。
見出しと言うかタイトルで興味を持って読んで貰う為に少なからずハッタリをかますのです。昔の癖です。それだけの事です。すんませんね。
最初、「瀬織津姫=マグダラのマリア」としたのは瀬織津姫関連の著書を持つY氏ですが、それは私は非難しません。
私もそんな感じでハッタリかましてやっていましたから。出版関連の仕事は読まれて何ぼ。私もそれで給料を貰っていたので。
出版関係は30年以上前から冬の時代です。雑誌や新聞を買って読んで貰う為に、姑息に誤解させる見出しを付けたりもします。雑誌やタブロイド紙は特に。
「信じる者」と書いて「儲け」です。私も大嘘??を書いて信じ込ませて食べていたのです。すいませんです。
このブログでは金儲けをした事は今のところ一度も無いです。だから正直に書いています。
お金が貰えないからしょうがなく自分の正直な気持ちと考えを書いているのですが(嘘ですよ)、私も考え直す事と言うか、間違いも結構多いです。
それでも「瀬織津姫 マグダラのマリア」で検索して当ブログに来てくださる人がいるのであれば、私の考えを書きたいと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの宗教面での根本的な違いを。何故、瀬織津姫がマグダラのマリアで有る訳が無いと言う理由を。
うーん、こんな事書いちゃうと、また色んな方面から攻撃されちゃうでしょうけど、私は真実を追究する男なのです。これが私の性です。
では眼を細くして読んで見てください。
続く。
まっ、それで検索して、ついでに私のブログをチョット見ただけなのでしょうけど。
今回はそんな人達に向けて書こうと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの違いを。そして瀬織津姫はマグダラのマリアじゃないと言う理由を。説明するのは大変骨折りですが。
さて、以前、「瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのではないだろうか」とかのタイトルで記事を書きましたが、私、本当に「瀬織津姫=イエス・キリスト」だなんて思っておりません。
詳しくは過去の記事を読んで頂きたいのですが、瀬織津姫とされる熊野権現・五衰殿の物語が余りにもイエス・キリストの話しに似ている。だからそのタイトルで書いたのです。
仏教にキリスト教のエッセンスが加わって日本に伝来した可能性は大変高いと思いますが、だからと言って瀬織津姫がイエス・キリストの訳が無い。
神道は自然信仰。そしてキリスト教は神や人間よりも自然を下と見ている。これで大抵の方は理解して頂けると思います。
断言しちゃいますけど瀬織津姫は蛇です。蛇神です。瀬織津姫の上には間違いなく蛇がいます。そしてキリスト教では蛇は悪魔。根本が違います。
っと言いながらも、歴史的・学術的にイエス・キリストのモデルと言うか、源流を遡ると蛇に辿り着いたりもするのですが、キリスト教を宗教として考えれば蛇は悪魔。悪魔である蛇の瀬織津姫がイエスの訳が無いです。これで分かって欲しいです。
こんな事、神道とキリスト教の知識が多少でも有るなら誰だって分ると思います。
もう少しキリスト教や神道を勉強してみてください。ヒーラーや教祖に全部任せず、自分で辿り着いて自分で判断してみてください。今までの矛盾が見えてきますから。
更に私のブログも矛盾だらけで、私がシドロモドロになって書いているのもお分かりになりますから。ヘロヘロなんですから。
簡単に人の話を真に受けてその人を神の如くに敬ちゃう人が大勢いますが、人間なんてのは皆、大したことありません。全部は信じちゃダメ。それでは麻原彰晃のオウム信者と何ら変わりは無いですよ。
「偉そうに。じゃ何でお前は『瀬織津姫はマグダラのマリアではなく、イエス・キリストなのでは』なんて記事を書いたのだ」と言われそうですが、私、以前は雑誌の編集者や業界紙の整理記者をしていたのです。
見出しと言うかタイトルで興味を持って読んで貰う為に少なからずハッタリをかますのです。昔の癖です。それだけの事です。すんませんね。
最初、「瀬織津姫=マグダラのマリア」としたのは瀬織津姫関連の著書を持つY氏ですが、それは私は非難しません。
私もそんな感じでハッタリかましてやっていましたから。出版関連の仕事は読まれて何ぼ。私もそれで給料を貰っていたので。
出版関係は30年以上前から冬の時代です。雑誌や新聞を買って読んで貰う為に、姑息に誤解させる見出しを付けたりもします。雑誌やタブロイド紙は特に。
「信じる者」と書いて「儲け」です。私も大嘘??を書いて信じ込ませて食べていたのです。すいませんです。
このブログでは金儲けをした事は今のところ一度も無いです。だから正直に書いています。
お金が貰えないからしょうがなく自分の正直な気持ちと考えを書いているのですが(嘘ですよ)、私も考え直す事と言うか、間違いも結構多いです。
それでも「瀬織津姫 マグダラのマリア」で検索して当ブログに来てくださる人がいるのであれば、私の考えを書きたいと思います。瀬織津姫とマグダラのマリアの宗教面での根本的な違いを。何故、瀬織津姫がマグダラのマリアで有る訳が無いと言う理由を。
うーん、こんな事書いちゃうと、また色んな方面から攻撃されちゃうでしょうけど、私は真実を追究する男なのです。これが私の性です。
では眼を細くして読んで見てください。
続く。
ノーベル賞の方も言ってましたよ。
文書になっている物にも疑って良いと。
まず疑う事から好奇心や研究心は生まれるはずです。そこを鵜呑みにしたら出発点がすでにズレてるので到達点もズレるわけで。
文章はその人の文章ならその人の背景や経験が出てあたりまえ。そしてそこに組織が関われば組織の意向もあると思って読んだ方が、自分には安全ですよね。
そう思うと言い訳の理由にしたり、論破しようとするのも自由ですね。
けど物分りのいい人はもうすでにその事は良く分かっているはずですよね。
またそこの考えの違いからさらに理解し合える事もまた、あそうかと論破される事も自分からしても先に繋がる事にもなるはずです。
今一番の問題は、思った事を言えないし行動出来ない事。
組織には入ってないなら出来る自由を楽しみたいですよね。
何事も色々な理由があります。そこを冷静に毎回記事でも対応しているので大丈夫でしょうね。
私もマグダラさん大好きですけど、瀬織津さんは苦手です。これは実感ですね、個人的な。6942
個人のよって個人名の概念も違うんでむしろ固定しない方がいい研究が出来るように思いますね。
枠にはめたら終わるようになっている。眷属もそこを狙ってるように思いますね。6942
文章は書き換えられてしまいます。更には焼き捨てられてしまう。
エルサレムの地下にはギリシャ神話の医療神・アスクレピオスの宮殿??とかが埋まっていますが、アスクレピオスの信者を迫害し、キリスト教徒により宮殿が壊されたり、キリスト教としての建物に再利用されたりで、殆ど忘れ去られていました。
1800年代に地質調査で解明されてきましたが、その姿はイエスに大変似ている。学術的にはアスクレピオスに対抗する為にイエスが創造されたとの考えが有力になっています。
アスクレピオスは蛇が巻き付いた杖を持っている。
アスクレピオスはイエスのモデルでもあり、悪魔でもある。そこから考えるとキリスト教に矛盾が生じます。
大国主の直系の家系であると主張する富家では、文書等に残すと書き換えられたり、消されたりするので、一子相伝で口頭の言葉で暗記させられて伝えられていたそうです。
それもどこまでが本当かは難しいですが。
大事な事忘れてましたよ。そしたらスサノオと大国主ってルーツ違いますよね〜!なるほど。
私、トミ系探していて大国主ってなんだかんだ避けてましたよ。けどおばあちゃん、大国主に見守られたようなイメージありましてなんだかなあと。ならばですよ、私の苦手方々の理由が分かった。出雲って一言で言っちゃいけないですね。
スサノオはクシナダヒメを娶ったけど、クシナダ姫と大国主の関係が面白くなりますね。でミナカタさんがどこに入ってくるのか?二代目大国主ならば息子にもなりかねない。いやあ、どうしましょう。
そうすると富氏はあちこちにいておかしくないですよね。大国主ならば。そして出雲だけになったのなら大元はあちこちにいた。富の付く場所もいっぱい探しましたけど手に負えないくらい各所にありますね。
私は大国主のいる所を探せばドンピシャなはず。
特に出雲以外の大国主さんの所探せばいいんだあ。
うわあ、ありがとうございます。8004
8と4出てる。そうそうおみくじで大々吉ってあるんですね?これいまどきのおみくじんですかね?
友人の神社では主祭神として天照大神を祀っているのですが、配神として大国主も祀っています。こんな神社は他に聞いたことが有りません。国譲りを迫った側と迫られた側が一緒に祀られているのですから。
そこからも天照大神は元々は国津神だと思えます。大国主よりも古い日本の地主神だと。同じ系列かは不明ですが。
ミナカタさん系もクシナダヒメ系も。問題はその後嫁さんでしょうか?スサノオ系ってのは大国主さん自身の血筋にはないように思うのでその後だと思うんですよね。とすると大国主さんって縄文からすでに日本に関わってそうなんですよ。旧石器でもいいんですけど。なのでもちろん瀬織津さんともうまくやれるとも思います。句句廼馳だとも思えそうですよね。句句廼馳が大国主二代目で消されたのかな?
祖父のミナカタは逆勢力と位置付けられ、父の女系恵比寿系ジュニアの大国主は本来の筋の事代主に許可を貰いゆずり、そしてロックオンされた息子の句句廼馳が筋もあるのに嫁の父に地位も奪われた。
そしておまけにその筋ない後夫ルーツの二男(女系では素質あり)か次女(父も母素質なし)あたりに筋が代わったように思うんですよ。
句句廼馳は母に隠されるわけないし、実際に消えてる陰の実力者と思うと猿田彦とも思えますね。
火とお水、太陽と月(槻)、朝日と夕日と考えると猿田彦とうずめの聖婚も見え隠れ。
神である女系由来の瀬織津気質をうまく平和や幸せに持っていけるのは歴史から隠されてしまったルーツを持つ方しかいないでしょう。所詮人神ではないので人間とは次元の違う所で動くから半神(半瀬織津気質)を持つ男系の神が必要なはず
そう思うと富はいい線いってるでしょうね。大国さんも。出雲って半神入ってると思っていいように思います。各神社の祭神をみると。
で富が男系なら、柿本さんが女系で木が関わってそうですよね。とすると大国主さんと柿本さんが一緒に祭神になっていると安心かとも。
けどもっと上の代のがスムーズなはずで、単純に自分の立場を譲る事に執着ないくらいあっさりと表舞台から消えたからこそ持ってるんですよね。
ガツガツしてないっていうか?けど子孫や平和とかには影響あるんで戻って貰わないと人間と自然との関係をお互いの抗うことなく出来るようにして欲しいですよね。
今以前と同様急上昇してきてるのはオシホミミさんです。私の周りでは近江と伊豆とで接点がありキーワードは多賀みたいです。タガ+田でタガタっていう音も気になってます。田が隠されて違う者が入ってるようにも。
そのあとの時代もそうなんですけど、単純譲ったと書いてありそれを今世のようなギスギスした世にいたらすんなり受け取れるわけもないし、そこに文書の書き換えというか解釈の誘導みたい手法に負けないで奥を見る目を養うヒントになるでしょうね。
大抵、先例を簡単に変えるとルールを守りたくないという意志が見え隠れするし実際に守っていない行動はその後の行動でも明らかなので簡単に浮き出して見えてくるはずです。
普通の事が出来ないってわがままとしか言えないし、言い訳の多いはず。なので口数も増えるので墓穴も掘ってくれるでしょう。
間違いなく瀬織津姫にもそこに合わせず対抗するそれこそがそもそも危険な事も気付いてないでしょう。瀬織津姫には好き嫌いだけじゃない、畏怖をすでに感じていない事には始まらないのでしょうね。
ご苦労さまです。6470、4671
トミと奈の付く神は登美比古とも呼ばれる長髄彦命と建御名方富命とも呼ばれる建御名方神です。二神とも最後まで天津神と戦った共通点があります。
大国主、事代主は国譲りを認めた。ニギハヤヒ命もそうなります。
そして建御名方神は諏訪まで逃げてきて、諏訪の地主神で有る手長足長と戦った。
事代主は突如伊豆に現れて伊豆の地主神である大山祇神と戦っている。
手長足長が手名稚命・足名稚命であるなら、大山祇神の系統。
そう考えると出雲、否、元々の日本には三系統の神々が存在したと考えられます。
まだ考えが練りあがっていませんが、瀬織津姫とニギハヤヒ命、天照大神とスサノオ尊は夫婦と言うより、侵略の関係が成り立つと思えます。
ようこそ、おいでくださいました。お待ちしておりました。
この記事は貴方様の為にお書きしました。とても気に入ってくださった様で何よりです。こちらも大変励みになります。
貴方様の為に、もっともっと頑張って書いて行きたいと思います。今後とも応援の程、よろしくお願い申し上げます。
謝意、謝意。
面白いコメント来てますね。
頭悪いのは私なので気にしないで下さいね。
でも頭良いとどうも相手の意見を認められないので可能性減らしてしまっているようにも思いますよね。日本って先入観で全て色染めたがるので。
ならば色んな意見を受け入れて綱永井さんのように意見を修正さえ出来たら真実に近づく可能性っていっぱい増えるようにも思いますね。
ミナカタとナガスネヒコって超好きなんですよ。表舞台の歴史ではどうも影薄いですけど、そこに光当てるのが私の動機でもあります。それぞれ持っているルーツにより相性や理解は変わってくるでしょうけど、そもそも神はそんなに妬んだりいじったりするんでしょうか?ね?
人間の弱点だとも思いますので、これからも色んな発想で記事お願いします。世の中普通って多分その先自分の軌跡って見えないで終わってしまいます。その人ごとその人のルーツごとお互い受けれて聞く耳持てるといいですね。
3系統との事ですので三つ巴です、祖母は誇りに思っていましたので三つは嬉しいです。ただ三つで揉めるんですけど、そこでいい調整が出来る。今三権分立って出来てないのもあるんで、お互い自分を護ることをきちんとして相手もまた国民も護って欲しいですね。
このままじゃ、人権侵害で日本人居づらくなってきていくように思います。言うべき事はその行動にあわせて出来る日本人が必要です。ミナカタさんとナガスネヒコはもっと言って欲しいですね、自己主張しない方のように思いますので。それをしないとヤバイ国になってしまいますので。綱永井さんは両方に接点持てるんでしょうね、瀬織津もそれが出来たらいい方向に行くかもしれませんね。
この記事は瀬織津姫を名乗るヒーラーや、その信者に向けて書いたものです。実はその反響があって嬉しく思っています。結構、私のブログも効果があるのだなと思って。
私がブログを書き出して、自称・瀬織津姫や瀬織津姫の派閥の勢いが低下しているのではないかと考えていましたが、それを肯定する書き込みだったので書いた甲斐があったと思いました。
建御名方神は水の泡を意味する名前だそうです。湖神だからなのでしょう。そしてライバルは建御雷神。何で天津神なのに雷神なのか。雷神は祟神。そう考えると国津神の筈。だからこの二神は同神なのではないかと思えます。