エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

初めに

2022-03-16 09:34:00 | 日記
まずは、私のことをお話ししておきますね。なまら長くなりそうなので、何回かに分けることにしましょうか。

昭和35(1960)年、北海道の過疎地域'都市'の生まれ。
山とバイク好きの父(国の役人でした)の影響か、幼稚園に入る前からとにかくクルマが大好き。
母によると、タクシー(こっちじゃハイヤーって呼んでました)の正面を見ては、「いい顔してるねー」と言う子どもだったそうです。
そういや、310系ブルーバードの正面から見た姿を、当時同居していた母方の祖父の顔に似ていると思っていた記憶があります。

幼稚園に通うようになって車種が分かるようになり、幼稚園の車庫に赤いホンダS600があるのを見て心ときめき、排気音を聞いて感動。「大きくなったら絶対乗る」
これは、ドリームSA、CB72、CP77とホンダのバイクばかり乗り継いでいた父のDNAでしょうか。そんなバイク好きの父、私の妹が生まれたこともあり、その頃はマツダR360クーペを経てキャロルに乗っていました。

昭和42(1967)年に私は小学生になりましたが、この前後に日本車は一気に進化を遂げたんだと思います。
アローラインのコロナがお尻の下がった410ブルーバードを抜き去ったかと思うと、スーパーソニックラインで三角窓がなく四輪独立懸架の名車510が巻き返す。
クラウンよりも130系セドリックが全然スマートでカッコいいと思っていたら、白いクラウンというキャッチコピーが思い出に残るクラウンがデビュー。
サニーとカローラのデビューも私の小学校入学前年でしたね。
軽は、変な格好をして青くて臭い煙を吐くスバル360がキライでしたが、ホンダがN360を発売。もちろん父はキャロルからお乗り換え。

そして、トヨタ2000GT、マツダコスモスポーツといったクルマたちが市場にデビューしたのもその年でした。
今なお私がクルマの年式などを大体正確に記憶できているのは、自分に小学校入学という節目があったからだと思っています。


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