『 しあわせなモミの木 』
シャーロット・ゾロトウ/文
ルース・ロビンス /絵
童話屋
お金持ちの住む通りに引越してきたクロケットさんは
皆から変わり者と思われていました。
花屋の隅に捨てられていた枯れたモミの木を家の前に
植えて話し掛けたりする人でしたから・・・
枯れていたモミの木はクロケットさんの世話ですくすくと
成長し、見上げるような大木になりました。
あるクリスマスのこと
モミの木に たくさんの色とりどりの小鳥たちが来て
歌を歌います。
「しあわせのモミの木」になれたら・・・
さっきまで赤坂のライブハウスで友人のバンドの
JAZZライブを聴いていた。
まだ、The Nutcracker Suite(くるみ割り人形組曲)が
頭の中でスゥイングしている。
It Don't Mean A Thing (スイングしなきゃ意味ないね)
いいなあ~ ピアノ音も サックス音も ギター音も・・・
昨夜は学生時代の友人と10年ぶりぐらいに再会した。
病院勤務の彼女から患者さんとの不思議な体験談を聞いて
すっかり人の生死に感動してしまった。
10年ねえ~ 短いような長いような・・・
お互いにいろんな時間(環境)を過してきた。
今の自分があるのは・・・「環境のせいでこうなった。」と言いながらも
でも、やっぱり、自分で選択してきた時間(環境)だったと思う。
選んできた時間は やはり自分の中にあったんだ。
人のせいで<今の自分>になっているのではない。
水曜日・木曜日は新しく始めた図書の仕事で
区民センターHPビルダーの入力操作を習う。
コピーをしたり リンクをしたり、解除したり 貼り付けをしたり
もう何時間も繰り返した。
一連の操作が私には上手く出来ない。
ドラックを失敗したり、Enterをわすれたり・・・
ノートPCのキーボードも私には馴染まなかった。
時間がバタバタと流れ
ライブハウスにいる自分も
夜の居酒屋で友人と談笑する自分も
区民センターの委員室でパソコンをやっている自分も
本当に 自分はその場に居たのだろうかと不安になる。
すべてが幻か錯覚みたい・・・
私は自分の時間に対して よくそう思うことがある。
人は普通、こんなこと感じたりしないものなのだろうけど
その場所・その時間・その空気
まるで落ち葉のように 私の中でパラパラと舞っていく
自分がその場にいたのだろうかと・・・
そんな師走の始まり
掃除も 母の介護も 生活のやりくりも
幻や錯覚していたのでは務まらない
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心配になりました。
色々仕事とか大変だけど、元気なので、安心しました。お友達とも楽しい時間を過ごされたのですね。
もう、カレンダーもラストになりました。
師走は紛れもない現実、だものね。やることが、沢山ある、と思っただけで、疲れてしまう私です。
ハーモニーの幸せ 読みたくて買いました。
文庫本しかなかった。内容は同じだから、
ランディさん、吉祥寺にすんでいらしたのですね。
読み始めたばかりだけど、読みやすいです
たまちゃん
ご心配をおかけしました。
とても感激しました。嬉しかったです。
もう、師走だね。
たまちゃんこそ、お忙しそうなのに・・・
無理しないでご自愛くださいね。
ランディさんの本
人によっては受け付けないものがあるかも・・・
私は好きですね。
新しい世界へ飛び込まれたのですね。
うらやましいです。
noaさんと同じように、
私も自分の自由な時間を過ごせたとき
時々ふっと自分がしたことが
夢の中の出来事だったのでは
等と思うことがよくあります。
もしかして今こうして生活しているのも
夢の中かもなんて馬鹿な事を考えたりします。
お仕事も介護生活もいっぱいいっぱいになっても
いつも笑顔でいるのって疲れませんか?
たまには自分の時間みつけて
心に栄養をあげて下さいね。
海さん
笑顔ではないですね。私
自分・自分って・・・
いつも思ってばかり
私は親とはいろいろな事があって憎しみあった
時もありました。
親に愛された記憶がないんです。
でも、骸骨みたいになって自力で何も出来ない
ましてや、自分すら認知できない母をいまさら
憎むなんて・・・疲れるから・・・
もういいや
私の生活は<もういいや>だらけ
本当はどこにも居場所がないような私です。
だから、楽しい事や人と過す時間が夢の中の
ように感じるのかもしれません。
私には自分の時間がありすぎた気がします。
親子とか家族とかが切り取られている。
いま
私は人とのつながりを求めています。
そうするには
なにから手をつけていいのか
やらなくてはならないことが溜まっていて・・・
途方にくれます。
私はなにをしているんだろう?
こういうのを逃避というのかな・・・
おかしな事を書いてしまったわァ
フ・フ・フ~ 馬鹿みたい私。
娘の「心理学」の教科書でも読んでみようかな?
この年齢で自分探し
何も知らないのに変なことを言ってしまいました。
ごめんなさい。
私が考えていたnoaさんは
愛情いっぱい育った方でした。
だって、あまりにも皆に優しいから。
私にはとてもまねができないと思いました。
出会いはいつも偶然ではなくて必然的なものだと
私は思っています。
noaさんがお母様と出会われたのも
きっと、とても意味がある大切なことだったと
思います。
子どもに愛情をかけてあげられなかったお母様も
お母様自身が本当は愛情をいっぱい欲しかった
のではと勝手なことを思っています。
今のお母様と出会われたから
今の優しいnoaさんがあるんですね。
愛情の大切さを一番知ってあるから。
私がnoaさんと出会えたのも
何か大切な意味があることだと思いたいです。