継続の法則 自助努力のススメ 公認会計士 内藤勝浩のブログ

目標、正しい理想に向かってコツコツ自助努力を継続する人を応援するブログ

あか~ん チン No15 監査報告書と経営者の責任と検査不正と情報操作

2022-11-16 16:12:11 | 会計



 公認会計士が監査をしたときに、監査の結果報告等のために監査報告書を作成します。
 法律で公認会計士監査が必要とされている会社・法人等の決算書類に添付されます。
 決算書類が公開されている場合、監査報告書も公開されている場合もありますので、インターネットで確認することもできます。
 監査報告書には、経営者と監査役等の責任として、次のような文言が記載されています。

財務諸表に対する経営者及び監査役等の責任
 経営者の責任は、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して財務諸表を作成し適正に表示することにある。これには、不正又は誤謬による重要な虚偽表示のない財務諸表を作成し適正に表示するために経営者が必要と判断した内部統制を整備及び運用することが含まれる。
 財務諸表を作成するに当たり、経営者は、継続企業の前提に基づき財務諸表を作成することが適切であるかどうかを評価し、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に基づいて継続企業に関する事項を開示する必要がある場合には当該事項を開示する責任がある。
 監査役等の責任は、財務報告プロセスの整備及び運用における取締役の職務の執行を監視することにある。

 簡単にいうと、「正しい決算書類を作成する責任とそれを実現するための内部統制の責任は経営者にあります」ということです。
 次の監査役等の責任は、「監査役等の責任は、決算書類の作成過程を整備し、運用する経営者たちの職務を監視することにあります」ということです。
 これに加えて、財務諸表監査における監査人である公認会計士の責任が記載されます。
 これらは、それぞれの責任が違いますということを監査報告書において明示したものと考えられます。
 監査論の勉強を始めたころから疑問に思っていました。
 特に、経営者の責任についてです。
 監査報告書に記載されている経営者の責任は、非常に重要なことであるのに、経営者が自ら宣言、宣誓等をしたものではないのです。
 決算書類の一番後ろに添えられる監査報告書の一文でしかありません。
 この経営者の責任のような文言は、決算書類の一番最初に、宣誓文として記載すべきではないかと思うのです。
 先日、自動車メーカーに続いて、ある電機メーカーが、長年、検査不正をやっていたということを公表しました。
 しかも、また、有名な企業です。
 従業員の、検査結果のウソということですが、長年、複数の場所で行われていたようで、決算書類の数値に与える影響は計算できるのでしょうか?
 それよりも、決算数値だけでなく、販売する製品、所属する役職員、公開するすべての情報等が、信用できないという結果になるのではないかと考えます。
 是非、決算書類等の冒頭で、
 「経営者には、嘘をつかない、誤魔化さない企業文化を醸成する責任があります」
 「経営者には、正しき企業活動とは何かを追及していく責任があります」
と宣誓してもらいたいです。
 ところで、この検査不正が、製薬会社だったらどうなるでしょうか。
 しかも、その検査不正のデータにより、お役所が、重要な薬に承認を与えてしまったらどうなるでしょうか。
 お役所も一緒になって、マスメディアも一緒になって、薬の有効性・危険性を情報操作したらどうなるでしょうか。
 たいへんなことになりますが、この情報操作は、なかなかバレません。
 残念ながら。

 お釈迦様は、この世は、苦しみの世界だと言われたようです。
 現代は、大嘘(おおうそ)が蔓延した世界だと感じます。
 誰か、どうかしてくれ!

 ちなみに、もし、このたいへんな状況がバレて、被害を受けた方々が、損害賠償を求めた場合、お役所の損害賠償金は、結局、将来、国民が税金で支払うことになります。
 そんなバカな。
 できれば、製薬会社、関係するお役人、政治家、専門家に加えて、メディアにも賠償を求めてもらいたいものです。

 話がそれましたが、検査不正を公表した企業だけでなく、すべての重要な企業に、そして、政府、役所等にも、神さま仏さまに宣誓してもらいたいものです。
「嘘をつかない。誤魔化さない。」
「正しき企業活動とは何かを追及していきます。」




 大嘘のニュースを耳にすると、気分が悪くなります。
 しかし、家の周りにやってくる小鳥や昆虫を見ると、ほんのひと時ですが、ホンワカした気持ちになれます。
 がんばろっと。

 会計に関連した私の考えについて、書こうと思います。
 できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
 会計は分からないけど興味がある方、会計を勉強したいと思っている方、会計に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
 皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
 61歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


オッサン公認会計士の介護ITCJ 【20】介護とイライラ

2022-11-12 13:39:26 | 介護



 先日、地元の新聞を見ていたところ、私が子供のころに、よく聞いていた歌手の方が、お母さんの介護の本を出されたという記事がありました。
 記事の見出しに、「イライラ」と出ていたように記憶しています。
 「イライラするよなぁ。」
 「イライラするんだぁ。」
両方の思いがありましたが、少し安心しました。
 私は、よくイライラしていました。
 その度に、そんなイライラする自分がイヤになり、心を落ち着けて、反省をし、なんとかイライラしないようにしようと心掛けてきました。
 私が、現在、思いとして、その結果の行動として、心掛けているのは次のようなことです。
 「完璧な介護などできない。」
 「介護に対して、過度の責任を感じる必要はない。」
 「できる限り、家の中では、自由にさせてあげたい。」(だから、こけることもあります。)
 「こちらが予期しない行動をするのは、母の自由。それで、こけても、それは母の問題。その行動に対して、イライラするかしないかは、私、介護をする側の心の問題」
 このブログを書く少し前、私が歯を磨いているときに、ドスンという音が居間でしたので行ってみると、母がこけていました。 
 食事が終わって、寝室に行こうとして、テレビを消そうとし、手すりのないところへ行き、こけたようです。
 いまのところ痛いところはないということです。
 母は、あまりこけません。
 こけても、こけ方がうまいようです。
 (今までは)
 注意はしましたが、イライラはしませんでした。
 なんとか、イライラせずに、明るく、穏やかに、お世話をしていきたいと思います。
 足を鍛える訓練等もしています。これも、明るく、穏やかにするようにしています。



 小鳥の鳴き声を聞いたり、姿を見たりすると、心が少し穏やかになります。
 私にしては、うまく写真に取ることができました。
 シジュウカラでしょうか。
 我が家の近所では、始めて確認しました。
 ありがとね。

 介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
 たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
 皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
 61歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


先延ばししていることを定期的に検証せよ。思いだけで実現はできない。正しい判断で一歩を踏み出せ。

2022-11-09 15:26:16 | 継続の法則



 「やろう。やろう。」
 「いつか、やろう。」
などと思っていて、そのままズルズルいってしまうことって、ありませんか。
 私は、過去にもありましたし、今でもあります。
 44歳のときに、それまで勤務していた地方銀行を辞めて、公認会計士を目指すことにしましたが、突然、思いついたわけではありません。
 30歳くらいのときから、退職して、自分で仕事をやりたいと考えていました。
 仕事をしながら、公認会計士の資格をとることもやってみましたが、実現には、いろいろと壁がありました。
 そこで、熟慮の末に、勤務先を退職して、勉強に専念することにしたのです。
 今も、いろいろあります。
 庭の草木が伸び切っており、「切ろう」「いつか切ろう」と思っていましたが、ズルズルとなってしまいました。
 昨日、「とにかく少しでも」という思いで、短時間、ゴミ出しのついでに、木の枝を2~3本切りました。
 とにかく一歩を踏み出したつもりです。
 (小さなことですが、面倒くさがり屋の私にとっては、大きな一歩です。)
 そんな私の11月1日から8日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。

 



 なんとか努力の継続ができた8日間でした。
 できる限り、自助努力を継続していきたいと考えています。
 それを生かすときがくることを楽しみにして。



 我が家の柿の木です。



 先日、ご近所にも配りました。
 よく実ってくれました。
 ありがとね。
 私も人生の果実を実らせたいと思い、少しずつ努力しています。
 でも、まだまだ未熟です。


 正しい目標に向かって、正しい方向で努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 がんばれ。
 負けるな。
 皆様に神さま仏さまのご加護がありますように。
 61歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


あか~ん チン No14 預金というお金の発行

2022-11-07 15:18:45 | 会計



 会計では、預金を現金と同様にお金として取り扱うことが多いと考えます。
 預金通貨という言葉があるように、一般的にも預金をお金と考えていることが多いと考えます。
 ところで、この預金というお金は、どこで発行されるのでしょうか。
 紙幣と同様に、日本銀行しょうか。
 それも、ありますが、銀行は、新たな預金を発生させる機能を持っています。
 銀行は、融資をすることで、新たな預金を発生させることができます。
 銀行が融資をしたときの会計処理は、次のようになると考えます。



 銀行では、貸出金という資産と預金という負債が発生します。
 融資を受けた会社は、預金という資産が増加し、短期借入金(または、長期借入金)という負債が増えます。
 この銀行の仕訳を見ると、「銀行は、預かった預金を元に融資をするわけではない。だから、銀行は、預金の金額に関わらず、融資をすることで預金というお金を発行することができる」というような考え方をする人がいるようです。
 なぜでしょうか。
 一般の会社が、他社に融資をした場合は、次のような会計処理をします。



 お金を貸した側は、持っている預金または現金を減らし、短期貸付金(または長期貸付金)を計上するという処理をします。
 お金を借りた側は、銀行から融資を受けた場合と同じ処理です。
 銀行は、自らの資産を減らすことなく、融資をすることができるので、上記のような「銀行は、預かった預金を元に融資をするわけではない。だから、銀行は、預金の金額に関わらず、融資をすることで預金というお金を発行することができる」という考え方をするようになるものと考えます。
 この考え方は正しいでしょうか。
 仮に、預金が全くない銀行が融資をすることで貸出金と預金を発生させたとします。
 融資を受けた会社が、現金を引き出そうとした場合、他への支払いをしようとした場合、融資をした銀行は、預金に見合う現金や預け金(銀行が他の銀行にしている預金と考えてください)がないと処理できないことになります。
 ただし、全ての企業、個人、他の銀行等が、融資をした銀行に預金口座を持っていれば、支払手段として預金を移動することで対応ができます。
 実際は不可能です。
 また、現金(紙幣や硬貨)を発行することができれば、預金がなくても、融資を受けた先の支払いに応じることができます。
 これも不可能です。
 紙幣を発行できるのは、日本では、日本銀行だけだからです。
 銀行は、預金者から集めた預金を集めない(または、他からお金を借りるかしない)と融資した先の融資金の支払い等に応じることができないということになります。
 預金を集めると(または、他からお金を借りると)銀行は、現金等の資産を保有することになるからです。



 結局、銀行は、預金者から集めた預金を元に融資をしているということになります。
 ただし、上記、銀行が融資をしたときの会計処理から分かるように、新たな預金を発生させること、預金量を増やすことはできます。
 つまり、集めた預金というお金を元に、新たな預金というお金を発行することができるということになるのです。
 これらの機能は、預金と融資を行う信用金庫や信用組合等の金融機関でも同じであると考えます。
 一般的に言われているように、「銀行は、預金を集めて、その資金を融資している」というのは間違っていないと考えます。
 一部、そうではないというような考え方をする方がいるようで、気になったので、私自身も勉強し、考えて、ブログにアップしてみました。
 「お金」に対して、正しい認識を持っていただきたいと思います。

 会計に関連した私の考えについて、書こうと思います。
 できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
 会計は分からないけど興味がある方、会計を勉強したいと思っている方、会計に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
 皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
 61歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


オッサン公認会計士の介護ITCJ【19】おにぎり

2022-11-05 13:05:55 | 介護



 母に、ご飯(お米)を食べてもらおうと、ご飯を炊いたときは、おにぎりを作るようにしています。
 歯がないので、小さい方が食べやすいのではないかと考えたのです。
 「おかゆの方がいいんじゃない?」と思わわるかたもいると思いますが、おかゆは食べてくれません。
 なぜか?
 近くのスーパーで、小さめのおにぎりを作る容器を購入しました。
 こんなモノです。



 炊いたご飯に、ふりかけをかけて混ぜ、他の器に移します。
 今日は、混ぜ込みわかめ、肉みそ味です。
 白ご飯よりも、ふりかけを入れた方がよく食べてくれます。
 毎日、ふりかけを変えています。
 母は肉が好きなので、肉みそ味はよく使います。



 ご飯をスプーンで容器に詰めます。
 こんな感じです。



 詰め終わったら、フタをギューッと押し込みます。
 こんな感じです。



 フタをとって、器に並べます。
 こんな感じです。



 ご飯が柔らかすぎると、おにぎりの形になりません。
 固すぎると食べるのが大変です。
 微妙な柔らかさが要求されます。
 よく失敗します。
 ご飯の量と水加減が難しいのです。
 失敗したときは、
 「ご免、失敗した」
 「私も完璧ではないので、許しちょくれ」
と言って差し出します。
 それで分かってくれます。
 一所懸命やっています。
 なんとか良くなって、歩けるようになってくれること、介護度合いが軽くなることを願っています。
 そして、コロナ禍を生き抜くことが目標です。
 コロナ禍を抜け出た後に来る良い時代を経験させてあげたいと思ってやっています。
 (私は良い時代が来ると考えています。)
 ささやかな願いです。




 少しピンボケですが、白色の百日草です。
 一度、咲いて枯れてしまったのですが、再び咲いてくれました。

 「まだまだ、がんばるよ。」
 と言っているようです。
 ありがとね。

 介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
 たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
 皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
 61歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。