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永井荷風ー日本橋区中洲病院

2009-07-17 15:24:13 | 書籍
箱崎川の菖蒲橋から見た清洲橋ー昭和38年の撮影ー
「昭和毎日」から。清洲橋は昭和3年の竣工です。


岡本綺堂のところで永井荷風にちょっと触れて脱線して
しまいましたので少しばかり荷風のことも。


「アメリカ物語」「フランス物語」「日和下駄」の作者永井荷風が
よく通っていた病院で、「断腸亭日乗」など彼の作品の中にも
よく「中洲病院」として登場してきます。

永井荷風は胃が悪くよく病院通いをしています。なかでも
当時日本橋区にあった中州病院には良く通っていました。
銀座が好きだった荷風はちょっと足を延ばせば中州病院
まですぐですから何かにつけ行っています。自分のお手つき
をした女も連れて入院させているようです。また女遊びの好
きな荷風は花柳病の心配をしょっちゅうしていました。


正面全景(かつて深川白河町の交差点にあった同潤会アパートの
正面玄関に良く似ています。)

中州病院のあたりは当時はまだ箱崎川がありました。
今の箱崎の東京シティーエアターミナル、所謂TCATのある
あたりから首都高速の下は川で、中州には橋が架かり独立し
た小島になっていたのでした。箱崎川は隅田川から枝分かれ
して流れていたのです。しかし1971年(昭和46年)には
箱崎川は埋め立てられてしまいます。私はこの埋め立ての
様子は見ているはずですが生憎外国に滞在していた年ですので
見損ねているかも知れません。はっきりした記憶がありません。

中州の方に向かい濱町三丁目のほうからは男橋、女橋とふたつ
の橋が架かり中州町12号地に4階建ての184坪の敷地を持つ
中州病院があったのです。


断面図です。

起工は大正15年7月、竣工は昭和2年5月ですから永井荷風が
まだまだ血気盛んな頃です。

当時としては近代的な設備をもった病院です。日光浴をする部屋も
あり中州界隈では異色の存在といっても良い立派な建物でした。
その後に清洲橋も完成しヨーロッパの香りのする橋梁が目の前に
ありました。


手術室です。産科婦人科が主なようでしたが何でも診たんでしょう。

現在箱崎川は埋め立てられて首都高速の下あたりの金刀比羅
神社の裏手、公園になっているあたりにかろうじて当時の遺跡の
川の跡が見受けられる程度です。この高速下にはホームレスが一
時期たむろしていたのですがどうなったでしょうか。(先日
通りかかったら盆踊りをしていました。綺麗になったようです。)

今は生まれ育った深川に住んでいますが、私は一時期このすぐ近
くの浜町に住んでいたのでこの辺りには思い入れがあります。

川のあった跡は大体道が造られるのが通り相場です。下に道路、
上に高速道路といった具合で、水路で残しておくべきところまで
潰してしまい日本橋など真上に高速道路を作るという愚行を平気
で犯すほどで、まことに味気ないものです。今はもう浜町中の橋
などと名前は残っていますが往時の面影はもうありません。

清洲橋から新大橋通りまで出るとかつては都電が走っていました。
オリンピックを境にしてガラリと変わってしまい、川は埋め立てられ、
船は消えて行き江戸はおろか昭和の初期の雰囲気すらもはやあり
ません。同じような無機質のビルが立ち並び、味気のない町並みは
永井荷風じゃなくても嘆きたくなります。

中州病院ももちろん現在はその姿をとどめておりません。
病院の写真は「建築資料研究会」発行の「最新建築設計叢書」から
のものです。

かつての中洲はここの地図です。現在と昔の中州がgoo地図で見られ
ます。

浜町からすぐの人形町は芸者新道のあるところ。かつての芳町の夜の
賑わいが蘇る横丁はこちらをどうぞ。花柳小菊さんが懐かしい。

先代の江戸家猫八はかつて浜町公園のそばに住んでいました。大昔、
町医者の待合室で良くお見かけしたものですが、すでに亡くなられて
おります。

永井荷風はこの中州病院のほかに土州橋医院という名前を良く出して
いますが、今のところ写真らしきものが見当たりません。





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