農業じゆう人

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山梨に空港があった・・?

2016年12月19日 12時25分15秒 | 地域
   タレント?イヤ映画界の巨匠の“北野武さん”の父親、“菊次郎さん”が「太平洋戦争末期
   徴用で山梨県に行ってベニヤ板で作った偽装戦闘機の塗装をしていた・・?」
   そんな記述が“北野さん”の兄、“北野大さん”の著書にあるんだそうです。
   それを空港の並べて敵の目を欺くというものなんだそうです? えっ山梨に空港があったの?
   調べてみると当時、山梨県に玉幡飛行場と、「ロタコ」という暗号名で呼ばれた旧日本陸軍の
   秘匿飛行場「御勅使河原(みたいがわら)飛行場」が現在の南アルプス市にあったんだそうです。

   「ロコタ」は、本土決戦に備え全国に飛行場の建設を進めていた陸軍が東京・立川にあった
    航空廠(しょう)を分析し航空兵力を秘匿するために整備した、滑走路や機体を格納する
    掩体壕(えんたいごう)、飛行機の建造工場や倉庫として使う横穴壕などの総称だったそうです。

   南アルプス市教育委員会の“田中大輔副主幹”によると、軍の機密なのでロタコの意味を
   明記した資料はないんだそうです。 説として「第二立川航空廠」から、ロはイロハのロで第2、
   タは立川、コは航空廠を指すとする説が有料なんだとか? 
    「ロタ」が立川航空支廠を表すという説もあるんだそうです。

        
   上の写真左のように、ブドウや桃の畑の中から真っすぐに八ヶ岳に伸びる農道からみると
    誘導路からそのまま幅100㍍、長さ1500㍍の滑走路になった場所だそうだ。
    「戦闘機の発着だけなら大きすぎる。輸送機の使用も考えたのでは」と先の“田中さん”

   今は、滑走路は畑に戻り、どこがそうだったのか素人目にはわかりませんでしょ・・?
   航空写真で確認すると、周囲の土地区画を無視して作られていることがわかるそうです
   山梨県立博物館の“森原明広学芸課長”は「冬の季節風、八ヶ岳おろしを正面から
    受ける設計になっている。八ヶ岳は空港の目印にもなる」と話しています。

    市内に住むご高齢の方は、国民学校時代に偽装戦闘機を作っていたという。
    家の畑が滑走路になり、カムフラージュのために滑走路上に桑の根や松の葉が
    まかれていたことを覚えているとも言っているそうです。
    “戦争はもうたくさん。語り継ぐためにもロタコは残してもらいたい”と、反戦への
     思いを込めて口にしてくれたそうだ・・!

    同じ戦争遺跡でも「広島の原爆ドーム」などとは違い、ロタコは地味かもしれない・・
    それでも、今は果物に恵まれたこの地域が、戦争と無縁ではなかったという歴史を、
    確かに語っているようにも思えます。