読書な日々

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「変貌するフランス」

2008年01月18日 | 人文科学系
長部重康『変貌するフランス、ミッテランからシラクへ』(中央公論社、1995年)

1995年に出版されたこの『変貌するフランス』と2006年に出版された「現代フランスの病理解剖」を読んで、フランスの抱える問題がだいぶわかってきたような気がする。これまで不思議に思っていたことが、まさにフランスの病理の一つだったのだということが分かってきた。

たとえばパリといえば路上駐車が当たり前で、日本のように車検という制度がないこともあって、一列に並んだ路上駐車から車を出すのに前後の車にボンネットをぶつけるというようなことがよくあると思われている(それは実際にはそんなにしょっちゅうあることではないだろうけど)、なぜこんなに路上駐車をするのかと言えば、駐車場がないから。東京でもロンドンでもニューヨークでも大都市ではどこでも都市再開発によって巨大ビルと地下駐車場で狭い土地の有効利用と情報高度化を図っているが、パリは相変わらず街の景観を大事にするという理由でそうした近代化がまったく行われていない。当然、大企業の本部などはパリ市内には置けず、郊外に出ることになる。

一事が万事この調子で、要するにフランスは日米が一生懸命に近代化、技術革新にはげんできたときに、ミッテラン政権が中心となってまったくそれと逆をいく政策をとったために、世界の先進国に大きく後れを取ってしまったのだ。その結果が、高失業率であり、テクノロジーの遅れであり、貿易赤字であり、硬直した社会に固有の貧困である。

この本ではミッテラン社会党政権がどういうことをしてきたのかをかなりはっきりと描き出している。社会主義的政策に固執したりするあまり、いつまでも重厚分野への偏重が激しく、コンピュータテクノロジーをはじめとする技術革新への投資が弱くて、科学技術の点で日米に一歩も二歩も遅れたのだ。

ミッテランはそれをまったく理解しておらず、70年代の社共共闘のなかで伝統的に主張されてきた産業政策、つまり国有化による雇用創出というケインズ主義的手法を行い、ものの見事に失敗した。それが完全に机上の空論であるということを「ミッテランの実験」として証明して見せたのだった。たしかにこの意味では「ミッテランの実験」は意義のあるものだったのかもしれない。

そしてすぐにミッテランと社会党(というか社会主義そのもの)への失望はフランス国民の多くを覆っていたのに、右派たちも経済というものがよく分かっていなかったようで、相変わらずのゴーリズムとディリジスムを繰り返すばかりで、フランスの経済は一向に好転せず、ミッテランの統治下に失業者は急増し、失業率も10%以上をキープし、労働組合の組織率は10%を切るようになる。

一方では移民問題にも有効な手が打てないまま、失業の増大と移民の増大があたかも相関関係にあるかのように描き出す極右のフロンナシオナルの急成長を許してしまうことになる。また共産党が強く赤い地帯と呼ばれていたパリ周辺の諸都市で共産党が凋落すると、それまで共産党とその影響力の下にあった労働組合のCGTが移民の統合というフランス共和国の根本理念をまがりなりにも実践していたのに、それができなくなり、これらの地域は逆に未組織の移民の若者たちが荒れ狂う地域になってしまったのだ。

私はダニエル・サルナーヴ、リディ・サルヴェイル、ミシェル・ウェルベックたちが描くフランス人のどうしようもない貧困(物質的貧困、精神的貧困、性を絶対的で決定論的なものとみなすことなど)は、エリート主義に毒され、政治はエリートにまかせておけばいい、庶民は口出しをするなというような分業的考え方が、底辺のフランス人の絶望感をどうしようもないところまで深めてしまっているように思うのだ。こういうことが、この二冊の長部氏の本を読んで初めて分かったような気がする。

この本を読むと、今のフランスはにっちもさっちも行かないところまで来てしまったように見える。移民問題はどうしようもない袋小路に入っているし、官僚主義は根強く、たぶんこれを打破することなしには、フランス経済の発展はないだろうが、サルコジがそこまでやれるのかどうかということも、たぶん悲観的な展望しか出てこないようだ。


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