西京極 紫の館

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戦国武将の御宅拝見49 - 織田信長/ 清洲城 -

2019年04月23日 22時21分50秒 | お城探訪
娘が「藤の花の写真が撮りたい!」と言い出し、
嫁サンが「天王川公園で“藤まつり”ってやってるから、ココに行こう」となり、
「GWに連れて行け!」と言われたけど、
「GWなんて人多いし、高速は大渋滞やし、平日会社休んで行こう」と僕が言い、
「公園が津島市やったら、帰りに清洲城に行きたい」とさらに言って…同意を得る。

で、本日家族&犬と一緒に藤&城ツアーです。

まずは天王川公園ですが、京都から新名神経由で一時間半。
3月中旬に新たに開通した新名神亀山~四日市エリア、通ってみたけど、早かったのかな?
とにかく弥富ICで下りて下道で10kmほど。
公園はそこそこ大きな池の周りが公園になっていて、さらにその一部が藤棚になってます。
まだGW前だったのもあって、藤の開花は五分咲きくらい。
それでも早咲きの種類の藤もあって、香しい芳香を漂わしておりました。











藤にも紫色の濃いヤツから薄いヤツ、ピンク色のヤツやら白っぽいヤツやら色々あるんですね。

ウチのワンコの目にはどう映ってるんでしょうかねえ?

藤の花を堪能し、今度は僕のメインである清洲城です。
天王川公園から清洲城までは約15km、下道30分程度で着きます。

お城の裏手の無料駐車場に車を停めて、まずはお城の正面に回り込んでみます。

この清洲城、今、模擬天守が建っている場所は本当の清洲城の天守の場所ではありません。
本当の天守は橋を渡った逆側にある清洲古城跡公園の中にあったようです。
古城跡公園の中央を分断する形でJR東海道線&東海道新幹線が通っています。
(京都から新幹線に乗ると名古屋駅通過直前に清洲城が見えますよね)
まずJR線の北側部分には「清洲古城跡」と記された石碑と祠があります。





ここにも小さいけど藤棚がありました。最初からココでも良かったんじゃ…ダメか?

他にも清洲城の前を流れる五条川の川辺に清洲城の石垣の跡が残されていました。
野面積みですね。

次にJR高架下を潜って南側へ。
ここには有名な桶狭間の合戦に向かう織田信長公の銅像があります。

そして信長の正室・濃姫の像も。

出陣前の夫の勝利を願いつつ見送る妻…というイメージの位置関係です。

さて、いよいよ朱塗りの大手橋を渡って天主へ。
ここ清洲城の天守は信長公記にある“天主”と表記するのが正しいらしい。

大手門を潜る。

すぐ天主。手前には砂で創られた美しいお庭。(当然ここは進入禁止!)



清洲城は桶狭間の合戦で勝利した織田信長が那古野城から移り、本拠にしたお城。
その後、信長が本能寺の変で死ぬと、この清洲で織田家の跡目を決める会議が行われ、
羽柴秀吉が信長の孫・三法師を擁立し、実権を握った事でも有名ですね。
その後も福島正則が城主になったり、
関ヶ原合戦後には松平忠吉、徳川義直と徳川家康の一族のものとなったりしました。

現在の天主は当然模擬天守で、平成元年に建てられたもの。
平成最後の年に平成元年に建ったお城に来るって…なかなか感慨深い。

外観は五層四階で、最上階には朱塗りの回廊があり、凝ったデザインです。
天主の中を見学するには大人300円。当然入ります。

天主は鉄筋コンクリート造りですが、内装は木調で統一され綺麗です。



戦国武士の生活の様子や、石落しから石を投げ落とす足軽の人形があります。

秀吉の兜や、家康の頭巾兜など(恐らくレプリカ)も飾られてました。

最上階には桶狭間の合戦に出陣する前に「♪人間五十年~♪」と幸若舞を舞う信長像が。

最上階から四方を望む。



西側(正面大手門側)と北側。



南側と東側(名古屋市内方面)。
この方向に名古屋城が見えるそうですが、今日は霞がかかっていて見えませんでした。

天主の見学を終えて、裏手に回り駐車場へ。
僕はこれから桶狭間へ向かう…のではなく京都へ帰りますw
以上、恐らく平成最後のお城レポートでした!
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