『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

源平合戦 日本が熱狂した時代

2019-02-15 01:44:53 | 中国
現在の壇ノ浦


盛岡八幡宮の例大祭での盛岡山車、牛若丸と弁慶が登場する。藤原三代と義経は岩手の英雄。

源義経
平安時代、国中を縦横無尽に駆け回り
雪の北陸では虎の尾を踏む逃亡生活
蝦夷地においては義経神社の祭神

徳島県小松島市はゴルフジョアン
奇襲をかけるべく五艘の船で上陸し一路、屋島に向かう。ナポレオンがエルバ島を脱出しパリに向かうと同じ、小松島は日本のゴルフジョアン

旗山神社 近くに義経橋もあります

従軍した関東武士全てが義経郎党ではなく勝ち馬に乗ろう、所領を拡大してやろうとこれはごく普通の納得できる感覚。しかし、それだけでは説明できない熱狂があったと思う。

武将のイメージからかけ離れた義経。
腕力が乏しく無限に勝ち続ける背後に鬼神、戦神を見ていた。


平家打倒という大義名分のみでは説明できない。
生まれながらに自覚していた内なる衝動を昇華させた源平合戦、それは義経の自己実現でもあった

合戦図屏風に何度も描かれる武将たちの華麗さと駿馬の躍動感、後世時代を代表する画伯たちが技量を発揮するべく何度も題材にした源平合戦

「清盛は常識的な現代人」
比べ平清盛は今の私たちからしても、極めて現代人であったと思う。
聡明にて如才なく儀礼に尽くす。合わせて卓越した政治力。



天皇を中心とする貴族政治の権威をかり王国を築き上げた清盛を筆頭とする平家一門。
時勢を背景とした起業家が世界に販路を広げ莫大な富を得る。
いまの時代と全く変わらない。

平安時代という安定した政治体制が制度疲労を起こし皺寄せは民衆に押し付けられ、民衆の疲弊も極限にまで達していたその時に登場した武将が源義経。純友、将門の乱はその萌芽であったかもしれない。






増上慢となる平家、冷静な都の民は御所の風見鶏が西から東へと反転した姿にいち早く気付き歓喜したに違いない。

国土を熱狂させた源平合戦は義経の平家打倒という個人的な怨恨だけでなく
いまこの戦に参加しなくてはとの民衆の狂騒状態があったと思う。

時代の節目において歴史の神々はその時代を変革しうる人物を送り込む。
それはいつの時代にも異端の集団やや多数の民衆のなかにいる。

人々の遺伝子のなかに刻み込まれ危機において覚醒する心根揺るがした古代世界の記憶。
それ故に平家物語がいまも語り継がれる由縁であると思う。


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