『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

続、さくさく秋田

2019-03-28 16:59:58 | 東北


羽田の発着回数もそろそろ限界ですが更に回数を増やそうとしている。ITによる補完もあるがルーチンワークの効率化は可能でも自然災害などシステム外の事態には全く機能しなくなってしまう。以前、航空管制官の方に「しょっちゅうトラブルを起こす◯◯航空はどーなんですか」とお聞きしたところ「奴らは馬鹿だ」とそれだけ。「みなさーん、奴らは馬鹿なんだそーです」管制官の予測を超えた超絶技巧的な行動をとるらしい。もっとも離陸後はどこもパイロットの裁量が重要になりますが馬鹿な航空会社のせいで空域の変更に横槍を入れられても困るのでこれ以上言わない。

東北新幹線の320キロ走行も300キロ弱から体感感覚として無理矢理加速しているようで風切り音や車輪が空転するような違和感。いま以上の速度アップも技術的には可能だが解決するべき問題はまあロールスロイスは乗ってて肩が凝りますみたいな話し。
リニアなどの全く物理学的に異なるイノベーションでの解決が待たれる。

もっとも普通の生活感覚ではいま以上、生活インフラの高速化は必要ではないようにも感じる。早く目的地に着いてもスマホでくだらない画面を見ているだけだから。

これからはITにサポートされる隙間もあるが人間の能力が限界に近づいている。20世紀に結核を始め感染症は克服したが、しかし脳や神経に関する課題は取り組みが始まったばかり。能力開発で決定的な理論はまだ見当たらない。

実は多彩なアクセス機能のあった秋田

敦賀からフェリーも、それと新幹線の存在感、盛岡から在来線で秋田へ行けと言われれば考えてしまう。

秋田発のバスは7社が参入、もっとも道路を整備する訳でもなく車両の確保ができれば参入できる。撤退もあっさり


山の神

圧倒的少数でありながら独特の価値観生命観により関東甲信越まで活動したマタギ、その起源は平安時代にまで遡るとも言われる。農民が一生涯、ムラを出ずに過ごした時代にあって行動範囲と情報の質の優位性があった。

鳥海山登山口付近

多数派が少数を席捲するのは世の常だが、世の中が総撤退戦となる時に「旗を立て悠々と戦場に向かう」連中もいたりする。

鳥が餌を探してます、右上


雪国の春


TDK本荘工場(創業者が秋田出身による)


由利高原鉄道


深刻な過疎化、秋田県南部
新しい建築があるなと思うと県立大学であったりTDKであったり、しかし人の確保がいよいよ難しくなっている。ドラッグストアのレジ嬢なら若いバイトのお姉さんをイメージするのだが、どう見ても私より年上のお姉さんが働いていたりする。



人もいなくなって耐用年数の過ぎた家屋は壊すだけだが放置された家もちらほら。公民館もやっとこ歩いているような年寄りばかり、でもまだ外に出てくるだけいいか。側から見ても自治体もコミュニティも待ったなしの崖っぷちであることが見て取れる。老人施設さえも市街地に集約するのではないかと思う。施設は夜勤もあり雪国の通勤は過酷だし医者もすぐに駆けつけられない。虫喰いだらけの商店街にでも開所すれば就業や納品も手間が省ける。奥地ですれ違った車両はクロネコと役所のバンだけ。かつての勝利者であった地銀職員も年寄りの年金が最後の饅頭だろうし現状を肌で感じているに違いない。道路修繕費の抑制、簡易水道への切り替えなどコストカットはまだ可能ですがそれは帳簿上の処理になるだけで解決には実はならない。もう既に山村の景観は素晴らしい、余所者イジメが酷い、の段階でなく地域社会の存亡危機、これはマズイだろと本気で考えた一日でした。




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