旧綱領に、「らしさ」の押しつけと感じる人が多くなってきたということです。と書きましたが、もう一歩進んで、人権という視点から考えた場合でも「念仏にかおる家庭をきずき 仏の子どもを育てます」は、良いころとでしょうが、少し無理があるように思われます。
「人権」という考え方の根底には、 1993年のウィーン人権宣言の前文に「すべての人権は,人間に固有の尊厳と価値に由来する」と述べているように、個人の尊厳を基礎としています。
近年の新しい人権には、プライバシーの権利、幸福追求権、自己決定権などが主張されるようになったと言われています。人権の尊重が、“みんなと同質な生活ができる”から、“みんなと違っていられる”権利へと変化してきているようです。家庭を持つか待たないか。子どもを育てるか育てないかは、個人の権利に属するものであり、個人の尊厳を第一に重視する宗教団体が、個人の権利を無視する言葉を綱領として掲げるには無理があるようです。
「人権」という考え方の根底には、 1993年のウィーン人権宣言の前文に「すべての人権は,人間に固有の尊厳と価値に由来する」と述べているように、個人の尊厳を基礎としています。
近年の新しい人権には、プライバシーの権利、幸福追求権、自己決定権などが主張されるようになったと言われています。人権の尊重が、“みんなと同質な生活ができる”から、“みんなと違っていられる”権利へと変化してきているようです。家庭を持つか待たないか。子どもを育てるか育てないかは、個人の権利に属するものであり、個人の尊厳を第一に重視する宗教団体が、個人の権利を無視する言葉を綱領として掲げるには無理があるようです。