仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

愛光女子学園

2020年09月21日 | いい話

法話メモ帳から

 

沼田恵範師の23回忌(平成27年5月)お斎席でのことです。隣席で大先輩のY先生とご一緒させていただきました。東京のご住職で、教誨師会の理事長も歴任されている方です。

Y先生は、教誨師として主に愛光女子学園(東京都狛江市・初等・中等少年院が併設された女子少年院)で20代から活動されています。私が「どうしたご縁で20代からされていたのですか?」とお訊ねすると、「当時、築地本願寺に勤めて、当時は刑務所への出向やハンセン病施設などへ築地の職員がが出向していた。行くと手当てが3000円付くんだよな」と話されます。後に教誨師会の理事長を勤めた人が、3000円の手当目当てで出向していたことが、愉快でした。

Y先生は、愛光女子学園で詩の学習を矯正に役立てています。その話題となり、「最近、こんないい詩があった」と一首教えてくださいました。私が「書き留めていいですか」とメモ用紙を出すと、ゆっくりと

 

陽のにおい 

母のにおいや 

干し布団

 

とおっしゃり、解説してくれました。

少年院では、自分で布団をひき その布団を屋上まで運んで干す。少女たちは屋上まで運ぶ布団干しが面倒なので「うぜっていなー」などと、不服を言いながら作業する。夜、その布団で寝るときに、干し布団から漂う陽の匂いに接する。その時、この匂いは家にいたことかいだ匂い。そうか、毎日、お母さんは布団を干してくれていたんだ。お母さんは何にもしてくれないと思っていたが…という詩です。
このY先生から、30年前に次の歌を教えて頂いたことがあります。

 

 ほほこけし

母の笑顔のさびしさに

血のにじむまで

くちびるをか

 

その施設で教育を受けているA子さんの歌です。

 月に一度か二度お母さんが面会に来るのでしょう。A子さんの思いの中にあるお母さんは、いつも明るく振る舞っているふっくらとしたお母さんの顔です。そのお母さんに育てられた自分でもありました。

 面会の折りに、いつものようにニツコリするお母さん。しかしその頬はこけています。笑顔も寂しく、さぞ自分のために心を痛めたことでしょう。親類や地域社会から隠れるような生活、A子を非行に走らせた自分のいたらなさを何度も責めたことでしょう。

 面会に来る母は、子どもの過ちを責めません。しかし子を思う母の思いは、やつれた頬となり、笑顔の寂しさとなっていました。その母の姿に接したA子の心は、「ごめんなさいお母さん。自分さえしっかりしておれば‥・」と、自分が起こした罪の大きさを悔い、心は懺悔の涙に濡れていたことでしょう。

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