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仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

宗教の公益性

2017年06月02日 | 都市開教
昨1日(29.6月)、築地本願で研修会、内藤知康和上、「念仏者の実践」でした。
話の中、宗教の公益性について「多様な価値観の提示。個々人の精神的安定への寄与」とありました。「多様な価値観の提示」は、アメリカで言われている公益性だとのこと。「個々人の精神的安定への寄与」は、監正局に在籍していた折、法学者の意見だとのことでした。

今朝ネットで検索すると下記のようにありました。

http://www.iisr.jp/journal/journal2017/P239-P261.pdf#search=%27%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%9B%8A%E6%80%A7%27

「宗教法人の公益性」をめぐる研究の現状―公益概念を中心に―学術動向・竹内喜生よりの抜粋です。


文化庁文化部宗務課による「宗教法人の公益性」

「宗教は、多くの公益活動において先駆的、指導的役割を果たしてきたが、これは、その背景として、宗教のなかに人生のあるべき姿を人々に教える働きがあるためと考えられ、この点において、宗教は、今後とも公益活動の推進及び新たな展開に重要な役割を果たしていくものと推測される」『宗教年鑑昭和62 年版』文化庁、1988 年、23 頁。

「宗教は国民の道徳基盤を支えるものであり、特に青少年の道徳意識の向上に果たす役割には大きいものがある」 袖山禎之(当時文化庁文化部宗務課長)「第一章 宗教法人制度とその管理運営について はじめに」(『宗教法人実務研修会資料(平成20 年度版)』文化庁文化部宗務課、2008 年)、1–2 頁。

法学者による「宗教法人の公益性」

宗教は人々の精神生活の安定・向上に寄与するものであり、その意味において宗教の果たすべき役割は小さくない。社会が複雑化するにつれ、人々の精神生活の豊かさの確保が大切となる。精神生活は人々の内心に関するものであるため、本来公権力が介入しえない領域である。しかし一般に国家としては様々な方策や側面において人々の精神生活を含む豊かな生存権の保障の確保を図るべき責務を負う。そのため宗教法人は、「きわめて限定されたかたち」ではあるが、公益性の確保に奉仕している。 北野弘久「政教分離原則と税制」(『法律時報第58 巻第9 号』日本評論社、1986 年)、36 頁。

「宗教法人は人心の安定をはかり、教育、文化等の公益の増進に寄与するものと考えられている」平野武「憲法と宗教法人法」(『ジュリスト1081 号』有斐閣、1995 年)、9 頁。

宗教学者による「宗教法人の公益性」

宗教の歴史から考えれば、宗教に公益性があるとすれば、この社会の中で公益的だと考えられることに注力するのではなく、特定の時代の特定の社会の中での公益性、貢献性とは異なるところにあるのが、宗教の人類に対する公益性、貢献性である-洗建「宗教団体の公益性を巡る議論について」(『宗教法人と公益性』曹洞宗総合研究センター、2010 年)、30 頁。


昨今の公益性を巡る問題は、「公益的であることはよいことである」という世間における常識があり、そのため宗教に対しても公益的であることを要求する傾向がある。しかし、いわゆる世俗における公益が宗教の目的でも、宗教の本来的活動でもない。宗教は日常経験からは得ることのできない人間の生き方、新たな価値を提示する潜在的可能性を秘めている。したがって、現時点での世俗社会の公益の基準を宗教に適用し強制することは、宗教の働きを殺してしまう危険がある。この観点から宗教の公益性を問うのであれば、時代の常識にとらわれず、世俗の善悪を超えた独自の人間の生き方、価値観を提示する働きそのものを公益と認定するのでなければならない-洗建「宗教と公益」(『宗教法第30 号』宗教法学会、2011 年)、58–61 頁。(以上)

ご参考までに。
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