仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

〈脱成長〉は、世界を変えられるか②

2018年04月05日 | 現代の病理

『〈脱成長〉は、世界を変えられるか――贈与・幸福・自律の新たな社会へ』(セルュシュ)の続きですが、日本語訳版の序分に次のように著者は説いています。

失われた「知恵」の再発見

訳者の中野佳裕氏と京都の竜安寺を訪れた際、わたしは蹲踞(つくばい)に掘られてある言葉に大変驚きました。その言葉は「吾唯知足」(ワレタダタルコトヲシル)の四文字ででした。禅仏教のメッセージが凝縮されたこの四文字は蹲踞の円に沿って掘られており、蹲踞の真ん中には井戸水を受ける正方形の穴がありました。この言葉の意味は、「知足のものは貧しといえども富あり、不知足のものは富ありといえども貧し」、つまり、節度を知る人は精神的に豊かであるが、節度を知らぬ人はたとえ物質的に豊かであっても精神的に貧しい、ということです。
 本書の終章のタイトルは「〈脱成長〉の道」で、本文は老子の「少欲知足」の教えの引用から始まります。ある意味この章は竜安寺での発見を予期していたといえます。強欲と節度の感覚の不在は幸福を生みえないというこの確信はあらゆる時代と文明に通底しており、ヒンズー教やエピクテトスやエピキュロスの哲学の中にも見出せます。(以上)

その国の文化に根付いた豊かさの指標を見出すべきであるということです。

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