皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇位継承の問題について(戦前と戦後。法定継承順位)

2024-05-06 22:15:57 | 皇室の話(3)
前回、皇位継承の男系男子というルールについて、現行の皇室典範が旧皇室典範から踏襲したということを書いたが、その他にも、継承順位の法定ということも踏襲している。

すなわち、皇室メンバーの皇位継承資格者について、1位、2位、3位・・・という風に、全員の順位を法定するということであるが、このことも、旧皇室典範において始められたことであり、それを現行の皇室典範も踏襲しているのである。

どうも、皇位継承の問題について議論する方々とうのは、この順位の法定自体を当然の前提にしているかのようであるが、果たして当然の前提としてよいか否かについて、もっと注目されるべきではないかと思っている。

明治より前の時代においては、皇位継承資格者全員の順位を法定するなんてことはしていなかったのである。

皇位継承資格者全員の順位を法定することのメリットとしては、皇位継承資格をめぐる争いや混乱が生じるのを回避し、予測可能性を高めるということがあるであろう。

ただ、デメリットとしては、本人の意欲や適性にお構いなしに皇位継承をさせてしまう、ということがある。

このデメリットを抑えるための方策としては、
1 皇位の形式化、観念化
2 皇位継承者の国家的人格形成
3 皇位継承者周辺の階層化
といったことが考えられる。

1については、皇位継承者の属人的な資質とは無関係に天皇という御存在を尊貴あるものとするための方策である。

旧憲法においては、
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヺ行フ
ということが定められており、天皇の政治的無答責を確保しつつ、皇位の観念化により尊貴あるものであることが確保された。

2については、小さい頃に親元から離してしかるべき養育担当者に育てさせるということがある。このことによって、当時の国家観に基づくふさわしい人格に強制的にはめ込んでしまうのである。

3については、いわゆる貴族制度のことである。
戦前の宮内省も、この役割を果たしていたと言えるだろう。
一般も国民との間に存在し、皇位継承者に対し望ましい在り方を要請するとともに、そのような在り方であるかのように一般国民にイメージを伝え、緩衝材としての役割を果たしことが期待される。

こうしてみると、戦前の皇室制度は、全体とセットになってよく出来ていたものであると感じられる。

また、前々回の記事で述べたが、これらは天皇の制定法によって自律的に定められたものであり、不都合が生じれば皇室の発意によって修正等が可能であったということもある。


しかしながら、戦後はどうであろうか。

1について、現行の憲法では、
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
ということが定められ、国事行為の内容も儀式的・形式的なものとされており、政治的無答責が確保されている。
ただ、尊貴という点で、憲法第1条の「象徴」というのは、なかなかつかみ所のない概念であり難しい。
このブログにおいては、この象徴という概念につき、考えれば考えるほど深い意味があるのだといったことを随分と書いてきたところではあるが、その制定過程からしても、観念化による尊貴ということを忌避するというところに本質があるようにも感じられる。

2については、将来の皇位継承者であっても親元で育てることが実施されており、このことは大変に素晴らしいこととして、国民にも支持されている。
ただ、戦後においても、当初は国家的関与がある程度行われていたが、現在はかなり希薄になり、もっぱら、労働力・金銭での支援が中心になってしまっているようだ。

3については、現在は、すっかり解体されたといってよいように思われる。
社会全体において、いわゆるエリートという存在は無くなってしまった。
存在するのは金持ち階層だけである。
高度に貴族的な精神性のある者がいるとしても、それは個人としての存在であり、階層としては無くなってしまったと言えるだろう。

これらを踏まえれば、戦後の皇室制度というものは、皇位継承者にとって極めて厳しいものであると言える。

現行憲法に係る戦後直後の古典的な解釈では、天皇は形式的・儀礼的な存在であり、その資質については、民法上の行為能力が備わっていれば十分ということになるようである。
しかしながら、この解釈は、あまりに実態に当てはまらない。

天皇の行為として、象徴的行為という、国事行為以外のものが幅広く認められ、そして、期待され、要請されているのである。
いわゆる御公務である。

そこでは、皇位継承者の人格がストレートに前面に出てしまう。

国民からの支持につき、皇位継承者の人格に大きく依存しつつ、継承順位を法定するというのは、明らかに制度的欠陥というしかないであろう。


補足
皇位継承者の人格が、国民の求める皇室像に合致すれば、非常に大きな支持を得ることが可能であろう。
しかしながら、大衆の支持を維持するというのは、希有な政治化、芸能人であっても非常に困難なことであり、非人間的な努力を必要とするものであり、そのような努力を積み重ねたとしても、実際に維持しつつけることができない場合もあり得る。
この観点からすれば、配偶者の選択は極めて重大な課題であることは自明であるのだが、そのためのサポート体制は、現状、ほぼ存在していないのではないだろうか。

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