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道(真理)の実践

Rayの呟き~なぜ心が空虚になるのでしょうか(2)

2021-10-28 20:09:05 | Rayの呟き

西遊記に、孫悟空は釈尊の前で大ぼらを吹き、筋斗雲(きんとんうん)に乗って十万八千里を駆け走り、五陰山に至り、そこに自分の名前を記録して帰って見れば釈尊の手のひらに自分が乗っており書き留めたはずの自分の筆跡が中指にあったという話は有名です。

人間は傲慢な態度で無限の世界に挑戦して征服を試みようと力んでいますが、ちょうどそりかえった孫悟空の姿が想い浮かべられます。

この妙玄で甚深な大理天の世界は、敬虔な信心と祈りを込めてこそ通ずるもので、猜疑心を抱いたり物理を探求するような心構えで、知ろうとすると反って遠ざかるものです。

秘宝を得て霊眼が開かれますと、その悟り得る範囲は天体図で画けない遠い星座の世界から、小は光子電子よりも緻密な理に深く遠く達することが出来るのです。

しかし、世の人は孫悟空と同様、大宇宙が始まりと知っても、主体である「極まりない無」を知りません。

「極まりない無」は生ずることもなく死ぬこともありません。始めも終わりもなく、真常にして変わりなく、無限の空間性と無窮の時間性を有しています。寂然たる純真体であって陰でも陽でもありません。

それは、すなわち空であり、無であります。しかし無は無でなく、空は空ではありません。

老子・清静経の中に「空を観るに亦空、空も空の所無し。空の所既に無なれば、無無も亦無なり。無無すでに無なれば湛然(たんぜん:落ち着いて静かなさま)、常に寂す」都あります。あらゆる有の形体はこの無から成長されないものはなく、空の中に妙有る所以であります。

釈尊はこう申されました。

「色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是、空なり。空は即ち是、色なり」

すなわち色象は妙空によって造化されたものであり、この妙空を悟り透すには自然の形象を推して真空の存在を証明できるわけです。

この空は我々の観念にある滅び尽くされ、破壊された後の空虚の姿ではなく、また無味乾燥として、消失し終わった状態の空でもありません。

この空は我々の観念にある滅び尽くされ、破壊された後の空虚の姿ではなく、また無味乾燥として、消失し終わった状態の空でもありません。

無尽無窮に造化の理が密蔵され、化育生成の正気が充満して、有為の形体を創造する妙理が溢れみちています。

宇宙森羅万象、生きとし生けるものを設計する全智の働きとそれを創造する全能の力を包含し、過去も現代も未来もその形体を現わされませんが、すべてのものの運行と生育を欠いたことはありません。

我々は形あるものを珍重し、加工された製品を宝として保存していますが、すでに形象として生じたものはただ破壊と滅亡があるのみです。

ところが極まりない無の真空は万有を生み出す偉大な力をひそめ、無限の創造性を含んでいる雄大なる絶対無なのです。無にこそ、真実があり、妙味があります。

続く

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