殺戒(三)
二十一、釣りざおや釣り針などは売ってはいけません。
そうでなければ釣った魚によって仕返しされます。(釈迦族も池の魚を大量に釣ったため一族は仕返しで滅びました。)
二十二、卵を持った母魚を殺しますと普通の魚を殺したより罪業がさらに重いです。
一つの卵は一つの命です。
二十三、焼き肉はあまりやらないほうがいい。豚は最もしつこくて、肉がたべ終わるかあるいは腐るまで屍を守り、その後やっと転生します。
豚を殺す人はこう言います。
「豚や、豚や、恨むなよ。おまえは人間の一品料理なんだ。みんなが食べなければ私は屠殺しない。買った人にかたきを取ってくれ。」
これから見ますと人々はみんな殺生がよくないことを知っていますが、ただ戒めるのが難しいのです。
二十四、現在の医学は発達していますが、奇病はかえってだんだん多くなっています。
これはただ殺業の果報であると解釈する外ありません。
二十五、殺虫剤を撒くのは良くありません。
虫達も生きたいと思っています。
家の中をきれいに掃除すれば、虫はあまりよってきません。
たくさん殺せば殺す程虫たちは多くなります。
ちょうど、虎は人が食べないから多くはないけれど、鶏やアヒルや豚は食べる人が多いからだんだんと多くなるのと同じです。
二十六、殺業には軽い、重いがあります。
下の人が目上の人を殺すこと、例えば父母を殺したり、恩師を殺したりすることは逆罪であり、必ず三悪道に堕ちます。
精神錯乱しての殺人、聖賢を救う為、あるいはたくさんの人を救う為の殺人は、罪が比較的軽いです。
しかしやはり因果はあります。人は成佛までの距離が近いので、人を殺す罪は重くなります。
動物は成佛までの距離が比較的遠いので、動物を殺す罪は比較的軽いのです。
二十七、菩薩道を修めるなら、心の動きはいつも善心を維持し、又、万物は同体だという気持ちを維持しなければなりません。
ある人はこう言います。
鶏、アヒルは人に食べられるために生れてきたのだ。食べないと空中を飛び回っていることになるではないか。
しかも虎は人を食べ、蚊は人の血をすいますが、まさか虎に食べられるために、蚊に血を吸われるために生れてきたのでしょうか。
人は自分ならどうなるかを考えて相手の気持ちを思いやる必要があります。
そうしてこそ自己の生命を誤らないのです。
二十八、仏像は古くなって壊れたら、包んでちゃんとしまっておかななければなりません。
焼き捨てはいけません。
焼いて灰となりごみくずと一緒にすることは、仏に対して不敬となります。
仏は在世中「仏身の血を出してはいけない。」の戒律があります。現在仏はこの世にいなくなったので仏像はその代表です。
ゆえに悪心をもって仏像を壊してはいけません。
二十九、母親が鶏を殺そうとしたらできるだけ諫めなければいけません。
もし諫めを聞いてくれなかったら佛號を唱え、往生咒を念じなさい。
三十、清口愿を立てた後は、もともと飼っていた動物は、命が尽きるまで養い、死んだら埋葬して転生するようにと唱えます。
他の人に売ったり、他の人にあげたりして殺してはいけません。
続く