真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

仏説「兜率天(とそつてん)」と五七億六千万年の弥勒浄土

2023-06-26 23:09:36 | 道すなわち真理

兜率天は「内院」と「天処」に分けられます。

内院とは浄土であり、天処とは天人の快楽の場所です。

どの菩薩も成仏する以前は皆先に内院に住み、然る後に初めて人の世界に来て成仏するのです。(釈迦仏が世間に来て成仏する以前は、やはりそこに住んでおります)

現在住んでいる菩薩は弥勒であり、仏教で称されている弥勒菩薩とはこの意味です。

故に又、補処弥勒とも呼びます。

補処とは、成仏する以前、まず仏の空席を補います。

これは内院に中にあって、また弥勒浄土と呼びます。

この内院はどの菩薩も最後に住む世界です。

外院は即ち天処です。

沢山の天神がそこに居ります。

そこには酒、色、財、気があり、とても快楽な所です。

内院に入ろうと思うならば、まず先に天処(外院)を通過しなければならず、多くの禅師が天処まで来られたら惑わされ、内院に入ることができません。

兜率天の時間は、次の様なものです。

人の四百年は兜率天でのただ一昼夜に等しく、故に兜率天に一年は人間の十四万四千年に等しいのです。

そして兜率天の天寿は四千歳で人間の世界では五十七億六千万年になります。

以前、仏教で言われている五十七億六千年とはここから来たと聞きました。

仏経上に五十七億六千年後に弥勒仏が世間に来られると言われましたが、実はこの数は兜率天の天寿を指しています。

世間の人の寿命は六、七十歳に過ぎず、人は実に微妙なもので、故に多く修道して功徳を積むことが必要なのはこの意味なのです。

インドでの教え方と私達のとはちょっと異なります。

「百万」は上において「億」であり、故に私達の数え方では、五億七千万年になります。しかしインドでの数え方では、五十七億六千年です。また五十六億七千年は誤りなのです)

故に私達が分かるのは、どの菩薩も世間に来て成道する以前は、皆内院に一度住み、時間が来るのを待って初めて世間に出世し、修道して成仏して帰って行くという事です。

釈迦仏は、既に成仏して帰って行かれて、今は弥勒仏により運を引き受け、補処弥勒と呼びます。

何処に出世なさるかに至っては、私達は知る必要がありません。

もし私達が仏は肉体を以て出生なさると思うならば、それは誤りです。

天の事は、私達が見える形象をもって論定するのではありません。

もし、肉体を以て論じれば、釈迦仏はただの八十歳でした。

ところで釈迦仏が運を引き受けたのは三千年でした。

この三千年は何を以て数えたのでしょうか?

これは天の運を受けた時から数えたのです。

肉体の運を引き受けた時から数えたのではありません。

釈迦仏は当時もやはり、目ばたき、食べ、眠り、腹痛、下痢さえしました。

但しこれらのことは経典上に記載はありません。

私達はこれらのことを知るべきです。

当初は彼も一人の人間でした。

キリストが十字架に張り付けられた時、やはり痛い想いをしたのと同じことです。

但し、彼の真理は不生不滅であり、故に修道するには真理を根拠とし、形相に執着してはなりません。

兜率天は又知足天と名づけられています。

この天に生まれる条件は、足りる事を知り、止まる事を知ります。五欲(財・色・名・食・睡)に対して適度で止める事を知るべきです。

※天は四王天(しおうてん)・忉利天(とうりてん)・焰摩(えんまてん)そして兜率天(とそつてん)・化楽天(からくてん)・他化自在天(たかじざいてん)の六天あり欲界天と言い、人間は欲界天の中にあります。


「明明上帝無量清虚至尊至聖三界十方萬靈真宰」、根源創造主の現在の尊称

2023-06-26 22:11:13 | 道すなわち真理

世界は急変しています。

その根本は、人類史上初めて唯一絶対の根源創造主が主宰する時代(弥勒浄土)に移行しているからです。

豆や瓜が実って収穫できるようになるには創造の妙があり、種から根が付き茎が繁茂して実をつけます。

人類も根源創造主によって宇宙が創生され、主の分霊が地上に降りて、聖なる目的のために壮大な歴史を営んできました。

収穫と同じように、人類もその成果を落実する時に至りました。

これから一万八百年間、役目を果たしたすべての生命が、道すなわち真理を得て、根源創造主の元、故郷「理天」に還ることになります。

過去も未来も決してその姿を顕すことがない存在です。

日本の古代文献の竹内文書では根源創造主のことを竹内文書は、創造神(第1代神)「元無極躰主王大御神 (モトフミクライヌシノオオミカミ)と称しています。

道教・老子:萬靈真宰(ばんれいしんさい)・無極聖母(むきょくせいぼ)天地生育之母(てんちせいいくのはは)

儒教・孔子:上天(じょうてん)・明明上帝(めいめいじょうてい)

仏教・釈迦:阿弥陀(あみだ)・西天仏母(せいてんぶつぼ)瑶池金簿母(ようちきんぼ)

キリスト教・イエスキリスト:神・天に在します父

回教・マホメット:アラー・天主・大神

日本神道:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)

印度のヒンズー教:ブラウマン

シーク教:ラマ

ギリシャ:ゼウスの神

エジプト:オシリス

根源創造主が主宰する時代が来ることは、古代から預言されていましたが、秘密のうちに伝承されてきたため、実際の内容について一般に知られることはありませんでした。

今回、時機到来と考え、本ブログのカテゴリ「天道の淵源」でその淵源を謹んで公開させていただきます。

これは正式な布告ではありません。

正式な布告は、1234年日本奈良県の興福寺のシラスに始まって、状況の変化に応じて暫時形を変えて行われてきました。

今から約100年前から中国で広がりましたが、文化革命などで衰退し、その後台湾に渡り台湾から世界に広がりました。

現在、日本に多くの外国人が移住してきていることも、なかでも中国人が多い事にも歴史の運びがあります。

日本では80年前から一時100万人に伝えられましたが、覚醒はひとりひとりの過去世が影響するため、正式な金線につながる人は極めて限られています。

※金線:天の詔が降りているライン

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第二章 天人一貫の妙理 (七)聖人同天、万教一理

2023-06-26 22:07:09 | 天道の淵源

(七)聖人同天、万教一理

天道の真理は厳しい反面、また極めて温かい情愛をもって万物に接しています。

天道では「明明上帝(めいめいじょうてい)」と「無生老〇(むせいラウム)」に二つの御名でもって尊称申しあげております。

老〇様を訳せば「霊性の親」「霊性の母」という意味になります。

物事にはすべて陰陽があるがごとく、われわれの身体の上にも同じことが言えます。

つまり、われわれの身体は肉体と肉体を主宰するところの霊から出来ております。

そしてそれぞれの肉体の親があり、霊には霊の親があります。

眼で見て実際に見える物としか認めない物質文明の現代では、お分かりになる方々が少ないようですが、少なくとも、心を静めて、日常の世界を眺めたならば、物質、五感を越えた世界が存在することがうなずけます。

この霊の存在においても生きている者は捻れば痛いといい、死んでいる者は痛いといいません。

外面は全く生前と同じであるにもかかわらず、なんら苦痛も訴えません。両者の内容において身体内部に肉体を動かし、五感および全神経を統率している何者かが生者にはあり、死者にはありません。

その肉体に宿る何者かが、それこそ本当は不増不滅・不垢不浄・不生不滅の「霊性」であることが理解できます。

霊には霊を生んで下さった親が存在しています。

御神体は、男でもなく女でもなく、凡(あら)ゆる人類・動物類、生きとし生けるもろもろの霊魂を親しく生み与え、活かしてくださるのです。

従って本能である天性は平等であります。

老〇様(ラウム)は寅の会に九十六億の原子を世にお降くだしになりました。

われわれの霊が、今は象天や地獄の苦しみに呻吟(しんぎん:うごめく、くるしむ)していますが、本当は理天からきた者なのです。

老〇様(ラウム)から見れば、あらゆる原霊・原子はすべて可愛い赤子です。

国境も民衆も老幼男女もことごとく差別がありません。

国の東西を問わず、時代は古今を通じ、地は中外を分かたず、人は信仰心の有る無しにかかわらず、また富貴・貧困の者すべて生みの親である、老〇様(ラウム)の御子(みこ)であります。

古今輩出した聖賢仙仏も元の霊は、われわれと兄弟であり、各教の教主も均しく天命を受けて世に降りられたもので、天の命を拝して法に尊い、天の道を行じられた方々であります。

孔子様は「吾五十にして天命を知る」と申され、「天命を畏る」と、天命を得た有難さに歓喜すると同時に、反面非常に懼(おそ)れておられました。

老子様は「上士は道を聞いて勤めてこれを行わんとする。」と語りました。

全く明師は遇いがたく、大道は逢いがたいと申せます。

天道の偉大な消息を物語る詞(ことば)として有名な釈尊の「天上天下唯我独尊」があります。

これは、自分を尊大ぶった言葉ではなく「身は五濁悪性(ごじょくあくせい)の中に居て、皆と何ら変わらないけれども、私には、三千大世界何処を探そうとも与えられない、衆生済度の天命があり密法がある。」との意味であります。

暁の明星は尊さを意味し、玄関の輝きを言い表された言葉なのです。

古今、聖仏仙神が命を賭けて求めてやまなかったのは、天道の心法であり、われわれの求めているのと同じであります。

遠く明師に逢い心眼を天破(てんぱ)して頂き、自分のよき処を充分に発揮し、永遠に人のため、世のために尽くすべきであります。

老〇様(ラウム)は万物を愛するのに絶対的です。

選択なく、打算なく、永遠に変則することのないお慈悲を垂れ賜うのです。

聖人の方々は天命を奉じて世に降りられたゆえ、時代と民族が異なっても主旨は一致しております。

釈尊は大慈大悲をもって衆生を救い、地獄で四世六道の輪廻に煎じられて苦しむ亡霊を解脱させました。

孔子様は人徳忠恕(じんとくちゅうじょ)をもって万民に教え、天下を周遊し、弟子三千、賢人七十二人に君子の道を示し、人倫の大綱を樹立されました。

続く


【Ray:金よりも信頼が経済の基本です!】第86回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会 / 令和5年6月質疑応答 202306_01

2023-06-26 16:37:45 | ONEメッセージ

信用は、世界の平和が基本(核廃絶、貧困の撲滅、国家の崩壊・・・)です。

信用の基本が何もできていない段階の新しい金融改革の恒久性はあり得ません。

旧い体制の中の改革は、世界平和に向かっての一段階に過ぎません。

トランプ改革も一過程です。

過去の体制が守ろうとする経済の資本一切を開放し、人類すべての人に平等に分配しなければなりません。

何千年も民衆から搾取してきた金銀などは民衆のものです。

公正・公平な社会システムが基本です。

間もなく改革が実現する、という情報は稚拙です。

人類の叡智は遥かに進んでいます。

第86回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会 / 令和5年6月質疑応答 202306_01