真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

聖なる道とは

2023-06-01 19:35:05 | 道すなわち真理

道とは私たちの本性で、儒教ではこれを良心といい、仏教では「金剛心」(刃金のように堅く変質しないもの)と言い、「菩提心」や「仏性」と称しています。

道教では「生死の門」あるいは「谷神」とも言います。

このように色々な名称や言い方が異なっても究極は同じものです。

道教・儒教・仏教・キリスト教・回教の5教が同じ源(唯一絶対の天地造物主)であることの一端を知ることができます。

中庸の書に曰く「天の命ずるこれを性と言い、性の出るところこれを道と言う」とありますが、道とは、抽象的な言葉で無形・無像、音声もなく匂いも無いもので、生きず亡びず増えず減らず、空のようで空ではなく、有るようで実際は無い、また無いようで実在しているものです。

これは筆墨で描写表現することができないものです。

また、口舌で形容することができないもの、それが大道の実体です。

実体は形が無く、しかし真相を妙有しています。

凡界の名声・色形などの仮(一時的)の物体ではありません。

道教では「道可道非常道、名可名非常名」(道の道とすべきは常の道にあらず、名の名とすべきは常の何あらず)と言い、道の定義は実に微妙なもので簡単に言い難いもので、また言語で一口に説明ができたら、これは不変の常道ではないことになります。

同じように道から生じた徳の名についても名相で表現することができないわけです。

そこで老子は「無明天地之始、有名万物之母」(名無しは天地の始め、名有るは万物の母)をもって定義としています。

道は一言で道徳とも言います。道は徳の本体で、徳は道から生じ、道の妙用であり、且つ又不変なものでもあります。

そして道徳は人類本来の姿であり本能でもあります。

老子曰く「天地は最初無から生ず、天地は万物を包蔵するが故に万物もまた無の中から生ずるのであります。

道は無であり有であります。

道は万物の母、また主宰者とも言います。」

道は○、点、または一をもって代表符号といたします。

一の字は点の連続集合であり、一の字を折り曲げて両端をつなげれば○となります。

点と一の字はすべての字を書く基礎でありかつ大体です。

儒教にあっては「執中貫一」

仏教にあっては「万法帰一」

道教にあっては「抱元守一」

キリスト教では「黙祷親一」

回教にあっては「清真返一」

と言っており、これも5教同源の一証左になります。

万物の主宰は微妙で名前が無く、強いて名づけて「道」と言いました。

○を拡大すれば一つの宇宙となり、縮小すれば点となります。

道は森羅万象を包含し万霊の主宰者とも言われます。

「天地は大なりと謂えどもこの妙道を得ざれば成り立たず、人はそれぞれに霊ありと謂えども道なければ生成できない」と謂います。

そこで私たちは、道は理であり、理は性、性はすなわち良心、良心は仏、仏性は人類本来の姿であることが理解できます。

人間は誰もが均しく良心・仏性を持っております。

しかしながらこれを知るものはいたって少ない実情です。

また人は誰でも本来、道徳を日常の行為の標準としていますが、それを知らず、いたずらに名利にはしり、末を求め本を失い、欲に迷い、それによって社会がますます暗黒になってしまいました。

「道を知るものは務めて本源に還り仙・仏となり、道に迷うものは地獄の鬼畜となる」と謂います。

修道の目的は仏教では仏に成ると言い、道教では仙人になると言い、儒教では聖人になると言われています。

仙・仏、人間、鬼畜、この三者の関係は「人間が修道すれば仙・仏となり墜落すれば鬼畜となる。

また人間は仙・仏の墜落したものであり仙・仏もさらに墜落すれば鬼畜となります。

しかし鬼畜といえども常に修道を積めば最後には神仙になれるのです。

そこで、この道は先天(性の源)に帰還する唯一の法門経路であり、この性は唯一絶対の造物主から分受されたもので、良心とは人間の諸行為善悪分別の表現で道心とも言います。

超古代より、あらゆる形象の原点は道です。

  

 

   


五戒~三、盗戒(二)

2023-06-01 19:29:01 | 五戒~活仏師尊慈訓

盗戒(二)

六、物を売る時は必ず領収書を発行しなければなりません。

もし売買の双方のなれあいのもとで領収証を発行しなかったなら、双方とも「国庫盗み」になります。

七、盗みに属さない行為

(1)己有想…そのものを自分のものだと錯覚した場合。

例えば自分も一本の傘を持っているが、使う時、間違って他人の傘を持ってきてしまった場合。

(2)奥己想…その品物を自分に送られたと思い、間違って家に持って帰った場合。

(3)畚帚想…他人が捨てたものだと思って、拾って家に持って帰った場合。

(4)暫用想…電話、あるいは筆を借りて、借り終わったらものを元のところに戻す場合。

(5)親厚想…例えば仲の良い友達の家で冷蔵庫を開けてものを取り出して食べ、自分の家と同じようなことをする。

もし親しくなくてこのような行為をしたら、それは行為がいい加減で下品となります。

八、盗んだものを軽い、重いに分けられます。

道場のものを持ちだすと罪は重くなります。

すなわち一針一本の糸でも勝手に流用することはできません。

何故ならこれらは皆道親達のもであり、少人数だけのものではないからです。

反対に、道場に寄付すると、すべての修道者の利益をもたらし、その福報は大きく十方の虚空世界に普くいきわたります。

九、お布施して出した以上執着心があってはいけません。又名前を仏殿の柱の上に刻む必要はありません。(他の人が毎日あなたの名を拝むので、大きな功徳も拝まれて何もなくなってしまいます。)

人がまとわりついてくる業力から脱離するには、必ず執着の心を棄てはいけません。

ロケットが空を昇る時、必ず地球の引力を離れなければならないのと同じです。

十、皆の無盡のお金を踏み倒すと犬に転生します。(人のために門番をして、まるで雇い人のようです。)

あるいは豚に転生します。(一回一万元余りで売れます。)

踏み倒したそのぶんだけ転生します。

そして返し終わるまで転生は続きます。高利貸しも盗みの行為であります。

十一、仏堂に来てご飯を食べる事はできます。

ちり紙やハミガキなどの日用品も使うことができます。

但しそんなにけちらずにたくさんのお布施をすればよいのです。

十二、路上でお金を拾ったらもってきて善事に使えば戒を犯すことになりません。

自分の為に使うことはいけません。

十三、五戒の中の盗戒は最も細かいです。

仏門中の規矩はさらに多く詳しくは論じません。

十四、盗戒を犯す業の報い

(1)三悪道に堕ちます。

(2)生きているうちは貪窮し下賤になるか、あるいはたくさんの財産があるが自由に使う事ができません。

(3)わらぶきの家屋に住み、水火や霜や雹などの禍に遇う。

(4)他人がものをなくした時、自分に疑いが生じます。他人がものをなくした時、彼が盗んだと疑われます。

(5)身はいつも苦しみを受け、心は憂いや悩みを懐きます。

十五、盗戒を守る善報

(1)財産が満ちて集まり、失わない。

(2)多くの愛する心と深い信頼を受けます。

(3)善名が広くひろまり、到るところで称賛されます。

(4)みなと仲良くやっていかれる。

(5)身、心は安楽で、命が終ったら天国に帰れます。

続き


性理題釋~八十一、智 人

2023-06-01 19:27:18 | 性理題釋

八十一、智 人

智人の智とは知であります。ただ智慧(ちえ)のある人は、天道のある事を知って之を修め、聖教ある事を知って之を学び、明師ある事を知って之を求め、善ある事を知って之をなし、罪ある事を知って之を懺悔(ざんげ)するのであります。

その上世間のある事を知って世間を出で、輪廻因果(りんねいんが)を超越することも出来るのであります。

昼間に太陽がるが如く、又夜間に灯があるが如く、能く知り能く見ることが出来て、善悪の応報(おうほう)を一度知見した後は、即ち悪を捨て善に従い、邪(じゃ)を改め正に帰す、理に非ざれば説かず、道に非ざれば行わず、又理に合わぬ物は取らずして、念々中正(中世)、常に真実にして、功徳を積み名をなして、後世に伝える事の出来る人こそ、実に智人と名づけるべきでありましょう。

総論すれば、仁義(じんぎ)を講じ、道徳を説き、己(おの)れが立って人を立たし、己が達して人を達せしめ、人々を聖人や賢人の境地に到達せしめる事を目的とする人を智人と申すのであります。

続く


【Ray:天皇という名称は本来5次元の最高位!】天皇家についての問題。

2023-06-01 19:10:11 | ONEメッセージ

宇宙を統べるための天と人との天命をつなぐ役割で、古来「皇統」と言われ紀元前約1000年から2000年前までは聖王(中国の殷の時代まで)が役目を担っていました。

この聖王の時代の実態は日本にあり、今の中国の5〇〇〇年の歴史として記録されています。

その後「皇統」の天命が師儒(道教:老子、儒教:孔子、仏教:釈迦、キリスト教:イエス、回教:マホメッドの五教)に移ったため、世界治世の地の位を継承するため世界王族の長として日本に天皇制が国是として定着しましたが、実質的な天の詔(天機)は師儒に伝承され、一般諸国民が天の恩恵を受けられるように変わってゆきました。

日本の神武天皇や応仁天応が天皇制の始まりになっているのは為政者の創作で、今日まで混乱を引き起こしながら人情(人の意識)で賄われてきました。

祀り上げられた天皇は、裏の権力者に操られ、戦争、核投下、財宝の集積、麻薬や人身売買、などの当事者として利用されていました。

このことによって支配階級の人民奴隷化と退廃が世界的な流れになってゆきました。そして嘗て天命を受けていた天皇(王族)の遺産として三種の神器、契約の箱などが物として遺されましたが、オカルト化の異物になりさらに争いの印になりました。

つまり「皇統」が陰に入って約3000年を経て、今まさに天命が諸国民(皆様)に下されようとしています。すべてを「明らかにするとき」が来ました。

天地がひっくり変える今日の時代は、紀元前2000年前から準備されて来ました。

表題のように、5次元世界の最高位である天皇の位置に、いま世界中の人が覚醒し一つになろうとしています。

インターネットが普及し、歴史が明らかにされつつ、スピリチャルメッセージなどで昔では審神者しか聴くことのできなかった天の情報が、毎日のように皆さんに届けられるのは決して偶然ではありません。

天皇家についての問題。