真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

釈迦略伝~(一)前生 (二)降臨

2023-05-05 20:29:29 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

この世界は3次元ですが、小さい時から異次元体験をしたことのある人は以外に多いと思います。もともと人は4・5次元の存在ですがだんだんと密度が濃くなってもう忘れかけていたところです。

今回から全6回に分けてお釈迦様の伝記を掲載します。お釈迦様が実際どのような方でどのようにして真理を求めたか、その要点が記されたものです。歴史的な証拠や遺稿を参照して様々な釈迦伝説がありますが、本編は天界の高次元の仙佛 済公活仏(さいこうかつぶつ)様が実際の物語を伝えるものです。

夢と思っている現実の世界、あるいは現実と思っている幻の世界が交叉している物語のようですが、真実の物語というのは天命に添った生き方、その人が役目を果たすために歩んできた道のりです。私たちは多次元の存在です。.あらためて過去の聖人の歩みをたどりながら、聖人の人生から真理の重要性について汲み取っていただきたいと思います。

 大英博物館所蔵 釈迦牟尼佛画像

済公活仏著 釈迦略伝

(一)前生

お釈迦様の前世は、歌利王(かりおう)にご体を切り裂かれた故事があります。

ある時、歌利王が多くの妃や宮女を引き連れて山に狩りにゆきましたが、疲れて山で休んでいるうちに眠ってしまいました。

しばらくして目を覚ますと、連れてきた多くの妃や宮女は一人もおりません。

山をあちこち探し尋ねると、一つの山洞があり、妃や宮女はその山洞の前で僧侶の説法を聞いていました。

歌利王は大いに怒り、僧侶に向かって「汝は婦女をなぜここに誘ったのか」と責めたてました。

僧侶は「われは実に無欲なり」と答えました。

すると王はまた「いかにして、汝は色を見てもなお無欲と申すや」と詰問しますと、僧侶は「持戒あるのみ」と答えました。

王はまた「何を持戒と申すや」と問いますと、僧侶は「忍辱なり」と答えました。

王は「忍辱と聞くやいなや大怒りして刀を抜き僧侶に切りつけ、「汝に問うが痛かろう」というと、僧侶は「実に痛からず」と答えますと、王はますます怒り僧侶の身体を切って節々に分解しつつ「汝に問うが我を恨むや」と問うと、僧侶は「既に無我なり、いずこより怒りや恨みが来たるや」と答えました。

この時、四天王が震怒し一時に強風が起こり、石や砂が飛んで天龍八部が一斉に護法しました。

僧侶の分解された身体はまた元通りになりました。

歌利王は大変恐れて僧侶の前にひざまずき、伏してあやまちの赦しを請いました。僧侶はただちに王に代わって、天に赦しを求めました。

するとまたたく間に天気は晴れわたりました。

そこで王も改心し善功をつむことを誓いました。

僧侶もまた「もし成仏することを得られれば、我まさに汝を先に度す」と発願しましたが、その僧侶こそが後世の釈尊でした。

歌利王はすなわち五百世後お釈迦様誕生の時の憍陳如(ぎょちんにょ)でした。

憍陳如はまた阿若憍陳如(あにゃぎょちんにょ)ともいい、中印度迦比羅城(かびら城)のバラモン種族に生まれました。

卜術(占い)に長じ、お釈迦様誕生の時も、いち早く召されて卜を占なったことがあります。

その後お釈迦様が出家して、尼連禅河畔の山中で苦行された時、憍陳如は実にお釈迦様に随侍していた五大弟子の一人でした。

(二)降臨

釈迦の二字は、

中国語に訳せば能仁(のうじん)となり、牟尼(むに)の2字は寂黙(じゃくもく)になります。

お釈迦様の父親は、中インド迦比羅国の国王で浄飯王(じょはんおう)といい、母親は麻耶(まや)夫人といいました。

麻耶夫人は勤倹で、質朴質素な方で贅沢な生活を喜ばず説法や道の教えを聞くことを好まれました。

44歳のとしの時に天から神人が降りてくる夢を見てお釈迦様を懐胎しました。

麻耶夫人は臨月にあたる4月8日に藍比尼園(らんびにえん)に参りましたが、ちょうどこの時、園内はのどかで暖かい春の日で無憂樹(むうじゅ)の花が爛漫に咲き乱れていました。

世間で釈迦牟尼佛という方がこの日ここで降誕されました。

推算してみると、西暦紀元前約1029年(記録では紀元前400年前後が多い)にあたり、中国では周昭王(しゅうしょうおう)24年のことでした。

中国の歴史上にも、その4月8日には山や川が振動して五色の光が大微星をつらぬたと記録され、また太子の蘇田(そでん)というものが国王に「大聖人が西方に生まれ、一千年後にその教えがこの地にも及ぶことでしょう」と奏上したと記録されています。

お釈迦様はご誕生後、母の麻耶夫人と共に迦比羅城に帰りましたが、父の浄飯王は生まれた太子をご覧になって大変喜び、悉達多(しったるだ)と名前をつけました。

悉達多の三文字は「一切成就」の意味になります。

麻耶夫人は、お釈迦様誕生後七日にして亡くなりました。

そこで、麻耶夫人の妹君の波闍波提(はじゃばだい)夫人が代わって愛護養育しました。

悉達多太子が七歳になって、婆羅門(ばらもん)の学者の一人跋陀羅尼(ばつだらに)が師として学問を教えました。

しかし迦比羅国の領土はわずかに5百方里余りの一小国で、諸大国の間に挟まって群雄と対立しなければなりません。

そこで浄飯王は、孱菩提婆を招聘して太子の師として、もっぱら武芸を教えるようにしました。

悉達多太子は聡明であり、文武に通じたのでその名声は内外を震わせました。

続く


釈迦仏説~三世因果経 全編

2023-05-02 11:15:22 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

人はどのように因果の報いを受けるのか、今の自分自身をより正しく理解するためにご参考にしていただきたいと思います。

 釈迦仏説~三世因果経

その時、阿難陀尊者(アナンダソンジャ:釈迦の弟子)が霊山会上に千二百五十人とともにおりました。阿難は頂礼合掌し、釈迦佛を幾重にもとりまいている遥か遠くに跪いて問いました。この浮世において一切衆生は末法(法が乱れた世の終わり)の時に至って多くの不善が生じ三宝を敬わず、三綱五倫は雑乱し、下賎の人、貧困な人、六根の足りない人、そして終日殺生をしては命を害する。又富貴や貧困の不平等がある人、なにを以ってこのような結果の報いがあるのでしょうか。望ましくは世尊のお慈悲を持って弟子に解説してくれますようお願いいたします。

仏は阿難と諸弟子に告げて曰く、

『汝等よく聴きなさい、善哉!善哉!吾は当然汝等に明らかに解説します。世間一切の男女、貧賤富貴や苦を受け極まりない人物、福を享け尽きないのも是みな前世の因果の報いです。是ゆえに身を修めなければなりません。』

『何を以って行うのでしょうか』

『先ず父母を敬い孝行しなければなりません。次には三宝を信じ敬う、三番目は殺生を戒め生き物を放す、四番目には布施を行う、こうして後世に福の種を蒔くことです。』

富貴は皆定めによる、是は各々前世に修めた因です。

ある人が受持すれば世世の福禄は深い。

 

善男信女よ因果の言葉を聴きなさい。

三世因果の経を念ずるを聴きなさい。

三世の因果は小さいことではありません。

仏が言われている真の言葉を軽んじてはいけません。

 

今世、官職(公務員)になれるのは何の因ですか?

前世に黄金を以って仏身を装ったからです。

前世に修めてきたのを今世受けるのです。

高貴な服や金の帯を仏前に求め、黄金で仏を装う、つまり己自身を装うのです。

如来仏を蓋うというが自身を蓋うのです。

官職になるのは容易であるというなかれ。

前世に修めていないのにいずこから来ることができますか。

馬に乗ったり、籠に乗ったり出来るのは何の因ですか?

前世に橋を修理したり道路を補修した人だからです。

上等の絹織物を着ることの出来るのは何の因ですか?

前世に衣類を僧や人に施したからです。

衣食が安定しているのは何の因ですか?

前世に貧しい人にお茶や飯を施したからです。

衣食が無く不安定なのは何の因ですか?

前世に半分文(一文の半分)のお金も惜しんで人に施すことの無かったからです。

高楼大邸宅に住んでいるのは何の因ですか?

前世に米を寺院に施したからです。

福禄が具足しているのは何の因ですか?

前世に寺院を造ったり涼亭を建てたからです。

容貌が端正で威厳があるのは何の因ですか?

前世に咲き始めた新鮮な花を仏前に供えたからです。

聡明で智慧がある人は何の因ですか?

前世に出家して身を修めたからです。

きれいな妻、美しい妾、これは何の因でしょうか?

前世に多くの仏門と結縁したからです。

夫妻が長く晩年まで互いに己の道を守り仲良くするのは何の因ですか?

前世に旗(仏堂に飾るのぼり旗)を仏前に供えたからです。

父母双方ともにそろって健在なのは何の因ですか?

前世に孤独な人を重んじ(軽蔑せず)敬ったからです。

小さい時から父母がいないのは何の因ですか・

前世に狩人として鳥を撃っていたからです。

子供や孫の多いのは何の因ですか?

前世に籠を開いて鳥を放してきたからです。

子供を養育できないのは何の因ですか?

前世に女に溺れ家庭を返り見なかったからです。

今世子供が無いのは何の因ですか?

前世にみだりに百花を折り取ることをしたからです。

今世に長命に成れたのは何の因ですか?

前世に多くの動物を買って放生したからです。

今世短命なのは何の因ですか?

前世に多くの生き物をした身だからです。

今世妻が無いのは何の因ですか?

前世に人妻を盗み不正な関係をしたからです。

今世夫を早く亡くし寡を守るのは何の因ですか?

前世に夫を大切にせず軽蔑したからです。

今世(下男・下女)になっているのは何の因ですか・

前世人の恩を忘れ義にそむくようなことをしたからです。

今世目がとても良いのは何の因ですか?

前世油を寺院に施し佛燈のあかりを明るくしたからです。

今世目が悪いのは何の因ですか?

前世に人に路を教えるのに分明に指さなかったからです。

今世兔唇(三つ口)になったのは何の因ですか?

前世仏前の燈りを口で吹き消したからです。

今世聾唖(耳の聞こえない人と口がきけない人)の人は何の因ですか?

前世に両親を悪口で罵ったからです。

今世「セムシ」になったのは何の因ですか?

前世に仏をおがむ人を笑ったからです。

今世手の曲がっているのは何の因ですか?

前世にいろいろと悪業をつくってきたからです。

今世脚(あし)が曲がっているのは何の因ですか?

前世に路をさえぎり、人をおびやかしたからです。

今世牛や馬に生まれてきたのは何の因ですか?

前世に人から物や金銭を借りて返さない人だからです。

今世に豚や犬に生まれてきたのは何の因ですか?

前世に人を騙して害を与えたからです。

今世病が多いのは何の因ですか?

前世に酒や肉を神、仏に供えたからです。

今世病がなく健康なのは何の因ですか?

前世に薬を人に施し、病を救ってきたからです。

今世牢屋にばかり入って居るのは何の因ですか?

前世に悪いことばかりして、少しも人に譲ることしなかった人です。

今世餓死するのは何の因ですか?

前世いつも鼠や蛇の洞窟(穴)ばかり閉ざして殺してきたからです。

毒薬によって死ぬのは何の因ですか?

前世に河をさえぎり毒をもって魚を殺してきたからです。

ひとりぼっちの孤児(みなしご)の苦しみは何の因ですか?

前世に悪い心を起して人を侵害してきたからです。

今世小人(こびと)として生まれてきたのは何の因ですか・

前世地下にて経文を見たからです。

今世吐血(血を吐く)をするのは何の因ですか?

前世肉を食べてから仏前で経文を念じたからです。

今世『ツンボ』になったのは何の因ですか?

前世に経文を誦(とな)えているのをよく聴かなかったからです。

今世『デキモノ』が多く、又霊の狂っているのは何の因ですか?

前世に仏台に魚肉を熏(にお)わせたからです。

今世体に臭気があるのは何の因ですか?

前世に線香売るのに偽妄(ぎもう:いつわり、にせ)して売ったからです。

今世首を吊りで死ぬのは何の因ですか?

前世にロウプを携帯して山林に行き罠を作り動物を捕らえたからです。

妻を亡くし、あるいは夫を亡くして孤独なのは何の因ですか?

前世に心はいつも人を嫉妬していたからです。

雷に打たれ、或いは火傷をするは何の因ですか?

秤や升を公平にしなかったかからです。

虎や蛇に咬まれて傷を負うのは何の因ですか?

前世に怨家(恨みのある家)の筆頭者である人だからです。

万般何事も自分でしたことは自分で又受ける。

地獄にて苦を受けても誰を怨むことができましょう。

因果を誰も見たことが無いというなかれ。

遠くは子や孫に至り、近くは我が身にあり。

 吃齋(きっさい)し多くを修めなければならないことを信ぜずば、

見なさい眼前に福を受けている人を、

前世に修めてきたのを今世受けるのです。

もしも、因果経を毀謗(きぼう:そしる、けなす)する人は、

来世は堕落して人身を得ることは出来ません。

因果経を受持している人は、

諸仏、菩薩が証明してくれるでしょう。

因果経を書き写した人は、

世代が勤学で家道は興隆(盛んになる)する。

いつも因果経をありがたく携帯している人は、

兇災は横にそれ禍は身にかからない。

因果経を講説(説き明かす・講義)して人に聴かせると、

来世に生まれてきても聡明な人になれます。

因果経を唱える人は、

来世に生まれてくれば多くの人に愛され恭敬(うやうやしく)される。

因果経を印刷して人におくる人は、

来世は帝王の身になる利がある。

もし前世の因果を問うならば、

武帝の前世はどんな人でしょうか。

もし後世の因果を問うならば、

希氏が大蛇の身に堕落する。

もしこの因果の感応がないならば、

目蓮が母を救うのはどんな因ですか?

もし、因果経を深く信じる人は、

みな西方極楽浄土に行くことができます。

三世の因果を説明尽くすこと歯できない。

上天の神様は善心の人に欠損させるようなことはしない。

三宝の門中で福を修める事はそう難しくない。

一文を喜んで捨てれば、万文の収入ができる。

皆さんはこのことを自分の心庫に堅く寄せておきなさい。

そうなればこの世に生きている時は福が絶えないでしょう。

もしも前世の因を問うならば、

今世受けているのがそうです。

もし後世のことを問うならば、

今世行っているのがそうです。

了 

 

 


Ray:大師が「明師の一点」を受ける場面があります!】観音菩薩伝~第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける

2023-03-28 19:57:29 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

第42話 大師、長眉の老翁に会っ指点を受ける

 このようにして大師と保母そして永蓮の三人は、筆舌に尽くせぬ飢えと寒さに堪え忍びながら、雪蓮峰を登りました。全く紆余曲折の多い行程でしたが、五日目に漸く頂上に達することが出来ました。頂上に登りきるとそこには比較的平らな地面があり、ふと見ると萬年雪を被った一座の廟堂がありました。こんな山の頂に一体誰が住んでいるのだろう、大師の心中にもしやと思う気があって胸が高鳴りました。保母と永蓮も一瞬神秘感に打たれ、お互いに顔を見合わせて頷き、大師に従って庵の前に到着しました。三人の瞳は、希望に燃えて輝いています。長い間の艱難辛苦が報われる、目的地に到達したのです。千萬の感慨で、胸が一杯です。究竟涅槃の妙証を得、聖諦義を明らかに悟れる感激が寸前に迫って来ました。

 三人は合掌しながら跪いて廟堂を拝み、立ち上がって三歩歩いてもう一拝しました。畏れ多いという気持ちが、自然にそうさせたのかも知れません。無意識のうちに大師は、御自分の得道時を感得しておられました。

 廟堂は石積みの簡素な作りで、崖の上に一軒だけぽつんと建っています。大師は霊覚で、その中から荘厳華光が無量円光を描いて燦然と輝いているのを観じました。大師は静かに廟前に跪き、改めて深く礼拝してから内(なか)へ入りました。内は狭い石室で、中央の奥まった所に一人の老翁が坐っていました。眉毛は長く両頬まで垂れ、純白な僧衣を纏い、悠然と端坐し瞑目しております。三人が入ってきたのに気付いているのかいないのか、体も動かさず顔色も変えずその身相は威厳と慈愛に満ち、面容は神々しくて百毫の光明を放っています。

 早速叩頭礼拝を為した大師は、老翁の顔を見てはっと胸を打たれました。昔、花園へ御指示に来られた老僧によく似ておられます。大師は、忘れる筈がありません。その御風貌は深く脳裏に刻み込まれていて、昼夜四六時中、その印象は片時も脳裏から離れたことがありません。歓喜が湧いて大師は、二人に言いました。

「功徳甚深の師父様です。私達が来るのを待っておられたのです。謹んで御尊前に進み出て、御指示を仰ぎましょう」

 二人は感極まり、身が引き締まりました。大師は恭しく奥へ進み、五体を地に伏して礼を尽くし、終って胡跪(こき)し、合掌しながら

「上座に坐(おわ)します御尊師様。弟子妙善、約束を違えず所説の妙法を憶持して失わず、永い歳月を求法一途に勤行し、今また一行三人は興林国を発って今日ここまで参りました。師の御尊顔を拝し得ますことは、この上ない幸いでございます。どうぞ御慈悲を垂れ給われて弟子達の迷朦を御指示下さり、般若・陀羅尼の心法を授記して下さいますようお願い申し上げます」

と真心籠めて申し上げました。今まで瞑目して微動だにしなかった長眉の老翁は、大師の言葉が終るや静かに眼を開き、三人を見渡して言いました。

「善哉、善哉。大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者よ、汝昔日よく菩提心を発し弘誓の願を立てられた。今また汝等三人は、幾多跋渉の苦しみを辞せず、千里の難関を踏破してよくぞ此処まで参られた。汝に深い前縁があったが故である。先ず、そなたに訊こう。そなたは一切の富貴と栄華を捨てて佛陀に帰依し、一心に修行を志して求法に来たが、佛門の真旨は何であるか。得道した後、如何なる願心を抱かれるか心意の所想を聞きたい」

 大師は、敬虔な心情を尽くして答えました。

「佛門の真旨は、世の迷える霊魂を四生六道の輪廻から救い、世の災難を消滅するにあります。佛陀や諸佛が道を求め、道を修め、道を伝えて身を千劫萬難に晒したのも畢竟この為と思います。弟子の願心としては、得道後は更に修練に励み、大慈大悲を以って三毒・十悪の業縁から衆生を目覚めさすように説法を続けて行きたいと思います。

 若し将来正道(しょうどう)を成就でき肉体を離脱した暁には、誓って三界十方を駆け巡って衆生や萬霊の苦厄を度(ど)し、声を聞いては救苦救難を果たし、世人をして正覚に帰せしめたいと存じます。弟子のこの決定心(けつじょうしん)は、佛門の真旨に合いましょうか」

 老翁は、深く頷いて言いました。

「そなたの固い決心は、大乗菩薩道を成就する人の言葉だ。なるほど、深い来歴は争われないものである」

「御尊師様。どうか佛道の真髄、如来の真実義と正法(しょうほう)を証(あ)かさしめ、吾が心霊を一切苦より解脱する法をお伝え下さい」

 老翁は、大師の初一念に感じ入り、徐(おもむろ)にそして厳粛に大師に道を伝え、佛道最上・最勝の妙法を授記されました。

 涅槃妙心(ねはんみょうしん)・正法眼蔵(しょうほうがんぞう)の機を明かし、以心伝心・心印神通の奥義を授け、教化別伝(きょうげべつでん)・真言秘咒(しんごんひじゅ)の口伝(くでん)を受けた大師の心は、極楽に昇ったような歓喜と感激で打ち震えました。今まで探し求めていた、真法奥玄(しんぽうおうげん)を得たのです。捨身して求めていた正法です。佛道最高の極法を得た大師の満身からは、光毫が輝きました。ここに改めて大悲願をたて、必ず終始一貫永劫に佛陀の得賜った心伝を奉じて衆生済度を心から誓われました。

 老翁は更に保母と永蓮に真経を一巻ずつ授け、終身肌身離さずに所持し、大師を守護して菩薩道を行ずるよう論されました。二人の感激は、まさに頂点に達しました。大師に従って修行を決意したことが正しかった、その労がいま報われ、その苦がいま補われた、保母と永蓮は今までの辛苦も忘れ、限りない悦楽に浸りました。

 長眉老翁は授記を終ってから大師に向かって、大師の前歴は慈航尊者(じこうそんじゃ)であって、今世はその転生である事実を打ち明けました。大師はこれを聞いて驚くと共に入世の本願、弘誓の甚深を痛感し、責任の重大さを一層強く自覚しました。老翁は、更に言葉を続けました。

「そなたの世に尽くす任務は重大である。ここから帰った後も更に修業を積み、一日も早く成道できることを望んで已まない」

「御尊師様の御慈悲で道を得られ、長年の夙願(しゅくがん)を果し得たことを感謝申し上げます。最後に、一つ伺いたい事がございます」

「何事であるかな」

「実は昔、私がまだ宮殿に住んでいた頃、多寶国の行者ルナフールが参って、須彌山に白蓮があり、それが弟子に深い因縁があるとの事で、父王はカシャーバを遣わしたところ事実これがあったとの事でした。いま見廻したところ、その白蓮が見当たりません。尋ねた場所が違ったのか、或いはもう既に無いのでしょうか。実は弟子が父王の逆鱗に触れ花園に貶(おく)られた時、御尊師様が来られて須彌山の白蓮を得よとの御指示がありました」

 これを聞いていた老翁は、笑いながら言いました。

「そうだ。確かに白蓮はここにあった。カシャーバにも、麓で変化して見せた筈だ。そうしなければ、国中の医者が流離辛酸の苦しみを受けたであろう。だが今は既に南海普陀(なんかいふだ)の落迦山(らっかさん)に移り、蓮台と化している。残念ながら、既にここにはない」

 大師は一瞬失望の色を見せましたが、直ぐに気を取り直して訊きました。

「弟子にその白蓮が得られるでしょうか」

「白蓮を得る時と坐する時と二つあるが、今日そなたは既にその白蓮を得たのである。その証拠に、そなたの額を見よ。瘡痕(きずあと)は綺麗に癒(なお)っている。白蓮に坐するには、時期尚早である。それは、そなたの塵劫が未だ満ちていないからだ。此処から帰った後も更に霊光の純熟を修め、機が熟したら無漏法性の妙身、清浄の常なる体を得、世音を観じ菩提薩埵(ぼだいさった)を証せられる。その時には、普陀落迦山の蓮台に坐することができよう。かの紫竹林(しちくりん)こそ、そなたが菩薩を成就して鎮座する場所であり、化身済世の根拠地となる」

 大師は、感激に身を震わせて泣きました。保母と永蓮は期せずして大師の顔を見上げると、神々しく美しい大師の額からは瘡痕が完全に消えていました。老翁は、諄々と説きました。

「しかし、そなたが涅槃に入る場所は、耶麻山の金光明寺でなくてはならない。それは一般の民衆に肉眼を以って見せ、耳音を以って聞かせ、一人でも多く法門へ帰依させ、一切の苦厄を免れさせるためである」

 また、保母と永蓮に向かっても言いました。

「そなた達の正果成就の縁は、まだ至っていない。しかし最後には、菩提を証するであろう」

 二人は、感激して嗚咽するばかりでした。

「弟子の涅槃に入る時期をお教え下さい」

 この大師の言葉に老翁は、一個の白玉の浄瓶(じょうびん)を取り出して、それを大師に手渡しながらこう言いました。

「この浄瓶をそなたに授ける。これを持ち帰って、鄭重にお供えするのだ。やがてこの浄瓶の中から水が湧き、楊柳(ようりゅう)が生えて来るであろう。よく注意するがよい。その時は、そなたが成道し涅槃に入る時である」

 大師は授けられた寶瓶を両手で捧げ、押し頂いて礼拝しました。

「これで、総てを語った。汝等に言った事を忘れてはならない。道中留意して帰りなされ」

 老翁の別れの言葉に、大師は慌てて言いました。

「尊き御指点、御教示を賜り、この御恩は永遠に忘れません。まだ御尊師様の御尊名と御法号を伺っておりません。どうか、お聞かせ下さいませ」

 老翁は、微笑しながら首を振りました。

「今は。言わないでおこう。いずれ分かる時があろう」

「しかし、もうお伺いする機会が無いと思いますが」

「いや、機会は何時でもある。将来必ず分かる時があるから、早く帰るがよい。一刻の猶予は、一刻の成就を遅らせるだけだ。帰路には、色々の魔難に気を付けるがよい」

 大師は再び老翁に会える日を望みながら、庵を辞去することにしました。寶瓶を大事に包んで黄色の荷袋に収(しま)い、改めて老翁を拝み、保母と永蓮を連れ、名残を惜しみつつ帰路につきました。

この観世音菩薩の御真影は、砂盤を通じた予告どおり千九百三十二年十二月吉日、中国江西省東部の上空獅子雲中に示現されたものです。指示された時間と場所の空中に向けてシャッターを切った数十台のカメラの一つに、この映像が撮影されていたと伝えられています。これは妙善大師が昇天入寂された時、すなわち観世音菩薩として成道された時のお姿です。従って成道後の尊称は、大師から菩薩に変わり、菩薩道を極めた人の最高位となられました。


達摩大師伝

2023-03-27 21:11:57 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝
Ray:神光というのが禅宗の初代祖「慧可」です。

三.大師、神光と問答す

大師が中国各地を遍歴していた頃の洛陽は佛教の非常に盛んな都であって、そこに当時名僧と謳われた神光(しんこう)が在住していました。神光は經典を講じ説法をすること四十九年、当時百萬もの弟子がいるとの噂を聞いて大師は、神光を先ず救おうと思いました。そこで密(ひそか)に聴衆の一人に身を窶(やつ)して、法座の傍に参りました。

神光は聞きしに勝る雄弁家で、それを言葉で形容すれば『天より花が乱れ落ち、地より金蓮が湧き出で、泥牛(でいぎゅう。泥で作った牛、これがが海に入れば、元に返れないことの例えとなる)が海を越え、木馬が風に嘶(いなな)くが如し』と言う状態でした。それ程までに神光の説法はずば抜けて秀で、聴衆の心を掴んで放しませんでした。

大師は道脈が神光に繋がることを直ちに察し、彼に道を傳えねばとの思いで神光の前に姿を現わされました。神光が説法を終えて気が付くと、目の前に色黒の髭面で目のギョロリとした一風変わった姿の僧侶がいるので、その人に向かって問いを発しました。

神光「老僧は、何処(いずこ)から来られたのですか」

大師「遠くない所から来ました」

神光「遠くない所と言われたが、今まで見たお顔ではない。何処の生まれですか」

 神光は鋭敏な人ですから、百萬の弟子があっても毛色の変わった大師には直ぐ気が付いたのです。大師は、前と同じように人を食った言い方で

「暇が無いから、今までここへ来たことはない。或るときは山に登って霊薬を採取し、また或るときは海に入って珍宝を採取して一座の無縫塔(むほうとう)を修造している。まだ功果が完成していないので、今日は閑(ひま)をみてここへ来た。あなたが慈悲深い經文を講ずるのを聴きたいと思う」

 神光は大師の言葉を聞いて心中不可解な思いに満たされましたが、根が眞摯で率直で徳の高いお方ですので、「お經を聞きに来た」との言葉に早速經典を取り出して展(ひろ)げ、一生懸命に説法し始めました。大師は腕組みをして黙って神光の説法を聞いていましたが、説法が終わるや否や

「あなたが説かれたのは何ですか」

と訊ねました。全く説法を聞いていなかった人のような問いなので、驚いた神光は

「私の説いたのは法であります」

大師「その法は、何処にありますか」

神光「法は、この經巻の中にあります」

大師「黒いのは文字であり、白いのは紙である。その法は、一体何処に見ることができましょうか」

神光「紙の上に記載されている文字に正しい法があります」

大師「文字の法に何の霊験がありますか」

神光「人間の生死(しょうじ)・生命を解脱させる法力が潜んでいます」

すると大師は、言葉を継いで

「今あなたが説かれたとおり紙の上に載っている法が人の生命を生死輪廻から救う効験があるとするならば、ここで私が紙の上に美味しそうな餅菓子の絵を描いてあなたの空腹を満たしたいと思うが如何ですか」

 神光は驚いて

「紙の上に描かれた餅がどうして空腹を満たすことができましょうか」

大師「然り。紙上に描かれた餅が空腹を満たすことができないと言うのであれば、あなたが説かれたところの紙上に載っている佛法が、どうして人の生死を救い輪廻を解脱させ涅槃(ねはん)の境地に至らすことができるのですか。あなたの説かれていることは、元々無益です。その紙の巻物を私に渡しなさい。焼き捨ててしまいましょう」

 そう言われた神光は顔色を変え、声を荒げて

「私は經を講じ、法を説いて数え切れないほどの人々を済渡しています。どうしてそれを無益と言うのか。汝は佛法を軽んじているのか。佛法を軽賎する罪は甚だ重いことを知らないのか」

大師「私は、決して佛法を軽賎したりしてはいません。あなたこそ佛法を軽賎しているのです。あなたは全く佛の心印・心法を究めていないだけでなく、ただ徒らに經典や説法に執着し、その字句や題目に囚われ、偏った法の解釋をしているだけです。とどのつまり、明らかにあなたは本当の佛法がどういうものであるのか解っていないのです」

 神光は大師の説く理論を聞いて頗る不愉快となり

「私に法が解らないと言うなら、どうぞあなたが私に代わって台に登り法を説いて下さい」

と吐き捨てるように言いました。

大師「私には、説く法はありません。ただ言えるのは、一の字のみです。私は、西域からわざわざこの一の字を持って来ました」

神光「その一の字とは何ですか」

大師「その一の字は、たとえ須彌山を筆とし、四海の水で墨を磨り、天下を紙としたとしても書き写すことができません。そもそも、この一の字の形を描くことはできないのです。形も影もないから、見れども見えず、描けども描けないのです。もし或る人がこの一の字を識り、これを描くことができれば、その人は生と死とを超越することができます。本来形象はないが、春夏秋冬の四季を通じて常に光明を放つことができます。この玄中の妙、妙中の玄を知り得る人があれば、間違いなく龍華會(りゅうげえ)において上人(しょうにん。ラウム)と會うことができましょう」

 神光はこの大師の言葉の意味を理解することができず、怒りが込み上げてきました。大師は、続いて次のような偈(げ。詩)を作りました。

「達摩、元は天外天(理天)から来た。佛法を講ぜずとも仙人となる。

 萬巻の經書、全て必要とせず。ただ僅かに、生死の一端を提(と)る。

 神光、今までよく經を講じてきた。智慧聡明で多くの人にこれを傳える。

今朝(こんちょう)、達摩の渡(すく)いに逢うこと無ければ、

 三界を超えて生死を了(お)えることは難しい。

 達摩は西方からやって来たが、一字も携えてはいない。

 全く心意に憑(たよ)り、功夫(くふう)することあるのみ。

 もし紙上によって佛法を尋ねようとするならば、

筆尖(ふでさき)を浸しただけで、洞庭湖(どうていこ)も干上がってしまうであろう」

 この偈を聞いた神光は、辱められたと思い、烈火の如く怒り、手に持った鉄の念珠で大師の顔を殴り付けました。お經も碌に講ぜられない坊主が傲慢にも長年人々を感化してきた自分の説法を嘲笑したとの思いで、憤りが更に倍加したのです。

 顔面を強打された大師は前歯が二本も折れ、口の中に血が溢れ出ました。大師は思わず口の中の血を吐き出そうとしましたが、この地方が三年も続く旱(ひでり)に見舞われるのを懼れて止めました(註。無実の罪を受けて流した聖人の血は、その地方に三年間の旱魃を齎すという言い傳えがありました)。しかし折られた歯や口中の血を呑み込めば、たとえ自分の流した血であっても三厭(さんえん。飛禽〈鳥類〉走獣〈獣類〉水族〈魚類〉の総称、一般に動物の血肉を指す)に違いないため五臓の戒めを破ることになります。

 進退窮まった大師は、歯と血を含んだままその場から離れ、西に向かって歩を進めながら、また偈を作りました。

「達摩、血を含んで言葉を発することも儘(まま)ならない。

神光が我が意を全く認めようとしないのは、理解に苦しむ。

 船は川岸に着いたものの、人を度(すく)うのは難しい限りである。

 一見縁がありそうであっても、実際に縁ある者はいないものである。

 武帝も神光も、共に高徳の士である。

 然るに、何故西方から来た道根に気が付かないのであろうか。

 この出會いを看過すれば、再びこの縁に巡り會うのは難しく、

 永久(とこしえ)に紅塵に埋没されることとなろう」

 こうして大師は、一旦洛陽の神光の許を離れて郊外に去り、そこで袖を展げて口に持っていくと、折れた歯は元通りになり、血の跡もなく傷もたちどころに完治して綺麗になりました。しかし大師は、人を救うことは容易でないことを痛感していました。

 二箇所で人を渡す機會を失った大師は、縁の薄い人たちを只々嘆き哀しむのでした。そして旁門(ぼうもん。正道以外の分派・別派、宗教宗派の類)の恐ろしさを嘆じて、次のような偈を作りました。

「旁門を歎く。字のある法は口先で論談するのみである。

 ただ習うのは口頭の禅であって、生と死を究めることはない。

 修行する人はあっても、無字眞經(正法)を知ることはない。

 衆生に講ずるのは、偽道・邪道のみである。

 道教・儒教・佛教を修める人であっても、死を了え生を超える道を究めることはない。

 假(いつわ)りの僧道は、概ね鼓打唱念を習うのみである。

神光でさえも、ただ単に講を説いて満足するのみ。

 弁舌爽やかに講ずることは出来ても、性命を了えることは難しい。

 遂には十殿閻君(じゅうでんえんくん。地獄十殿主宰神の総称)を免れることが出来ず、地獄に堕ちることとなる。

眼を挙げて旁門の内にいる無数の人等を観ずれば、心經を窺(のぞ)き、道を訪れ、修行する人幾人(いくたり)もおらず。

 われ今日、神光を度おうとしたものの、彼もまた縁分なし。

 何処か別の所に行けば、初めて縁ある人に巡り合うことが出来よう」

 続く


【Ray:大師が「明師の一点」を受ける場面があります!】観音菩薩伝~第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける

2023-01-19 20:58:04 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

第42話 大師、長眉の老翁に会っ指点を受ける

 このようにして大師と保母そして永蓮の三人は、筆舌に尽くせぬ飢えと寒さに堪え忍びながら、雪蓮峰を登りました。全く紆余曲折の多い行程でしたが、五日目に漸く頂上に達することが出来ました。頂上に登りきるとそこには比較的平らな地面があり、ふと見ると萬年雪を被った一座の廟堂がありました。こんな山の頂に一体誰が住んでいるのだろう、大師の心中にもしやと思う気があって胸が高鳴りました。保母と永蓮も一瞬神秘感に打たれ、お互いに顔を見合わせて頷き、大師に従って庵の前に到着しました。三人の瞳は、希望に燃えて輝いています。長い間の艱難辛苦が報われる、目的地に到達したのです。千萬の感慨で、胸が一杯です。究竟涅槃の妙証を得、聖諦義を明らかに悟れる感激が寸前に迫って来ました。

 三人は合掌しながら跪いて廟堂を拝み、立ち上がって三歩歩いてもう一拝しました。畏れ多いという気持ちが、自然にそうさせたのかも知れません。無意識のうちに大師は、御自分の得道時を感得しておられました。

 廟堂は石積みの簡素な作りで、崖の上に一軒だけぽつんと建っています。大師は霊覚で、その中から荘厳華光が無量円光を描いて燦然と輝いているのを観じました。大師は静かに廟前に跪き、改めて深く礼拝してから内(なか)へ入りました。内は狭い石室で、中央の奥まった所に一人の老翁が坐っていました。眉毛は長く両頬まで垂れ、純白な僧衣を纏い、悠然と端坐し瞑目しております。三人が入ってきたのに気付いているのかいないのか、体も動かさず顔色も変えずその身相は威厳と慈愛に満ち、面容は神々しくて百毫の光明を放っています。

 早速叩頭礼拝を為した大師は、老翁の顔を見てはっと胸を打たれました。昔、花園へ御指示に来られた老僧によく似ておられます。大師は、忘れる筈がありません。その御風貌は深く脳裏に刻み込まれていて、昼夜四六時中、その印象は片時も脳裏から離れたことがありません。歓喜が湧いて大師は、二人に言いました。

「功徳甚深の師父様です。私達が来るのを待っておられたのです。謹んで御尊前に進み出て、御指示を仰ぎましょう」

 二人は感極まり、身が引き締まりました。大師は恭しく奥へ進み、五体を地に伏して礼を尽くし、終って胡跪(こき)し、合掌しながら

「上座に坐(おわ)します御尊師様。弟子妙善、約束を違えず所説の妙法を憶持して失わず、永い歳月を求法一途に勤行し、今また一行三人は興林国を発って今日ここまで参りました。師の御尊顔を拝し得ますことは、この上ない幸いでございます。どうぞ御慈悲を垂れ給われて弟子達の迷朦を御指示下さり、般若・陀羅尼の心法を授記して下さいますようお願い申し上げます」

と真心籠めて申し上げました。今まで瞑目して微動だにしなかった長眉の老翁は、大師の言葉が終るや静かに眼を開き、三人を見渡して言いました。

「善哉、善哉。大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者よ、汝昔日よく菩提心を発し弘誓の願を立てられた。今また汝等三人は、幾多跋渉の苦しみを辞せず、千里の難関を踏破してよくぞ此処まで参られた。汝に深い前縁があったが故である。先ず、そなたに訊こう。そなたは一切の富貴と栄華を捨てて佛陀に帰依し、一心に修行を志して求法に来たが、佛門の真旨は何であるか。得道した後、如何なる願心を抱かれるか心意の所想を聞きたい」

 大師は、敬虔な心情を尽くして答えました。

「佛門の真旨は、世の迷える霊魂を四生六道の輪廻から救い、世の災難を消滅するにあります。佛陀や諸佛が道を求め、道を修め、道を伝えて身を千劫萬難に晒したのも畢竟この為と思います。弟子の願心としては、得道後は更に修練に励み、大慈大悲を以って三毒・十悪の業縁から衆生を目覚めさすように説法を続けて行きたいと思います。

 若し将来正道(しょうどう)を成就でき肉体を離脱した暁には、誓って三界十方を駆け巡って衆生や萬霊の苦厄を度(ど)し、声を聞いては救苦救難を果たし、世人をして正覚に帰せしめたいと存じます。弟子のこの決定心(けつじょうしん)は、佛門の真旨に合いましょうか」

 老翁は、深く頷いて言いました。

「そなたの固い決心は、大乗菩薩道を成就する人の言葉だ。なるほど、深い来歴は争われないものである」

「御尊師様。どうか佛道の真髄、如来の真実義と正法(しょうほう)を証(あ)かさしめ、吾が心霊を一切苦より解脱する法をお伝え下さい」

 老翁は、大師の初一念に感じ入り、徐(おもむろ)にそして厳粛に大師に道を伝え、佛道最上・最勝の妙法を授記されました。

 涅槃妙心(ねはんみょうしん)・正法眼蔵(しょうほうがんぞう)の機を明かし、以心伝心・心印神通の奥義を授け、教化別伝(きょうげべつでん)・真言秘咒(しんごんひじゅ)の口伝(くでん)を受けた大師の心は、極楽に昇ったような歓喜と感激で打ち震えました。今まで探し求めていた、真法奥玄(しんぽうおうげん)を得たのです。捨身して求めていた正法です。佛道最高の極法を得た大師の満身からは、光毫が輝きました。ここに改めて大悲願をたて、必ず終始一貫永劫に佛陀の得賜った心伝を奉じて衆生済度を心から誓われました。

 老翁は更に保母と永蓮に真経を一巻ずつ授け、終身肌身離さずに所持し、大師を守護して菩薩道を行ずるよう論されました。二人の感激は、まさに頂点に達しました。大師に従って修行を決意したことが正しかった、その労がいま報われ、その苦がいま補われた、保母と永蓮は今までの辛苦も忘れ、限りない悦楽に浸りました。

 長眉老翁は授記を終ってから大師に向かって、大師の前歴は慈航尊者(じこうそんじゃ)であって、今世はその転生である事実を打ち明けました。大師はこれを聞いて驚くと共に入世の本願、弘誓の甚深を痛感し、責任の重大さを一層強く自覚しました。老翁は、更に言葉を続けました。

「そなたの世に尽くす任務は重大である。ここから帰った後も更に修業を積み、一日も早く成道できることを望んで已まない」

「御尊師様の御慈悲で道を得られ、長年の夙願(しゅくがん)を果し得たことを感謝申し上げます。最後に、一つ伺いたい事がございます」

「何事であるかな」

「実は昔、私がまだ宮殿に住んでいた頃、多寶国の行者ルナフールが参って、須彌山に白蓮があり、それが弟子に深い因縁があるとの事で、父王はカシャーバを遣わしたところ事実これがあったとの事でした。いま見廻したところ、その白蓮が見当たりません。尋ねた場所が違ったのか、或いはもう既に無いのでしょうか。実は弟子が父王の逆鱗に触れ花園に貶(おく)られた時、御尊師様が来られて須彌山の白蓮を得よとの御指示がありました」

 これを聞いていた老翁は、笑いながら言いました。

「そうだ。確かに白蓮はここにあった。カシャーバにも、麓で変化して見せた筈だ。そうしなければ、国中の医者が流離辛酸の苦しみを受けたであろう。だが今は既に南海普陀(なんかいふだ)の落迦山(らっかさん)に移り、蓮台と化している。残念ながら、既にここにはない」

 大師は一瞬失望の色を見せましたが、直ぐに気を取り直して訊きました。

「弟子にその白蓮が得られるでしょうか」

「白蓮を得る時と坐する時と二つあるが、今日そなたは既にその白蓮を得たのである。その証拠に、そなたの額を見よ。瘡痕(きずあと)は綺麗に癒(なお)っている。白蓮に坐するには、時期尚早である。それは、そなたの塵劫が未だ満ちていないからだ。此処から帰った後も更に霊光の純熟を修め、機が熟したら無漏法性の妙身、清浄の常なる体を得、世音を観じ菩提薩埵(ぼだいさった)を証せられる。その時には、普陀落迦山の蓮台に坐することができよう。かの紫竹林(しちくりん)こそ、そなたが菩薩を成就して鎮座する場所であり、化身済世の根拠地となる」

 大師は、感激に身を震わせて泣きました。保母と永蓮は期せずして大師の顔を見上げると、神々しく美しい大師の額からは瘡痕が完全に消えていました。老翁は、諄々と説きました。

「しかし、そなたが涅槃に入る場所は、耶麻山の金光明寺でなくてはならない。それは一般の民衆に肉眼を以って見せ、耳音を以って聞かせ、一人でも多く法門へ帰依させ、一切の苦厄を免れさせるためである」

 また、保母と永蓮に向かっても言いました。

「そなた達の正果成就の縁は、まだ至っていない。しかし最後には、菩提を証するであろう」

 二人は、感激して嗚咽するばかりでした。

「弟子の涅槃に入る時期をお教え下さい」

 この大師の言葉に老翁は、一個の白玉の浄瓶(じょうびん)を取り出して、それを大師に手渡しながらこう言いました。

「この浄瓶をそなたに授ける。これを持ち帰って、鄭重にお供えするのだ。やがてこの浄瓶の中から水が湧き、楊柳(ようりゅう)が生えて来るであろう。よく注意するがよい。その時は、そなたが成道し涅槃に入る時である」

 大師は授けられた寶瓶を両手で捧げ、押し頂いて礼拝しました。

「これで、総てを語った。汝等に言った事を忘れてはならない。道中留意して帰りなされ」

 老翁の別れの言葉に、大師は慌てて言いました。

「尊き御指点、御教示を賜り、この御恩は永遠に忘れません。まだ御尊師様の御尊名と御法号を伺っておりません。どうか、お聞かせ下さいませ」

 老翁は、微笑しながら首を振りました。

「今は。言わないでおこう。いずれ分かる時があろう」

「しかし、もうお伺いする機会が無いと思いますが」

「いや、機会は何時でもある。将来必ず分かる時があるから、早く帰るがよい。一刻の猶予は、一刻の成就を遅らせるだけだ。帰路には、色々の魔難に気を付けるがよい」

 大師は再び老翁に会える日を望みながら、庵を辞去することにしました。寶瓶を大事に包んで黄色の荷袋に収(しま)い、改めて老翁を拝み、保母と永蓮を連れ、名残を惜しみつつ帰路につきました。

この観世音菩薩の御真影は、砂盤を通じた予告どおり千九百三十二年十二月吉日、中国江西省東部の上空獅子雲中に示現されたものです。指示された時間と場所の空中に向けてシャッターを切った数十台のカメラの一つに、この映像が撮影されていたと伝えられています。これは妙善大師が昇天入寂された時、すなわち観世音菩薩として成道された時のお姿です。従って成道後の尊称は、大師から菩薩に変わり、菩薩道を極めた人の最高位となられました。