ルアンパバーンの風景

ラオスの世界遺産『ルアンパバーン』(Luang Phabang)の静かな風景を載せていきます。
実際は暑かった。

(無題)

2006-10-26 | ヤプログ!のログ
魔境に入りやすい人は霊的に魔を求めている。力に憧れている。キリストも言っているが7つの車輪を乗っ取られる。「穢れた霊は、人から出て行くと砂漠をうろつき休む場所を探すが、見つからず、それで出てきた我が家に戻ろうと言う。戻ってみると家は掃除されていて整えられていた。そこで出かけていき、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで住み着く。そうなるとその人の状態は前よりも悪くなる。」(マタイによる福音書12章43節~45節)
魔性に憧れ心と体がボロボロになった(と推測される)人がいた。聖を求めつつ、それに向かうある種の度胸がないので魔の権力に憧れ魔女ぶった黒い記述法をする女の根暗なのだが、しかしそれは実物の魔女にたいしては冒涜になる。お前みたいなネスアカに虚悪されると自分が舐められる。キリスト教の誤読と同じ扱いにされる。
人の自殺、とくに陰湿なもの、同族嫌悪における女よりも、陵辱されるのは男のほうが芸術にはふさわしいらしい。射精してしまうらしい。いや違うオルガスム。なんでもない。気にしなくていい。反面単なる悦に用いる程度の魔性の宗教的神秘をわかってない奴の魔境は冒涜罪にもなるらしい。赤と黒のマーブルにしてやるわ。やがて本物の世界を見せることになるが、魅せられないで終われば実は無理してる端くれの魔道とされる。せいぜいパンピーをビビらせる程度の存在として定着する。被害妄想で当たり散らすようになったらそういう世評があちらの界隈には既に出来上がっているのかもしれないね。魅入ってしまえばいいのに。その本物という魔女も…昔すぎて消えかかっていて定かではないが、元を辿れば純粋な赤子だったはずだが。でもそれはあってはならないことなので、魔女とは虚悪を実に悪と為しうる才に長けた存在ということにもなる。
話は逸れたが聖/邪どちらにせよ、単なる体面の彩りではその界隈では二流とされる。形而上学的・芸術的理解がなければ一流にはされない。