オーディオは先進のスピーカーのリアル感やデジタルアンプのような快適さよりも音楽の本質を伝えようとするものがいい。
ユーモアやセンスはナイーブなので権力欲を満たすために消費すると壊疽ってしまう。電波板、あの空間にいた生命達は純粋なユーモアの手本だった。ユーモアやセンスそれ自体が体内から溢れていて鮮度の高い生気となっていた。本当に渦を巻いていた。
お金をためる人をあしらい自分はお金がたまらないことを大らかなで偉大な性質だとして誇るも、その真意は忍耐力の欠如と自分の現世的な実力を金額のうえに目の当たりにするのを恐れる小心である場合がほとんどである。ということで、吝嗇家を裁くと自分が裁かれるからしない。
馬鹿の壁を超えることのできないイデオロギーは他人のイデーを捕食して太るばかりばかばかりだ。振り回されないようにしよう。そのよく見える目で見つけた自分の師に従おう。
おいしくなるようにと料理するとよい波動が与えられるから実際においしくなる。ありがとうと言われれば行いに応じた喜びが得られ、しねと言われれば自分の性格に応じて悪い心地がする。負ったものは人に与えることにもなるので、好かれる人はどんどん好かれ、嫌われる人はどんどん嫌われる。それに気付くことが大切だ。
おそらく、人間は死ぬ時、縁側の日なたにてぽかぽか眠るようにして逝くことができる。それを医学はかき乱している。生きるべく人間を生かし、死ぬ時には自然に逝かせればいい。それを実践させるのが宗教の使命だった。
自分は生への執念が半端でないので、運命がどれほど理不尽であっても、自殺するなら狂気を選びたい。狂気を選ばせてください。狂気。狂気満載。