釈尊の「四諦」の悟り体験を科学的に再現する 

釈尊の悟りの本質である「中性子(自覚)の働き・ひかりの波動・電子の波動・陽子の波動」の四つを実践的に体験します。

「原子の中身」と「四諦」を照らし合わせる

2021-10-20 20:45:13 | 中性子(自覚)の働きに気づく実践
原子の中身は、

中性子の働き、ひかりの波動、電子の波動、陽子の波動、

の四つです。


四諦は、苦諦、集諦(じったい)、滅諦、道諦、の四つです。


中性子の働きは、苦諦に対応しています。

ひかりの波動は、集諦に対応しています。

電子の波動は、滅諦に対応しています。

陽子の波動は、道諦に対応しています。


中性子の働きが苦諦に対応していること、の意味をもう少し書いておきます。


中性子の働きは、分子や細胞レベルでは、自覚、です。

自覚は、自発的な戒めを含む理性、です。


原子レベルでは、中性子の働きは、内なる気づき、です。

内なる気づきは、頭の大脳に去来する潜在意識、のことではありません。


内にかすかに去来する、内なる気づき、です。

見落としそうになる、内なる気づき、です。

何かに洗脳されているならば、確実に見落とす、内なる気づき、です。

何かに気を取られていると、確実に見落とす、内なる気づき、です。


内なる気づきを取り上げるには、内面をカラにしておく必要があります。

内面をカラにしておかないと、内なる気づき、に気づくことはできません。

この、内なる気づき、が、原子レベルでの、中性子の働きです。


釈尊には「苦しい」という内なる気づきがありました。

四諦の「苦諦」は、

中性子の働きである、苦しい、という、内なる気づき、です。


苦しさが増しますと、

苦諦が深まりますから、

苦しみを滅するのに真剣さが増し、

前に進まざるを得なくなります。

苦しさを歓迎しましょう。

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釈尊の自覚(中性子)の働く場所が移動している、最終的に自覚は定位置に落ち着く ②

2021-10-18 22:02:10 | 中性子(自覚)の働きに気づく実践
続きです。

四諦の滅諦で、無心が実現します

四諦の道諦で、仏心が実現します。


「仏心の実現」と「無心の実現」が一緒になった境涯を、

釈尊は「涅槃(ねはん)」と言われました。


釈尊が菩提樹の下で成道されたとき、

「涅槃」の境涯を詠まれた後夜の偈(詩)があります。


そこには

「あたかも太陽が虚空を照らすかのようである」と記されています。


「太陽」は「陽子の波動」です。

「虚空」は「電子の波動」です。


「太陽」に主体がありますから、

「自覚(中性子の働き)」は

「太陽(陽子の波動)」と共に在ります。


つまり、

「中性子の働き」は「陽子の波動」と共に在るということです。

後に検証してみます。


また、

涅槃の境涯を

「悪魔の軍隊を粉砕して安立している」とも記されています。


「安立している」は「陽子の波動」です。

「悪魔の軍隊を粉砕して」は「電子の波動」です。


「安立している」に主体がありますから、

「自覚(中性子の働き)」は

「安立している(陽子の波動)」と共に在ります。


つまり、

「中性子の働き」は「陽子の波動」と共に在るということです。

後に検証してみます。


では検証します。

中性子の無い一般水素以外ならば、

どの元素の原子図でもいいのですが、

すでにヘリウムを説明していますので、

ヘリウムの原子図で説明します。

下にヘリウムの原子図があります。



     公益財団法人 日本分析センターより引用

ヘリウムは、

「陽子2個」と「中性子2個」から成る原子核と、

「2個の電子」で構成されています。


上図のように、

「2個の陽子(p)」と「2個の中性子(n)」が、

一緒にヘリウムの原子核の中に居ますので、

「中性子の働き(自覚) + 陽子の波動 = 良心 」が

成り立っています。


「ヘリウムの原子図」も、

釈尊の「涅槃」の境涯も、

「中性子の働き(自覚)」は「陽子の波動」と共に在ります。


よって、

どちらの場合も、

「自覚(中性子の働き)」は

「陽子の波動」と共に在ることが証明できました。


人文学的に言えば

「原子核」は「良心核」と呼ぶのがふさわしいでしょう。

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釈尊の自覚(中性子)の働く場所が移動している、最終的に自覚は定位置に落ち着く ①

2021-10-18 09:36:19 | 中性子(自覚)の働きに気づく実践
釈尊は、四諦・八正道と、自灯明・法灯明、を言われました。


四諦の三諦は、苦諦⇒集諦⇒滅諦、の三つです。

四諦目の道諦は、八正道によって「仏心に至る」です。

八正道の形よりも「仏心」に至ることが重要です。


はじめ、自覚は「一切は苦しみである」の苦諦にありましたが、

次に集諦に移ります。


集諦では、縁起の法を知って、

「苦しみの原因は縁であること」を知られました、次は滅諦に移ります。



滅諦では「縁を滅する(無心)」を体験して、

苦しみを滅することができました。


このように自覚は、苦諦から集諦へ、集諦から滅諦へと、移動しています。


それと並行して、

自覚を八正道に飛ばして、道諦の「仏心」を実現しておられます。


自覚がいろいろの場所に移動していることがわかります。

釈尊は、自覚の定位置を探しておられるようです。


また、自灯明・法灯明と言いますから、

自灯明の自覚(中性子)が、

法灯明よりも先行しているのがわかります。

自灯明を法灯明の前にもって来られたのです。


法灯明は、集諦・滅諦・道諦、のことです。

集諦は、ひかりを体験することです。

滅諦は、電子の波動を体験することです。

道諦は、陽子の波動を体験することです。


釈尊は、

上記三つの波動を体験して悟ることを

「法灯明」のゴールとしておられます。


以上のように、

「自覚(中性子)=自発的な戒めを含む理性」を、

法灯明の前に持って来ておられます。

後に重要になります。

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中性子は陽子の慈悲魔や愛魔を許していない

2021-10-15 19:39:38 | 中性子(自覚)の働きに気づく実践
一般的な水素は、原子の中の原子核には陽子が一つがあるだけで、中性子は持ちません。

前回お話しした「清貧」は「一般的な水素」に当てはまります。


「一般的な」と言っているのは、重水素は陽子一つと中性子一つを持ち、三重水素は陽子一つと中性子二つを持っています。

それらと区別する意味で、水素は、一般的な水素、を指しています。


「中性子」を人文的に表現すれば、

分子や細胞レベルでは「自覚=自発的な戒めを含む理性」と表現できるでしょうし、

原子レベルでは「内なる気づき」と、

真空の海(在りて在るもの)レベルでは「意識」と表現できるでしょう。


水素の原子核には、陽子の働きを抑制する中性子がありませんので、「水素は、理性の必要が無い、聖人の域に達している原子」と言えるでしょう。

水素原子は、原則ではなく、例外的な存在です。


原子の中の原子核の陽子と中性子の組み合わせで、

元素の種類が決まります。


陽子が二つ、中性子が二つは、ヘリウムになります。

ヘリウムの場合を見ますと、

原子核の中に陽子が二つあります。


陽子二つは、どちらもプラスの電荷(電気)を帯びていますので、互いに反発します。

これを「電磁相互作用」と言います。電磁相互作用は長い距離に作用します。


反発する陽子二つだけでは原子核は安定しないので、安定させるために原子核の中でもう一つの力が働きます。

それが「強い相互作用」です。強い相互作用は短い距離に作用します。


陽子も中性子も「強い相互作用」を感じることができるので、

二つの陽子が「電磁相互作用」によって原子核を吹き飛ばそうとするのを防ぐために、

かつ、二つの陽子の「電磁相互作用」を打ち消すために、

二つの中性子の「強い相互作用」がヘリウムの原子核の中で働くようにしています。


中性子二つを原子核に入れることによって、ヘリウムの原子核を安定させるのです。

このように中性子には、陽子が原子核を吹き飛ばさせないようにする「強い相互作用」があるのです。


また、陽子も、中性子の「強い相互作用」を感じることができます。


陽子の波動である、慈悲や、愛、神の心、清らかな生命などは、絶対的なものではないのです。

陽子の波動である、慈悲や、愛、神の心、清らかな生命などは、中性子の「自覚=自発的な戒めを含む理性」の制限を受けているのです。


これを「中性子の働き + 陽子の波動 = 良心 」と表現できるでしょう。

中性子は、陽子の波動が、慈悲魔であることや、愛魔であることを許していません。

中性子の働きを忘れないように。

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なぜ原子の表面からお腹の底までが汚れるのか?

2021-10-14 10:18:13 | 陽子の波動を体験する実践
一言でいえば、頭の大脳が心豊かである、からです。


心豊かとは、様々な欲望が豊かであるということです。

いつも何らかの欲望が心が生じ動いているということです。


心が動かなければ退屈だと思ってしまいます。

だから本でも読もうか、テレビでも見ようか、などをします。

その退屈を通り越してしまって、次の、無心で居る、ことができないのです。


見落とされがちですが、知識欲も欲望です。

調べものがあるのなら必要なところだけ読むようにしたいものです。

大脳は必要なことだけに使うようにしたいものです。


たとえば、信条というのがあります。

信条に反したことを見たり聞いたりしたら心が動きます。

怒ったり喜んだりします。

これも、原子の表面からお腹の底までが汚れる原因になります。


森羅万象は過ぎ去るものです。

過ぎ去るものには実体がありません。

実体がありませんから、

きつく言えばうそいつわり、やわらかく言えば影や幻です。

われわれは、過ぎ去る実体の無い世界で、

過ぎ去る実体の無い肉体を使って生きています。


ここで最も重要なことは、

森羅万象の本質を見抜いて、

頭の大脳が無心の状態に近づくことが、

お腹の底を汚さないために、とても大事なことである、ということです。


心の貧しさとは、

電子の波動である「無心体験」をするまでの途中の様子とも言えます。


陽子の波動はお腹の底から「清らかな生命」として出て来ます。

電子の波動は頭の大脳から「無心」として出て来ます。

これが原子の中の「清貧」です。


原子の中では清貧が維持されていますから、

原子の中にユートピアが実現されていますし、

平和も維持されづけています。


原子の中に人間が本当に幸せになるものがありますから、

原子の中から学ぶことは人類にとってとても重要なことです。


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