南極猫たけし
2006/11/06 月
文学の中の猫(8)南極猫「たけし」
ノンフィクションの分野から印象深い「猫」を紹介します。
西堀栄三郎『南極越冬記』(岩波新書)の中の、南極猫たけしの話。「めざましテレビ」やビートたけし司会の番組でも紹介されたそうです。
2006年夏、東京科学博物館で行われた南極展。
小学生と南極とを結ぶテレビ電話「南極なんでも質問コーナー」で、小学生が「南極にペットはいますか」と質問しました。
南極基地からの回答は、「生態系をこわす心配がわかってからは、動物を南極に持ち込んではいけないことになりました」
つまり、生態系をこわす心配をしていなかった南極観測初期の時代には、ペットが持ち込まれていました。
1957(昭和32)年、第1次南極観測隊は、珍しいゆえ吉祥となるだろうと、オスの三毛猫を連れて南極に上陸しました。
猫の名は「たけし」。第一次観測隊の永田武隊長の名から命名されました。
いっしょに上陸した犬たちは「犬ぞり」という「仕事をもって」の上陸でしたが、三毛猫タケシの仕事は、「ペット」
隊員たちは、隊長の名を「こらあ、タケシ!」と猫にむかって叫び立て、まだ装備も十分でない南極での厳しい生活のストレスを解消していました。
タケシは、昭和基地でいちばん温かい発電造水棟でくらし、隊員たちの単調な生活に潤いを与える存在でした。
『南極越冬記』には、発電棟でくらしていた「たけし」が、感電して瀕死状態になったエピソードなどが書かれています。
1958(昭和33)年、たけしは隊員とともに帰国。
その後、ペットの南極上陸は禁止されたので、たけしは「世界で唯一、南極越冬をした猫」となりました。
本来なら「有名猫」になっていいところでしたが、カラフト犬タロジロ人気の爆発で、南極タケシの方はちょっとかすんでしまい、「知る人ぞ知る」ぐらいのネームバリューになってしまいました。
唯一の南極越冬猫なのに、あまり知られていないのは残念。
渋谷のハチ公くらいに知名度をあげるには、池袋のふくろう、渋谷のハチ公に対抗して、どこかの駅前に猫像を建てたらどうかしら。
除幕式テープカットは、番組内で南極猫タケシを取り上げたこともあるというビートたけし。
キャッチコピーは、「厳しい冬の時代を過ごしているあなた、ミィのしっぽなでれば、かならずあったかい世界へ戻れるニャア」
「恋するふたりがいっしょにシッポをなでれば、ふたりの心が冷えることがあっても、再びホットななかに戻れるニャう」
御利益まちがいなし。
南極猫たけしをかわいがった人、村山雅美さんが亡くなった。2006年11月5日午後。88歳
村山さんは、第1次南極観測隊に参加し昭和基地を建設。第5次隊の隊長。第9次隊では、日本人初の「陸路から南極点到達」を成し遂げて「南極男」と呼ばれた。
1956年11月8日、第1次隊が宗谷で南極へ向かった日から50年。お台場に繋留展示されている宗谷の船上で、11月8日に「南極観測50周年」記念行事が行われる。
村山さんは50周年祝賀行事委員会の委員長だったが、記念式典出席はかなわなくなった。
天で、南極猫たけしやカラフト犬タロジロに会えるといいですね。ご冥福を。
<つづく>
00:32 |
猫町
2006/10/16 月
文学の中の猫(9)猫町
猫にとって、恋の季節は春。「猫の恋」は、春の季語です。
春の夜は、恋する猫が鳴き交わす声が、夜空に響きます。
萩原朔太郎は「二匹のまっくろけの猫」の声を「おわあ、おぎゃあ、おわああ」と表現しています。
二匹の猫が「なやましいよるのやね」で交わす「おわあ、おぎゃあ」の鳴声、「春に恋を求める猫の擬声語」として、耳の残ります。
「猫」(『月に吠える』1917年より)
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
「文学の中の猫」,最初に掲げた萩原朔太郎の猫の詩。朔太郎は、ほかにも印象的な猫の詩を残しています。「青猫」「猫町」を引用します。
萩原朔太郎の詩集『青猫』のタイトルロール『青猫』。
この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい女性をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の竝木
そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。
ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一疋の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。
モダニズムの「美しい都會」。夜の底のメランコリーに沈む「われ」
大きな都会の夜にねむる青い猫の青い影を求め、詩人はみぞれふる裏町の壁にもたれている。
さびしい青猫
ここには一疋の青猫が居る。さうして柳は風にふかれ、墓場には月が登つてゐる。
同じく朔太郎の『猫町』、「散文詩風の小説」と副題がついています。もう、猫だらけの悪夢が描かれます。
万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事か分からなかった。だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇妙な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
戦慄から、私は殆んど息が止まり、正に昏倒するところであった。これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか 』
秋の北陸の温泉地で聞いた「猫神」にとりつかれた人々の口承。その「猫ばかり住んでいる町」が、山で道に迷った詩人の目の前に現前する。猫、猫、猫、猫、、、、
<つづく>
07:08 |
猫の恋
2006/11/17
現代では、猫は犬と並んで、ペットの最大派閥。犬が1300万匹、猫が1200万匹を超えて飼われています。猫の平均寿命は14~17年。中には20歳を超えるという猫もいるそうです。
現代作家、猫好き作家の「猫エッセイ・猫小説」となると、枚挙にいとまもない。
庄司薫『僕が猫語を話せるわけ』
金井美恵子『遊興一匹 迷い猫あずかってます』
笙野頼子『S倉迷妄通信』『愛別外猫雑記』
村上春樹『猫との旅』『うずまき猫のみつけかた』
保坂和志 『猫に時間の流れる』
などなど。
短歌集、その名も寒川猫持の『猫とみれんと』おもしろかった。
「愛だろ、愛」というCMの真似しつつ猫にうるめを焼いているなり
散らかって何が何やらわからぬが猫の手ならば間に合っておる
財布よーし車よーし猫もよーしさあ土曜日だ 猫抱いて寝る
尻舐めた舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども
古代中国で十二種の動物を暦に当てはめて十二支を決めた頃、猫はまだ西方から伝来したばかりで「身近な動物」に選ばれませんでした。でも、現在、猫は人にとって、もっとも身近な動物であることはまちがいないでしょう。
暦の中には入れなかったけれど、文学の中にはさまざまなシーンに登場しました。
季語としては春に大活躍。猫の恋、猫の妻、猫の子、いずれも春の季語です。
芭蕉も一茶も、猫を詠んで、一句、ものにしました。
猫の恋止むとき閏の朧月(松尾芭蕉)
なの花にまぶれて来たり猫の恋(小林一茶)
色町や真昼ひそかに猫の恋(永井荷風)
はるかなる地上を駈けぬ猫の恋(石田波郷)
猫の恋 昴は天にのぼりつめ(山口誓子)
地上を駆け抜けていく「恋する猫」もいれば、天にのぼりつめる昴のような「猫の恋」もある。
「恋する猫」は文学を生み出す素材ともなるし、猫そのもへの恋しい思いを小説にすることもある。
谷崎潤一郎は『猫と庄造とふたりのをんな』で、猫への溺愛を描き出しました。
村上春樹は「僕」にとって唯一失ってはならない存在が猫であることを書いていました。
笙野頼子にとっては、猫は家族であり、人間以上のパートナー。猫のために引っ越しするのもいといません。
猫は、日本語言語文化の中でいよいよゴロゴロとのどを鳴らし、ますます「ねうねう」と膝元に甘えかかってくるでしょう。
<おわり>
2006/11/06 月
文学の中の猫(8)南極猫「たけし」
ノンフィクションの分野から印象深い「猫」を紹介します。
西堀栄三郎『南極越冬記』(岩波新書)の中の、南極猫たけしの話。「めざましテレビ」やビートたけし司会の番組でも紹介されたそうです。
2006年夏、東京科学博物館で行われた南極展。
小学生と南極とを結ぶテレビ電話「南極なんでも質問コーナー」で、小学生が「南極にペットはいますか」と質問しました。
南極基地からの回答は、「生態系をこわす心配がわかってからは、動物を南極に持ち込んではいけないことになりました」
つまり、生態系をこわす心配をしていなかった南極観測初期の時代には、ペットが持ち込まれていました。
1957(昭和32)年、第1次南極観測隊は、珍しいゆえ吉祥となるだろうと、オスの三毛猫を連れて南極に上陸しました。
猫の名は「たけし」。第一次観測隊の永田武隊長の名から命名されました。
いっしょに上陸した犬たちは「犬ぞり」という「仕事をもって」の上陸でしたが、三毛猫タケシの仕事は、「ペット」
隊員たちは、隊長の名を「こらあ、タケシ!」と猫にむかって叫び立て、まだ装備も十分でない南極での厳しい生活のストレスを解消していました。
タケシは、昭和基地でいちばん温かい発電造水棟でくらし、隊員たちの単調な生活に潤いを与える存在でした。
『南極越冬記』には、発電棟でくらしていた「たけし」が、感電して瀕死状態になったエピソードなどが書かれています。
1958(昭和33)年、たけしは隊員とともに帰国。
その後、ペットの南極上陸は禁止されたので、たけしは「世界で唯一、南極越冬をした猫」となりました。
本来なら「有名猫」になっていいところでしたが、カラフト犬タロジロ人気の爆発で、南極タケシの方はちょっとかすんでしまい、「知る人ぞ知る」ぐらいのネームバリューになってしまいました。
唯一の南極越冬猫なのに、あまり知られていないのは残念。
渋谷のハチ公くらいに知名度をあげるには、池袋のふくろう、渋谷のハチ公に対抗して、どこかの駅前に猫像を建てたらどうかしら。
除幕式テープカットは、番組内で南極猫タケシを取り上げたこともあるというビートたけし。
キャッチコピーは、「厳しい冬の時代を過ごしているあなた、ミィのしっぽなでれば、かならずあったかい世界へ戻れるニャア」
「恋するふたりがいっしょにシッポをなでれば、ふたりの心が冷えることがあっても、再びホットななかに戻れるニャう」
御利益まちがいなし。
南極猫たけしをかわいがった人、村山雅美さんが亡くなった。2006年11月5日午後。88歳
村山さんは、第1次南極観測隊に参加し昭和基地を建設。第5次隊の隊長。第9次隊では、日本人初の「陸路から南極点到達」を成し遂げて「南極男」と呼ばれた。
1956年11月8日、第1次隊が宗谷で南極へ向かった日から50年。お台場に繋留展示されている宗谷の船上で、11月8日に「南極観測50周年」記念行事が行われる。
村山さんは50周年祝賀行事委員会の委員長だったが、記念式典出席はかなわなくなった。
天で、南極猫たけしやカラフト犬タロジロに会えるといいですね。ご冥福を。
<つづく>
00:32 |
猫町
2006/10/16 月
文学の中の猫(9)猫町
猫にとって、恋の季節は春。「猫の恋」は、春の季語です。
春の夜は、恋する猫が鳴き交わす声が、夜空に響きます。
萩原朔太郎は「二匹のまっくろけの猫」の声を「おわあ、おぎゃあ、おわああ」と表現しています。
二匹の猫が「なやましいよるのやね」で交わす「おわあ、おぎゃあ」の鳴声、「春に恋を求める猫の擬声語」として、耳の残ります。
「猫」(『月に吠える』1917年より)
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
「文学の中の猫」,最初に掲げた萩原朔太郎の猫の詩。朔太郎は、ほかにも印象的な猫の詩を残しています。「青猫」「猫町」を引用します。
萩原朔太郎の詩集『青猫』のタイトルロール『青猫』。
この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい女性をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の竝木
そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。
ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一疋の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。
モダニズムの「美しい都會」。夜の底のメランコリーに沈む「われ」
大きな都会の夜にねむる青い猫の青い影を求め、詩人はみぞれふる裏町の壁にもたれている。
さびしい青猫
ここには一疋の青猫が居る。さうして柳は風にふかれ、墓場には月が登つてゐる。
同じく朔太郎の『猫町』、「散文詩風の小説」と副題がついています。もう、猫だらけの悪夢が描かれます。
万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事か分からなかった。だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇妙な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
戦慄から、私は殆んど息が止まり、正に昏倒するところであった。これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか 』
秋の北陸の温泉地で聞いた「猫神」にとりつかれた人々の口承。その「猫ばかり住んでいる町」が、山で道に迷った詩人の目の前に現前する。猫、猫、猫、猫、、、、
<つづく>
07:08 |
猫の恋
2006/11/17
現代では、猫は犬と並んで、ペットの最大派閥。犬が1300万匹、猫が1200万匹を超えて飼われています。猫の平均寿命は14~17年。中には20歳を超えるという猫もいるそうです。
現代作家、猫好き作家の「猫エッセイ・猫小説」となると、枚挙にいとまもない。
庄司薫『僕が猫語を話せるわけ』
金井美恵子『遊興一匹 迷い猫あずかってます』
笙野頼子『S倉迷妄通信』『愛別外猫雑記』
村上春樹『猫との旅』『うずまき猫のみつけかた』
保坂和志 『猫に時間の流れる』
などなど。
短歌集、その名も寒川猫持の『猫とみれんと』おもしろかった。
「愛だろ、愛」というCMの真似しつつ猫にうるめを焼いているなり
散らかって何が何やらわからぬが猫の手ならば間に合っておる
財布よーし車よーし猫もよーしさあ土曜日だ 猫抱いて寝る
尻舐めた舌でわが口舐める猫 好意謝するに余りあれども
古代中国で十二種の動物を暦に当てはめて十二支を決めた頃、猫はまだ西方から伝来したばかりで「身近な動物」に選ばれませんでした。でも、現在、猫は人にとって、もっとも身近な動物であることはまちがいないでしょう。
暦の中には入れなかったけれど、文学の中にはさまざまなシーンに登場しました。
季語としては春に大活躍。猫の恋、猫の妻、猫の子、いずれも春の季語です。
芭蕉も一茶も、猫を詠んで、一句、ものにしました。
猫の恋止むとき閏の朧月(松尾芭蕉)
なの花にまぶれて来たり猫の恋(小林一茶)
色町や真昼ひそかに猫の恋(永井荷風)
はるかなる地上を駈けぬ猫の恋(石田波郷)
猫の恋 昴は天にのぼりつめ(山口誓子)
地上を駆け抜けていく「恋する猫」もいれば、天にのぼりつめる昴のような「猫の恋」もある。
「恋する猫」は文学を生み出す素材ともなるし、猫そのもへの恋しい思いを小説にすることもある。
谷崎潤一郎は『猫と庄造とふたりのをんな』で、猫への溺愛を描き出しました。
村上春樹は「僕」にとって唯一失ってはならない存在が猫であることを書いていました。
笙野頼子にとっては、猫は家族であり、人間以上のパートナー。猫のために引っ越しするのもいといません。
猫は、日本語言語文化の中でいよいよゴロゴロとのどを鳴らし、ますます「ねうねう」と膝元に甘えかかってくるでしょう。
<おわり>